09-36-人間の敵は

「お父様もお母様もずっとアルカディアにいるのに、シュウマツのことをなにも知らない様子だったの……!」


 灯里は己のうちにある恐怖じみた感情をすべて吐き出すように声を荒らげた。


「シュウマツのことを知らない? アルカディアにいるのに? そんなことがあるのかしら……?」

「あるんじゃないの……? いくらアルカディアにいたって、エシュメルデに住んでいないかもだし」


 おとがいに細い指をあてて考える七々扇に、小山田が不安げな目をやった。

 俺は「いや」と首を横に振り、


「掲示板の話だから信憑性しんぴょうせいはアレなんだけど……。今回のシュウマツはアルカディア各地で発生している、みたいな話題になってたんだよ。ひとりがそう言ってるだけならともかく、何人もが」


 次の日にはそんな書き込みもなくなっていたんだけど、と補足し、続ける。


「だからシュウマツはエシュメルデだけじゃなくて、アルカディア全体を揺るがす災厄だっていう認識はあるはずなんだよ。灯里の親御さん、学生時代からってことは何十年もアルカディアにいるんだろ? 知らないなんてこと、あるのか?」

「伶奈、シュウマツのイメージスフィアってご両親に見せたのー?」

「ぅ……それは、まだ……」


 鈴原の問いかけに灯里はうつむき、ちらちらと俺に視線を送ってくる。

 なんだろうと思い、首をかしげる前に視線の意味に気づいて慌てて俺も顔を逸らす。


 間違いない。天泣のカカロの最後の一撃デッドアタック天泣ティアリング・アローレインを受けたときのことだろう。 

 その、一番ヤバいところは祁答院が隠してくれたものの、その直前、俺はおもいっきり灯里にのしかかっている。


 これ、灯里の親御さんから見たら相当ヤバいんじゃないの?

 しかも灯里の父親って警視総監だろ。勝手なイメージだけど、なんかこう、灯里を溺愛しているイメージがある。


 緊急措置とはいえ、どこの馬の骨かもわからない男に愛娘が……。


 灯里はそういったあれこれを危惧して隠しておいてくれたのだろう。サンキュー灯里。俺、お前のおかげで指名手配犯にならずに済んでいるのかもしれない。


「家令の三船さんにも見せていないのかしら?」

「ううん、三船さんには見てもらったよ。でも三船さんは自分のことはなにも喋らないから、アルカディアにいるかどうかもわからないの」


「カレー?」

「家令だよ、藤間くん」


 こんどこそ首を傾げた俺に祁答院が苦笑する。

 あまりにもみじめな間違いにこっ恥ずかしくなって視線を逸した先では、高木が勝ち誇ったような顔で口角を上げていた。


 ……なんだよ。男なら執事、女ならメイドさんって言ってくれよ。


「ちなみにメイドと呼ぶとかなり機嫌が悪くなる。以前、みんなで伶奈の家にお邪魔したとき、直人と慎也が『メイドさんだ』っていったとき、ふたりは彼女に虫螻むしけらを見るような目で見られていた」

「お前まで脳内覗くのやめろよな……」 


 耳打ちしてきた祁答院に悪態をついてひっぺがす。


「灯里。きみのご両親がシュウマツのことを隠しているんじゃないのか」


 つまらないことで弛緩しかんしかけた空気をエンデがもとに戻してくれた。


「その可能性も考えられなくはありませんが……私には両親が嘘をついたり誤魔化そうとしている顔に見えませんでした」


 灯里の「考えられなくはない」を補足すると、アルカディア・システムは知人による牽引けんいん──いわゆるパワーレベリングを非推奨としている。

 なんでも成長の過程で多くの助けがあると、本人が強くなれないからだそうだ。

 助けられて得た力はレベルこそ高いものの実践慣れしておらず、有事のときには役に立たないハリボテ。


 そうならないよう、己の力や自分と近しい実力の者たちで助けあい、自立した力と絆を育みなさい、ということらしい。


 あくまでも"お願い"という形ではあるが、鳳学園高校でもそういった連絡が家族に通達される。


 そういうこともあり、一年生、二年生、三年生はアルカディアにおいて、担当──というか、降り立つ街が違う。これは先輩が後輩を、あるいはきょうだい間で安易に助けないようにするためらしい。エシュメルデで上級生に出会わないのはこのためだ。


 ……イメージスフィアの購入は推奨しておいて、過剰に干渉しないように、というのも勝手な話に感じるが。


「……ふむん。なるほどな」

「なにかわかったんですか?」

「あくまで推測だがな。向こうでは世俗を離れて久しい。次に向こうで日本へ帰ったら俺も調べてみよう」


 エンデってマジで何者なんだよ。日本にすら居ねえのかよ。


「その推測を聞かせていただくわけにはいきませんか?」


 よほど不安だったのだろう、灯里がエンデに食い下がる。


「ふむん……。きみたちはどう思う?」


 エンデはまた質問を質問で返してくる。

 それが意地悪ではなく、まるで教師が生徒に考えさせるときのやりとりによく似ている気がした。


 俺の考えはふたつ。


「失礼なことを言ってしまったらごめんなさい。メディアがアルカディアの動向について細やかに取りあげない以上、やはりなんらかの力が働いていると考えるべきではないかしら」


