09-35-胡蝶のゆくえ

 エンデの言葉を聞き、ここ──ギルド二階の会議室は騒然となった。


「元ってどういうこと?」

「もしかしてエンデさんも追放されたんですか?」

「でもそれじゃあ、アルカディアにはもう来られないはずじゃ?」


 かけられるいくつもの質問に、エンデは「俺のことはいいだろう」とにべもない。

 大きな疑問が浮かんでエンデに目をやったとき、祁答院が端正な顔を苦々しく歪めながら、エンデに問いかけた。


「……どうして元異世界勇者が、シュウマツの立会人なんてやっているんですか」


 俺の脳裏に浮かんだ疑問。祁答院の質問は、まさにそれだった。


 俺たち異世界勇者は大きな力に命じられるまま、シュウマツに立ち向かった。

 シュウマツとは、アルカディアを脅かす災厄であり、異世界勇者の敵であるはず。

 そうじゃなかったら、嘘だ。


「それに答えるには、シュウマツとはなにか、から話さなければならない。そしてそれは、俺の口からではなく、君たちが成長しながら知っていくことだ」


 思い出す。

 エリーゼやココナ、ダンベンジリたちの──街の慟哭どうこくを。

 シュウマツに選ばれたとき──教室での、アッシマーの表情を。

 降りしきる矢の雨の下、俺を守るために自ら追放されようとした灯里の悲哀を。

 そして、無理やりに笑顔をつくって散っていった、コボたろうたちの覚悟を。


「異世界勇者は──俺たちは、シュウマツと闘わなければならないんじゃないのかっ……」


 祁答院は力なく拳を机に落とした。

 祁答院の拳が俺の握った拳と同じ思いを纏っているのなら、この怒りにも似た感情は、エンデが質問に答えなかったことに対してではない。


 アルカディアでは人間とモンスターとの闘いがあって。

 モンスターに対抗するため、異世界勇者を召喚した。

 

 その究極とも言えるべきものがシュウマツだと思っていた。……いや、いまでもそう思っている。


 立会人っていうのは、”中立の立場”から不正がないかを見定める者のことだ。

 それなのに、シュウマツを打ち破るべき異世界勇者のエンデが中立の立場でいる。


「もしも俺の口からシュウマツとはなにか、俺がどういう人間か、を語れば、このなかの数人は俺に共感するかもしれない。……しかし、それでは駄目なんだ」


 俺たちの未来を心から案ずるような言葉や、優しさと寂しさがい交ぜになった顔をしなければ。


「人生には、答えがない。長い旅の途中に、ただ無数の選択肢があるだけだ。……その選択肢をせばめてほしくない」


 エンデが元異世界勇者でありながらどんな悪者でも、敵でも、シュウマツの立会人だったとしても。


「俺は、シュウマツそのものを消滅させようなんて考えを持っていない。それでも、君たち異世界勇者には、シュウマツを乗り越えてほしいと心から願っている」



 俺も祁答院も……きっとほかのみんなも、こんなにも戸惑うことなんてなかったのに。



──



「渦が現れたとき、第一次シュウマツの渦と表示されましたが、エシュメルデでは過去にもシュウマツの渦が発生しています。どうして第一次なのでしょうか」

「エシュメルデは過去に何度もシュウマツに敗れ、その都度壊滅し、復興している。今回は新生エシュメルデにとって第一次シュウマツという意味だ」


「シュウマツはまたやってくるのでしょうか。まさか、来週末に第二次、なんてことは……」

「じゅうぶんに有り得る話だ。過去を見ればシュウマツは金の曜か土の曜、二週間がいちばん多いが、二週連続だったこともある」


 エンデの言葉を聞き、七々扇は驚くというよりも、なかばわかっていたことに対して諦めた様子で一礼し、椅子に腰かけた。


 現実で澪が言っていたように、やはりシュウマツはまたやってくるのだ。それも、近いうちに。

 そうなると、エシュメルデはまたあの慟哭に包まれ、異世界勇者は──


「……あ」

「え、なに。なんなのよ」


 思わず声が出た俺に、三好伊織が訝しげな視線を送ってくる。


 思い出したのだ。

 現実で俺が触れた、薄ら寒くなるような矛盾を。


 エンデに訊くようなことではないとは思ったが、逡巡の後、結局俺はそれを口にすることにした。


「あの、ディザスターとかアーマゲドン……あと、滅びの空、って聞いたことはありますか」


 俺の質問に、みなが首をかしげる。それはエンデも同じだった。


「不吉な単語だな。滅びの空はともかく、ディザスターは災害、アーマゲドンは最終決戦という意味だったか……? しかし、藤間が俺に訊きたいのはそういうことではないのだろう?」

