09-32-雲を払うひかり

「俺の頼みをひとつきいてほしい」


 エンデがそう言ったとき、俺たちは──すくなくとも俺は身構えた。


「頼みとはほかでもない。この世界の人たちを、恨まないでほしい。このとおりだ」


 しかしそんな台詞が飛び出して、俺の口から「は?」なんて情けない声が漏れた。

 

「彼らはシュウマツの渦を知っていた。しかし君たちにはそれを言わなかった。……いや、言えなかった、と言ったほうが正しいか」


 たしかに俺たちとは違い、エリーゼやココナ、ダンベンジリをはじめとするこの世界の住人はシュウマツのことを知っていて、それを前もって俺たちに伝えるようなことはしなかった。


 アルカディアでの”死”──つまり痛みに対する恐怖から、アルカディアを去る異世界勇者は多い。


 シュウマツみたいに恐ろしいイベントが定期的に開催されることを知れば、ギアを返納してアルカディアから撤退する人間がいるであろうことは想像に難くない。


 だからエリーゼもココナもダンベンジリも、あえて俺たちにシュウマツのことを言わなかったのだろう──俺はそう思っている。


 俺には彼ら彼女らの気持ちがわかるし、俺だって彼らと同じ立場なら、同じように口をつぐんでいたかもしれない。


 恨む理由になんてならない。


 しかし、これはあくまでも俺の意見で、人間の感情は千差万別。

 そういうことは早く言えとか、わかっていればもっと早く対策ができたのに、と怒りをあらわにするやつもいるだろう。


 それは理解できる。

 理解できないのは、なぜエンデがそんなことをわざわざ俺たちに頼むのか、ということなのだ。


「あの……それだけ、ですか?」


 七々扇が整った顔立ちを驚きに染めたまま問う。対してエンデは真面目な表情のまま、


「ああ。それだけだ」


 と真面目そうな顔で頷いた。

 俺たちは顔を見合わせる。どの顔も「え……マジでそれだけ?」とものがたっていた。


 そのなかで、きゅっと拳を握り、なぜか悔しそうに顔を歪めたやつがいた。


「それじゃあ、その、お願いになっていませんっ」

「ぐむん?」


 アッシマーだった。

 

「わたしたちはみなさんに感謝こそしていても、ぜんぜんまったく、これっぽっちも恨んでなんかいませんっ。だからエンデさんのお願いごとにはなりませんっ」


 恨んでなんかいませんっ、まではみんなが頷いて同調していた。が、最後まで聞いて、海野と、癪なことに俺の表情もきっと「余計なこと言うなよ」と慌てたものに変化してゆく。


「だからエンデさんのお願いにはなりませんっ。なにかちゃんとしたお願いごとはありませんか?」


 海野が頭を抱えた。俺はため息をついた。


「いや、あるにはあるが、さすがに厚かましいだろう」

「いえっ、エンデさんはわたしたちのお手伝いをしてくれました。こんどはわたしたちにもお手伝いさせてくださいっ」


 アッシマーはふんすと鼻息荒く両拳を握ってエンデに大きな瞳を向ける。

 いや、言ってることはわかるんだ。でもこっちからわざわざ藪蛇やぶへびを突っつかなくてもよくね? ってのが俺の意見なんですが。


「私もしーちゃんに賛成。ね、みんな?」

「あたしも。つーかさ、ここでわかりましたって言ったら、”お願いされたから”あたしが女将とかココナを恨まないってことになっちゃうじゃん。あたしは最初から恨んでないんだっての」