 そのうちのひとつを七々扇が口にした。


「追放やシュウマツの異常とも言える残虐性をメディアで大々的に公開すれば、アルカディアへの参加者はいなくなる。そうなれば、国家の財政は苦しくなってしまうわ」

「「「おー……」」」


 淀みなく語る七々扇にいくつもの感嘆の声があがる。


 七々扇の言う通り、アルカディア・システムは各国に財政的利益をもたらしている。


 イメージスフィアの売上金やスフィアシアターの入場料などを合わせると、ギアを通して異世界勇者に支払われる報酬──俺たちにしてみれば、カッパーやシルバーを両替して得た収益──を差っ引いても莫大な利益が残るらしい。


 国家公務員である灯里の父親とその伴侶である灯里の母親は、国益であるアルカディア・システムが不利益になるような言動を徹底して控えている?


 俺が見た掲示板も、国家からの圧力が管理者にかかり、記事の削除や捏造があった? あるいは多くの人間を投入し、シュウマツを隠すように操作している?


 ……強引だが、考えられないことじゃなかった。


 国家単位で隠しているんじゃないか、という案は俺も持ってはいたが、それはあくまで〝こんな残虐が起きている〟という倫理的な部分を、平和主義のこの国がひた隠しにしようとしているのではないか、というものだった。


 七々扇は俺の先──国の財政とひもづけて、よりリアルな考えを披露した。


 となれば、俺のもうひとつの考えも、より現実味を帯びたものにしてくれるかもしれない。そんな思いが、俺に口を開かせた。


「俺は、アルカディアがいくつもあるんじゃないか、って思った」


 いくつもの視線が俺に注がれる。


「アルカディアはゲームみたいな世界だろ。オンラインゲームって、サーバがいくつもあって、同じ世界だけどプレイヤーキャラクターが違うんだよ。サーバごとに違うイベントが開かれるゲームもある。だから──」


 まるで己がデータ化されているような、いやな感覚を覚えながら続ける。


「ここにいる俺たちは同じサーバにいるキャラクターで、ディザスターとか言ってるやつらは別のサーバ……アルカディアにいるんじゃねえかな、って」


 同じように、灯里の両親もじつは俺たちのいない、シュウマツのないアルカディアにいる。だから、シュウマツのことがわからない。


「ふむん……。七々扇の意見も藤間の意見も非常に興味深い」


 エンデはそう言って考え込んでしまった。

 考える素振りも興味深いという言葉も、そして自分たちで知るべきだというスタンスも、担任の西郷によく似ていると思った。……言っちゃ悪いが、西郷はこんなに凛々しい姿をしてないけど。


「俺から言えるのは〝この世界はゲームではない〟ということだ。アルカディアにはスキルがあってステータスもある。しかしそれはあくまで、かつての異世界勇者が用意した〝情報〟に過ぎない」


 エンデの言葉は、俺が知りたいこととはかけ離れていた。ひとこと物申そうとしたとき、彼は「まあ待て」と手で制した。


「〝アルカディアは幻想ではなく、実際に存在する〟。転移場所と時間軸が特殊なため、地球とアルカディアを行き来しようとすれば、本来ならば先に身体が滅びる。だから夢の力を使い、魂だけをアルカディアと往復させる。それがアルカディア・システムだ」


 部屋にざわめきが生まれた。

 アルカディアは実際に存在する──それは聞いていたし、感覚も現実と変わらない。

 しかし、魔法の存在や、エンデも言ったスキルやステータスの存在が、この世界がゲームのなかのようだと訴えてくるのだ。


「どうやらきみたちは、この世界をゲームと取り違えすぎているようだ。……いや、それも時の流れというものか。本来、向こうとの違いは〝マナフライが飛んでいるか飛んでいないか〟だけだったんだがな」