「そう……っすね……」


 残念ではあったが、匿名掲示板でのことをエンデが知っているはずもなかった。


「藤間くん、ええと……でぃざすたー? って、昨日言ってた……?」


 そういえばアッシマーにはバイト終わりにパン工場の前で訊いていた。


「ああ」

「もう……。やっぱり大事なことだったんじゃないですかぁ……。もう……」


 あのときはたしか、アッシマーに訊くだけ訊いておいて、でも不安にさせたくないから「なんでもない」って突っぱねたんだったか。

 アッシマーはぶーたれて頬を膨らませる。


「こんどはちゃんと教えてください。藤間くんの言う、でぃざすたー? って、なんなんですか?」

「んあ、いや……」


 至近距離からアッシマーにじいっと瞳を覗きこまれ、顔を逸らすもすでに耳目は俺達に注がれていて、俺は諦めてすべてを話すことにした。


 匿名掲示板のこと。

 シュウマツ前夜、シュウマツの話題で盛り上がっていたこと。

 しかしシュウマツが終わってみると、掲示板ではシュウマツの話題はひとつもなく、ディザスターとかアーマゲドンとか滅びの空とか不穏な単語がシュウマツに成りかわり、このエシュメルデや、他の大型都市であるアスティアやディアレイクを蹂躙したとみなが話しあっていたこと。

 そして、俺がシュウマツの話題に触れても、誰もシュウマツを知らない様子だったこと。


「それは……狐につままれたような気分だっただろうね」


 祁答院は腕を組んで首をかしげながら、しかし俺の話を信じてくれたようだった。


「浦島状態っつーかなんつーか……。まあそんなことがあってだな」

「ふむん……。すまんが俺にはわからんことだな。……藤間、きみ自身はこのことについてどう思っている?」


 質問で返されるとは思っていなかったから少々面食らったが、とくに隠す必要も感じなかったため、昨日から考えていたことを口にする。


「ひとつは、なにか大きな力が動いていて、意図的にシュウマツの情報を集団で塗り替えている、とか」

「あーね。あたしもそうなんじゃないかって思った」


 高木が長い脚を組み替えながら、手をひらひらと振った。


「だって、アルカディアのこととかたまにニュースで取り扱ってるけど、何人募集とか、市役所で受け付けてますとか外側ばっかじゃん。シュウマツのこととか追放のこととかニュースになんないのおかしくね?」

「うん、ウチもそれは思った。昨日のニュースでも、そんなことひとことも言ってなかったよー」

「でしょ。追放で一時的に人格変わるとか、ぶっちゃけ警察沙汰じゃん。テレビもそうだけど、警察が動かないのおかしくね? ……あ」


 高木はそこまで言って、灯里に向かって慌てて両手を振る。


「ごめん、伶奈んちがどうこうって話じゃなくてさ」

「うん、大丈夫だよ。……ごめんね、その……」


 灯里は高木に笑顔を見せてから、ごにょごにょと口ごもる。


「いいっていいって。親は親、伶奈は伶奈じゃん」

「ありがとう亜沙美ちゃん。……ううん、でも、違うの。じつは、私も不思議に思っていたことがあって……」


 灯里は話すべきか話すまいか迷ったようなそぶりだったが、そういうのを嫌がるだろう高木に促され、それを口にした。


「私の両親も、じつは異世界勇者なの。学生のころから」

「そーなん? あたしんちも兄貴がそうだよ」


 高木はとくに驚いた様子も見せず、灯里に続きを促す。


「それでね? シュウマツの前日、渦に参加することになった、って両親に伝えたんだけど……」


 灯里は溜まっていた不安をすべて吐き出すかのように声を荒らげた。



「ふたりとも目を丸くして、なんのことかわからない、って。シュウマツがなんなのか、本当にわからないみたいだったの……!」

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