 灯里と高木がみんなを振り返ると、


「お、おう! オレも最初からそう思ってたぜ! な、なぁみんな!」


 海野が慌てて拳を突きあげた。こいつは……。


 まあ、いま俺のアイテムボックスに収納されている『サモナーズ・トリビュート』もエンデがいなければ渦の中に置いてくるしかなかったんだ。その恩義には報いるべきだろう。

 面食らった様子のエンデは躊躇ためらいがちに「ならば遠慮なく」と長身を伸ばす。


「シュウマツの渦の撃退に成功すると、〝週末の風〟というボーナスイベントが発生する。とはいっても、従来これはエンデ──つまり俺が起こすものなんだが」

「ボーナスイベント、ですか?」

「クリア報酬ならウチらもうじゅうぶんだよー」


 祁答院が腰に差した新品の剣を見やり、鈴原がレアえびらを撫でる。


「いや、異世界勇者に対してではなく、街の住人に対してのボーナスだ。いま、街は祭のように賑わっているだろう。その祭の助成金を俺が与えるような感覚だ」


 なぜわざわざそんなことをするのか。

 賑わってるならそれでいいじゃねえか。

 それにどうしてエンデがそんなことをするのか。


 疑問は尽きないが、いまはただ話を聞くことにした。


「先代のエンデは冒険者ギルドや街の有力者に金やユニークアイテムを渡し、それらを分けるように指示していた。しかしこれも問題でな」


 え、なに、先代のエンデって。


「みな、力のある者に忖度そんたくし、有力者や権力者同士で分けあってしまい、平民以下に流れるのは僅かな残りカスや絞り汁。この街の貧富の差は開いていくばかりだった」


 「力ある者がより強くなるのは当然だ、と先代は意志を貫いていたがな」とエンデは端正な表情に自嘲的な笑みを刻む。


「なら最初からお金が困ってる人たちにあげたらいいじゃん」


 高木がさも簡単そうに胸を張る。俺は控えめに手を挙げて、


「それはあんまりよくないぞ」

「どーして?」

「いま話を聞いた感じだと、街の有力者とか権力者ってのもテンプレ通りのクズだろ。末端に施しても取りあげられるだけかもしれねえし、最悪、逆恨みで虐められる可能性だってある」


