09-37-藤間透が週末を謳歌して何が悪い

 エンデがこの場から消えるように去った後、残された俺たちは視線を彷徨わせた。

 石で出来た床、天井、壁や、木製の扉にどれだけ目を凝らしても、エンデはいるはずもないのに。


「これから、どうする?」


 小山田が不安げに口を開いた。


「ひとまず拠点に帰ってお金をあずけないとだね」

「そうね。いまやられちゃったら、一生後悔するわよ」


 三好姉弟が言うように、いま俺たちはそれぞれが3ゴールド20シルバー以上を所持している。現実の金で換算すると、三十二万円以上だ。こんな状態で街の外に出られるはずもない。


「じゃあそのあとは……? みんな、どこかにいくの?」 


 小金井の質問に、祁答院は笑みを浮かべて席を立った。


「俺は用事があるから、お先に失礼するよ」


 ……きっと顔とは裏腹に、胸では忸怩じくじたる思いが暴れまわっているのだろう。


「……オレも。んじゃーな」


 貧民や奴隷の話になってから終始黙りこんでいた海野も部屋を出ていく。


「あの……ちょっといい……かな?」


 躊躇ためらいがちに声をあげたのは灯里だ。


「その……ごめんね。今日はみんなと別行動させてほしいの」

「は? 伶奈、なんで?」

「悩みごとなら聞くよー?」


 灯里は高木と鈴原に困ったような顔を向ける。


「ごめんなさい。今日は私も別行動させてもらいたいの」

「はわ、わ、わたしもですっ……!」


 灯里の口から答えが聞けぬまま、七々扇とアッシマーが灯里に続いた。


「綾音もしー子も揃ってどーしたん? ……藤木、あんたからもなんか言ってやってよ」

「何回も言うけど、俺、藤間なんだわ」


 そろそろ誰かが本格的に俺のことを本当に藤木だと勘違いしそうで怖いんだけど。


「俺はそれでもいいんじゃねえかって思う。灯里も七々扇もアッシマーも、なにか考えあってのことだろ。いいじゃねえか、たまには別行動の日があっても」


 パーティを組んでるからいつも一緒にいたけど、それが毎日である必要なんてないんだ。

 俺もたまにはひとりになりたいこともあるし、むしろひとりになりたいって思うことのほうが多い。


 それに今日は週末だ。

 エンデが言ったとおり屋台も多く出ているし、こういう日くらいは羽を伸ばすのも悪くない。

 別行動になったら、高木と鈴原もアルカディアで服とか靴を買ったりしたいだろう。俺の勝手なイメージだけど。


「とりあえずいったん宿に戻ろうぜ。この金、持ってるの怖いんだよ」


 俺がそう言うと各々が席を立ち、この場は解散となった。



──



 二階の受付嬢に一声かけてギルドを出ると、朝は慌ただしくてあまり気にとめなかった屋台が中央広場を囲むようにぐるりと並んでいて、肉を焼いたような匂いが鼻腔をくすぐる。