「マナフライ? ……マナフライって夜になると明るくなる、あのマナフライですか?」


 灯里の質問にエンデは首肯で答える。同時に「やはりまだそれすらも知らないか」とでも言うようなため息をひとつついた。


「いまのきみたちに言えるのは、アルカディアはゲームじゃない。だから、藤間の言うようなサーバがいくつもあって……ということはあり得ない、ということだ。そして──」


 エンデは俺の考えをもういちどばっさりと否定したあと、表情に驚くほどの悲哀ひあいを宿し、まるでこの世の辛酸をかき集めたような声で呟いた。


「やはり、人間の敵はモンスターではないのかもしれんな」


 祁答院や七々扇、高木が「どういうこと?」とエンデに詰め寄るが、エンデに答える様子はなかった。

 語らぬエンデに、祁答院は拳を震わせる。


「人間の敵がモンスターじゃないのなら、俺たちはなんのために闘っているんだ……!」


 彼のそんな苦々しい言葉の意味はわかる。


 しかし俺は、ああ、やっぱりな……って思った。


 だって。


『これは──俺の挑戦だッ!!』

『グルァァアアアアアッッ!!』


 俺の敵は、モンスターなんかじゃなく……


『全部藤間が悪いんだからなぁ。なぁそうだろみんな? ヒャッハッハッ──』

『芹花が藤間くんみたいなクソザコを好きになるわけないじゃないですかー☆』


 ……本当の敵は、いつも、人のカタチをしていたから。



──



「そろそろ時間だ」


 指先で眼前に表示させたウィンドウを確認するエンデに対し、祁答院が一歩詰め寄る。


「……待ってください。まだ、わからないことだらけです」


 エンデはある程度は俺たちの質問に答えてはくれたものの、知ろうとすればするほど新しい謎が次々とあらわれて、余計にわからなくなったというのが正直な感想だ。


「祁答院。きみはなんのために闘う?」


 突然の問い。

 祁答院は口を引き結んで考える素振りを見せるが、エンデはその答えを待たず続けた。


「俺の答えを聞いて、きみの正義が変わってしまうのならば──それは、正義などではない」

「それは……!」


「すべてを救うことなど、誰にもできないと思うがな」

「っ……!」


 すべてを見透かしたように呟くエンデ。

 祁答院の歯を軋ませる音が、俺の耳にまで聞こえてくるようだった。


「だから俺は〝犠牲に異世界勇者を選んだ〟。住民でも、モンスターでもなく、な」


 エンデは「すこし喋りすぎたな」と苦笑する。


「いまは、考えろ。アルカディアとはなにか。モンスターとは。シュウマツとは。考えて考えて、答えを見つけ出せ。次に会うときまでに、もっと深く話せるところまできみたちが成長してくれていれば、嬉しく思う」


 ようするに、情報を手に入れるには情報が足りないということだった。


「こんなことを俺が言うのも変だが、きみたちはまだ高校生だ。シュウマツにとらわれて青春を謳歌できないのはまちがっている、と思っている」


 急になんだ、と俺たちはエンデに胡乱うろんげな視線を向ける。

 しかし、そうして見たエンデの顔には、柔らかな笑みが浮かんでいた。


「きみたちには日常がある。そしてアルカディアにも楽しいことはたくさんある。いまなら屋台も多く出ているし、街をぶらつくのも楽しいだろう。この平和をエシュメルデにもたらしたのは──シュウマツを週末に変えたのは、きみたちだ」


 結局、エンデが元異世界勇者だということはわかったが、どうやら完全に味方、ってわけでもないらしい。


 しかし、そもそも人間とは、敵と味方で単純に区別できるものではない。


 俺が、俺と祁答院を陰キャと陽キャで隔て、勝手に単純な二項対立にしてしまったように、あるときは手を取り合い、あるときは背を向ける──人間とはそういう生きものなのだと、俺はこの数日で知った。



「エシュメルデの住民もきっと思っていることだろう。──異世界勇者が週末を謳歌して何が悪い、とな」


 そして、エンデのことは味方だと思いたい──いまは、心からそう思う。


「次はいつ会えますか?」

「そうだな……。きみたちが第二次シュウマツに勝利した暁には、また顔を出そう」


 エンデはそう言って、自身の足元に彼の表情には似つかわしくない漆黒の魔法陣を出現させた。


「……ああ、そうだ。忘れていた。──藤間」


 魔法陣から現れた暗黒と白銀の光を纏いながら、エンデはもう一度俺に向き直る。 


「昨日、うさたろうに翼がはえ、二色の珠を浮かべていただろう。あのとき、きみになにが起こったんだ?」


 そういえば昨日、次に会うときに教えてくれって言っていた。

 正直俺にもよくわかっていないんだが、意趣返しのつもりで質問に質問を返す。


「……エンデさんはどう思うっすか?」

「ぐむん。……それが一向にわからなくてな。教えてもらえるとうれしい」


 エンデは屈強そうな身体に、困ったような表情を浮かべた。

 俺は不器用に笑みをつくり、


「じゃあ、エンデさんは情報不足っすね。次までに考えておいてください」


 そう密かにやりかえしてやった。

 エンデは一瞬ぽかんとした顔になり、


「くくく……はははははっ……! してやられたな……!」


 じつに楽しそうな声で笑った。


「おあいこっす」

「くくっ……。ああ。おあいこ、だな」


 エンデはくつくつと嬉しそうに笑み、


「──それにしても、うさたろう、か。コボたろうといい……ふふっ」

「……なんすか」

「いや、じつに良い名前だと思ってな」


 エンデの顔にはやはり柔らかい笑みがあるだけで、俺をからかうような様子はない。


 俺の胸のうちで、いくつもの魂が「あたりまえだ! ご主人さまがつけてくれたんだぞ!」と言っているような気がした。



「じゃあな。また会おう。──良い週末を」


 エンデはシュウマツが終わったあとと同じようにそう言って、こんどこそ漆黒の魔法陣の上でその姿をかき消した。


 ふわりと舞う、漆黒の羽根。

 床に落ちた一枚を拾いあげる。


 まるでからすのそれだ──そう思った瞬間、羽根は俺の手の中でふわりと溶けて消えた。

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