 高木はげんなりとした顔で、うへぇ、と俺に真っ赤な舌を見せつけてくる。


「あんた、考えかた暗すぎない?」

「暗いのは否定しねえけど、間違ったことも言ってねえ」


 テンプレ通りのファンタジー世界。

 テンプレ通りの上層部クズ

 テンプレ通りの貧富の差。


 貧しきものに施しを与えて安直にヒーローになる、って展開もテンプレとしてはよくある話だが、人間はあんなに簡単じゃない。


「人間は嫉妬を成り上がりの原動力にしておきながら、人の上に立ってもなお、自分が格下だと断じた人間の幸福に嫉妬する。そんなつまんねえ生きものだからな」


 その幸福が自分に舞いおりれば、自分はもっと上にいけるのに……と。 


「藤間くんは相変わらずひねくれてますねぇ」

「陰キャだからな」

「あははー、開き直っちゃったー……」


 アッシマーと鈴原が顔を見あわせて苦笑する。

 いやもうこればっかりは許して。


「依頼内容を聞いてもいいですか?」

「ここまでに疑問が山ほどあるのだけれど……ひとまずはそうしたほうがいいわね」


 こんなときに頼りになるのは、やはり祁答院と七々扇である。

 ふたりがまとめてくれた情報によると、つまるところ、エンデの依頼はこうだ。


────────


・街の人たちが喜ぶプレゼントがしたい!٩( 'ω' )و

・でも貧富の差が開くことは避けたい!٩( 'ω' )و

・エンデさんは目立ちたくない!٩( 'ω' )و

・なにかいい方法はないかなー?٩( 'ω' )و

・いぇい!٩( 'ω' )و


────────


 鈴原が【紙生成】スキルで取り出した白紙に、彼女の丸っこい文字が並んだ。


「できたー」

「マジでなんなのこの顔文字……」


 宿屋で目標を立てたときもそうだったけど、不要な情報が多すぎて、目が滑っちまう。


「貧富の差か……難しい問題だね」

「エンデさん、予算はどれくらいの予定なのかしら?」

「それよりも街のニーズを調べたほうがいいわよ。リサーチはしてあるわけ?」

「エシュメルデの人口はわかりますか? 貴族と平民以下の割合とか……」


 しかし祁答院も七々扇も鈴原の独特なメモを気にした様子はなく、三好姉弟も会話に参加してゆく。


「金にするから取られるんじゃないの?」

「お、そーだ。魔石にすればよくね? 水の魔石とかなら喜ぶんじゃねえの? 俺、天才マンかよ」

「うーん……魔石は取りあげられちゃう気もするな……。いっそのこと、お金をこっそり渡しちゃって、さっと使ってもらうのはどうかな?」

「でもお金だと、あとからバレて恨まれてしまう気がしますっ」


 高木も海野も、国見さんとアッシマーも。


「でも、これって誰がみんなに渡すの? あたしたち?」

「エンデさん……では、ないんですよね」

「ウチらってことになるのかなー?」


 小山田も小金井も、鈴原も。


「ふふっ……」


 灯里が俺の隣でくすくすと笑った。


「え、なに」

「ごめんね、クラスの話しあいみたいで、ふふっ……なんだか楽しいな、って」


 ディベートか。

 いつも聞いているふりだけしていた俺にはいまいちピンとこない。


「藤間くんもなにか意見はあるかい?」


 祁答院が俺に問うてくる。

 こういうときは、こう返すと決まっていた。


『あー……べつにそれでいいんじゃないっすか』


 しかし俺は脊髄反射で喉の奥まで出かかったその言葉を飲みこんだ。

 だって、机の向こうから声をかけて来た祁答院には、議長だからとか、責任感から俺に訊いている、といった様子は微塵もないから。


 ……いや、違うか。


 祁答院、お前は最初から、そういうやつじゃなかったんだよな。

 俺がお前を、そういうふうに勘違いしてしまっていただけだったんだ。


 青空を、俺の胸のうちにある灰色の雲が覆い隠していただけだったんだ。


「意見っつーか、やっぱ現地の人間の声は必要だろ。下の酒場に知り合いがいないか、見てくる──」

「藤間くん、ありがとう!」


 目も眩むような祁答院の笑顔。


「い、行ってくる」


 俺にはやっぱりそれが眩しくて、逃げるように部屋を出た。


「私も行くね」


 背後から灯里の声が聞こえて、押し開いた扉を後ろ手で支えて待つ。


「ありがとう。……ふふっ、藤間くん、顔真っ赤」

「え、嘘だろ」


 右手で右の頬を触ると、たしかに熱気が伝わってきた。


 灯里の細い指先が、空いた俺の左頬をつんつんと突いた。


 予想だにしないことに慌てて飛びのく。

 右手に伝わる温度が急激に上がった。


「ちょ、なにやってんのお前」


 俺の胡乱げな視線にも灯里は笑顔で返してくる。


「祁答院くん、うれしそうだったね」

「は?」

「藤間くんが、こんどこそちゃんと応えてくれて」


 かつての俺と祁答院のやりとりを、どうして灯里が覚えているのか。


「だって私、ちゃんと見てるから」

「脳内を覗くのは勘弁してくれよ……」

「ふふっ、顔を見てたらわかるもん」


 ちぇっ、とひとつ悪態をついて、ギルドの廊下を横並びで歩く。


「ちなみにどんな顔だった?」

「こんな顔。こーんな」


 いつか高木や女将がしたように、灯里も眉間にしわを寄せて顔をぷるぷると震わせる。

 ぶっちゃけあんまり可愛くない。灯里が可愛くなくなるって、俺よっぽど可愛くないんじゃないの?


「はぁ……」


 今日何度目かのため息をつきながら廊下を折れた。


 ギルドの天井は吹き抜けになっており、天面にはガラスが張られている。

 陽光が二階のフロアを優しく照らし、ガラスの縁の形に影ができていた。


 ソウルケージを眺める女性や、椅子に座って雑談するパーティや、受付嬢を口説いているのか、カウンターに肘を乗せる冒険者がいる。

 見知った顔はない。……ということは、喧騒がここまで轟く階下へ降りなければいけない、ということだ。


「私、みんなが知ってそうな人を探してこようか?」

「んあー……。……や、いい。さすがに悪いしな」

「じゃあ、一緒にいこ?」

「むしろ俺ひとりで行ってくるから、戻ってていいぞ」

「むー。……そういうとこだよ?」


 灯里は俺の言葉に反して、階段へずんずんと早足で歩いていってしまった。


 ぐあ……。やっぱり人と関わるのって大変だ。

 ……でも、もう、いやだとは思わない。


 ふと天を仰ぐ。

 見上げたガラス越しの空には雲ひとつなく、ただただ雄大な青をたたえていた。

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