 さっき会議室を出る際に確認した時計は十二時半を指していた。寝坊して朝食も適当に終わらせてしまったから、腹も減るわけだ。


「ねーねー、帰る前にちょっと寄っていかない?」


 高木が親指で広場の喧騒をさす。


「え、やだよ、混んでるし」

「んなこと言うなって。いーじゃん、どうせお金使わなきゃなんだしさ」


「でも高木さん、朝食のパンとフライがほぼ手付かずで昼食として残っているのだけれど……」

「太っちゃうよー?」

「いーじゃんいーじゃん。いけるってー」


 高木は七々扇と鈴原の背を押すようにして広場のほうへと向かってしまった。


「マジかよ……」

「いいんじゃないかな。最近ずっと気を張っていたから」


 両親のことが解決せず心にしこりが残っているだろうに、灯里はそう言って笑顔を向けてくる。


「いやそういうんじゃなくて、単に混んでるのがいやなのと、万が一財布をスられたりしたら目も当てられねえぞ」

「藤間くんは相変わらず心配性ですねぇ……」

「うっせ。……あーほら囲まれた」


 高木と鈴原と七々扇の三人はあっという間に広場にいた人たちにのみこまれてしまった。

 七々扇は肩身が狭そうにしているが、鈴原と高木は「やっほー」「おいーっす!」とパリピっぷりを発揮している。


「いこ?」

「ささ、行きましょう!」

「お、おい」


 俺は灯里とアッシマーのふたりに背を押されながら、半ば強引に広場へと近づいてゆく。

 途端、俺たちは目ざとく発見され、広場の人たちや屋台からの声に囲まれる。


「おおお勇者さまぁ!」

「おーい! キッシュ食っていってくれよ! サービスすっからよ!」

「いやいや、こっちの肉串がうまいぜ! モーモー牛の肉厚タンだ!」


 3ゴールド以上が入った小銭袋を死守しながらなんとか人波を抜けると、広場の中央にある噴水の近くに出た。


 ちょうど昼飯どきだからか、ベンチも噴水のふちも食いものや酒を片手に談笑する人たちでいっぱいだったが、広場の外側を囲むように設置された屋台とその行列から離れているぶん、内側は台風の目のように落ちついていた。


「ふ、藤間くんっ」

「ふええ……」


 財布を守るどころか、俺の後ろをついてきた灯里とアッシマーの両手両指のあいだには、何本もの肉串が長い爪のようになってその存在を主張している。


「えへへ……もらっちゃった」

「マジでどうすんだよこれ……」

「食べましょうっ」


 ふたりに差し出された手から肉串を一本ずつ取る。


「ふわああ……おいひいれすっ」

「私、立ったまま食事するのなんてはじめて……。でも、楽しい、ね」


 肉をほおばったふたりの笑顔を前にして、しかし俺の脳裏には、先ほど話にあがった貧民たちのことが浮かんできた。


 同じ街のなかに食うにも困った奴らがいるってのに、肉の串なんて……。

 でもこんな感情は俺なんかよりもアッシマーや灯里のほうが持っているはずだ。

 俺が躊躇していると、ふたりは俺の様子に気づいたようで、アッシマーが困ったような顔をした。


「藤間くんが言ったんじゃないですかぁ……。与えるだけじゃ根本的な解決にならない、って」

「あー……」


 週末の風をどうしようか、という話のとき、金銭や食べものを施しても解決しない、って話はたしかにした。

 今日のぶんの食べものを与えると、明日のぶんを期待される。

 明日のぶんがないとわかると、結局、喜びは怨嗟えんさの声に変わってゆく。


「大切なのはどれだけ施したかではなく、施しにどれだけの愛が込められているかである」


 灯里は真面目な顔で続ける。


「マザーテレサの言葉だよ。この串焼きは、屋台のおじさんから私たちへの愛だもん。これを施すのは、また違うかなって」


 これは肉串の形をした、俺たちへの想い。

 それをあげちまったんじゃ、失礼にあたるよな。


「……そうだな」


 俺が頷くとアッシマーと灯里は笑顔になり、それぞれ串に口をつけた。

 俺も、と、うまそうな匂いがする肉串にかぶりつこうとしたとき、背中になにかがぶつかってきた。


「ぬわー、悪いな、勇者さま」


 振り返ると、足腰ふらふらの酔っ払い。俺が一礼すると、おぼつかない様子でどこかへ行ってしまった。


 これだから人混みはきらいなんだ。

 心のなかで悪態をつき、小銭袋がちゃんとあることを確認してからこんどこそ肉の味を堪能する。


「熱っ……あ、うめぇ」


 食にこだわりのない俺でも、しなやかな良い肉だ、と一瞬でわかった。

 弾力がありながらも柔らかい。

 噛めば噛むほど熱くほとばしる肉汁がソース……いやスープとなって、味付けは塩だけでじゅうぶんだ! と誇っているようだ。

 

「あ、いたいた! 伶奈、しー子!」


 ふた口めの肉を口のなかで噛み転がしながらその声に振り返る。

 「よい、しょっ」と人混みから抜け出してきたのは、高木、鈴原、七々扇だった。


「その、食べるのを手伝ってくれると嬉しいのだけれど…………あっ」

「あっ」


 三人はこちらを見て目を丸くする。

 俺たちもきっと、そんな顔をしていただろう。


 彼女たちの両指にも肉串が刺さっているのだ。なんだよバル■グvsバル■グかよ。

 もっとも、向こうはこちらと違って豚、鳥とバリエーションは豊富だったが。


「あはは、どうしようー」

「藤木ならオトコだし二十本くらいいけるっしょ」

「いや俺この二本で腹いっぱいなんだけど」

「頼むって藤木! オトコ見せろ!」

「頼むんなら相手の名前くらい間違えんなよな」


 そもそも、女なら──なんて俺が言おうものなら差別だのハラスメントだのうるさいくせに、男を見せろ、という言葉は往々と使われている──これ、逆にハラスメントなんじゃないの?


「あいた


 また背中に誰かがぶつかった。


 これだから人混みは……

 ふたたび小銭袋の無事を確認しながら、ふと、エンデの言葉を思い出す。



『異世界勇者が週末を謳歌して何が悪い』



 ……。


 …………ま、せっかくの週末、せっかくの祭り。

 たまにはこんなのもいいか。


 むしゃむしゃと串に食らいつき、あまり口にしたことのない牛タンの旨味をいそいそと腹のなかへ押しこめてゆく。俺、いまめちゃくちゃもったいないことしてない?


「……おら、よこせ」


 多少無理をして二本の串の肉をすべて口にいれ、手を差し出すと、


「さすが男子ね。じゃあ、これ」

「ウチもいいー? はいっ」

「へー、やるじゃん。あたしもよろしくー」


 これで俺の右手もめでたくバル■グの仲間入りだ。バルセロナの金網にのぼってやろうか? ひょーーっ!


「……っておい、なんで三本とも豚なんだよ。鶏とかもあるだろ」


 三本すべての串には肉厚の豚バラが五つも刺さっており、非常に美味そうではあるが、こってりとした肉汁が陽光に反射して、てらてらときらめいている……。


「あら、どちらにしろこちらの鶏もお願いするつもりだったのだけれど」

「だ、だって、鶏より豚のほうが太っちゃうしー……」

「あたし鶏のほうが好きだから」


 とんでもないやつらだ。

 三人にじっとりとした視線を送ってから、豚バラにかぶりつく。


 ……うん、めっちゃ美味い。でも、一本でもういいわってなるやつ。


 これ三本も食うのかよ、と三人に抗議の視線を向けるが、三人はすでにアッシマーと灯里の隣で、


「あんたらそれ牛タン!? ずるっ! しー子、伶奈、一本交換しない?」

「はい、よろこんでっ」

「ぅ……食べてもらえるのはうれしいけど、交換はいらない、かなぁ……」


 俺との交渉は終えたとでも言わんばかりにふたりとやりとりをしている。

 ……マジでとんでもないやつらだ。


 覚悟を決めて二本めの豚串に顔を向けたとき、背中から声をかけられた。


「おう坊主! 俺んとこのピザも食ってくれよ!」

「いや、当店のクロワッサンを。黒パンとは比較にならない旨味と風味ですよ」


 髭面のオッサンがぱかりと開いた容器のなかには丸いピザが乗せられていて、濃厚そうなチーズがびよーんと伸びている。

 もうひとりはエルフ、なのだろうか、中性的な顔立ちをした耳の長い男性? 女性? が中身を見せるように差し出した紙袋のなかには、巨大な三日月型のパンが六つも入って、ほかほかと湯気をたてている……。


「ま、また今度で」


 悪いけど、正直、もう吐きそうだった。

 だから遠慮した。なのに、


「俺がこの世で一番信用できねぇ言葉は『また今度』なんだよ! ハッハッハ!」


 髭のオッサンは俺の空いた左手にピザの容器をずしりと載せてくる。続いてエルフっぽい人は、


「勇者さま、この街に平和をもたらしてくださり、心より感謝しております。勇者さまにエスメラルダの祝福あらんことを」


 クロワッサンが入った大きな袋をピザの容器の上にどしっと載せ、胸の前で両手を組んで数秒祈り、ふたりしてほくほく顔になって去っていった。


 感謝されるのは照れくさいが、悪い気はしない。

 ただ、食べ物を大量に持ったこの状態で宿に帰ると女将になにをされるかわからない。

 ……俺には平和も祝福もないような気がした。


「とお……ふじ……と、とおる、くん、もう一本お願いしても……。…………あなた、なにやってるの?」

「なに食べるもん増やしてんの? バカじゃないの?」


 そのうえ、七々扇と高木に怒られた。なにこの理不尽。


「……ま、なんとかなるだろ。いざとなったら──」


 いつものように、手伝ってもらおう。

 困難をともに乗り越えてきた、”こいつら”に。



 ──なあ、そうだろ?



 己のうちに問いかけると、俺のなかで六つの意思がぽうっと灯って応えてくれた気がした。



(了)

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