09-藤間透が週末を謳歌して何が悪い

09-31-惑いのパヒューム

 ギルド二階の会議室にローズの香りが漂ってから三十分ほどが経過した。


 部屋はもう女子の部屋というか、Y〇SHIKIも驚きのかぐわしさに満ちている。


 この香りを、目の前にいる三十人以上のオッサン──ホビットたちが放っているとはいまだに信じられない。


「自信、なくしちゃうな……」

「う、ウチ、だいじょうぶかなー? ひょっとして、くさくないー……?」


 灯里は落ちこんで、鈴原は自分の肩に鼻をよせ、ほかの女子連中も慰めあったりとあせあせ忙しい。


 女子たちを慌てさせる原因のひとり──スキンヘッドのダンベンジリが作業中のホビットの群れからひとり抜けだして、のっしのっしとこちらに歩いてくる。


「透、本当にいいんだな?」

「おう。や、俺が、っていうよりも、全員で決めたことだから」


 俺がそう返すと、ダンベンジリのオッサンは俺たちを見渡してからガハハハハと豪快に笑って、


「勇者さまがたは、まことの勇者さまだ! 長く生きてみるもんだな! ガハハハハ!」


 機嫌良さそうにもう一度笑い、両手を挙げて駆け足で作業へ戻っていった。

 バラの香りを残して──


「どうやったらあのオッサンたちからあんないい匂いが出るんだよ……」


 女子どころか、海野うんのまでもが肩を落としている。

 そういやこいつ、学校にも香水をつけてきていた気がする。


「ホビットは綺麗好きで、一日に何時間も入浴するそうだよ」

「食事にも気をつけているのかもしれないわね」


 祁答院が海野に答え、近くにいた七々扇も会話に参加した。お前らふたり、すっかりこのメンバーの知恵袋だな。


 ホビットたちはこの部屋の半分をしめるアイテムの山をボックスに収納し、あるいは革袋に詰めて、部屋を何度も出入りしながら山を小さくし、ついに最後のアイテムが革袋に仕舞われた。


 彼らは揃って俺たちに向き直る。


「勇者さま、このご恩は忘れませぬ!」

「この大任、我らホビットにお任せくだされぃ!」

「必ずやご期待以上の仕事をしてみせますぞ!」

「その前に下で酒盛り──」

「それは仕事が終わってからだ! 仕事終わりのエールはうまいぞぉ……?」

「違いねぇ! ガハハハハ!」


「「「ガハハハハ!」」」


 うれしそうに笑いながら部屋を出ていく集団から、ダンベンジリがふたたび単独でやってきて、俺に問うてきた。


「今朝、ホビットのところに新しい異世界勇者がやってきたのは知ってるか?」


 新しい異世界勇者?

 俺たちがはじめてアルカディアに来たときみたいな仮宿舎じゃなくて、ホビットのところに?


「や、知らないけど……」

「そうか。ちょっと頼りねえ嬢ちゃんふたりなんだが、よかったら今度、異世界勇者のなんたるかを教えてやってくれよ」

「え。普通にいやなんだけど。なんで俺が……」


 俺なんかよりもたとえば……と、祁答院と七々扇に視線を向ける。こいつらなら喜んで教えてやりそうな気がするんだけど。


 ダンベンジリはそんな俺の顔を両手で掴んで、無理やり自分に向けさせた。


「お前がいいんだよ、透」


 たった今までの飄々とした様子はどこへ行ったのか、ダンベンジリの表情は真剣そのもので、目もとに刻まれたしわと緑色の瞳は誠実をたたえている。


「ワシらを救ってくれて、ワシらの矜持きょうじを守ってくれて、ありがとう」

「ぇ、あ、な、なんだよ急に……」


 俺の両頬を掴んだダンベンジリの熱い手から、熱が引いてゆく。それはどう考えても、俺の顔が熱くなっている証左だった。 


「ホビットは必ず恩を返すからな。覚悟しとけよ透ゥ! ガハハハハ!」


 そしてやはりダンベンジリは俺の心中など知ったこっちゃないといった様子で頬から手を離し、俺の肩をばしばしと叩いたあと、こんどこそ廊下へと消えていった。


「いってぇ……」


 照れを隠すように、たいして痛くもない肩を大げさにさすりながら扉から目を逸らすと、口もとに手を当てて、笑いをこらえているアッシマーの姿が目に入った。


「……んだよ」

「いえっ、ふふっ……。藤間くん、愛されているなあと思いまして……」


 なにが面白いのだろうか、アッシマーはとうとう「あはっ」と口を開けて白い歯を見せてくる。


「そんなんじゃねえっつの……」

「間違いないわよ。よく見たらアンタ、ほっぺにまだ昨日のキスマーク残ってるじゃない。……ぷぷっ」

「だ、だめだよイオ……!」


 三好伊織が俺の頬を指さして、忘却の彼方へ追いやろうとしていた記憶を呼び起こしてくる。清十郎には次回からぜひ、姉がいらんことを言う前にとめてほしいものである。おもに、俺が理不尽な傷を負う前に。


 ホビットたちが出ていった扉が閉まってから十秒ほど経過しただろうか、国見さんが扉から目を逸らし、天井に向かって声をあげる。


「念話。終わりました」


 部屋の一隅いちぐうに青い魔法陣が現れた。

 そこから黒いもやがたちのぼる。

 一羽の巨大なからすを思わせる漆黒は膝裏まで伸びる黒髪へと変化し、人の形をつくっていった。


「……悪いな。あまり人の前に姿を晒したくなかった」


 森のように静かな、しかし海のように深く、大地のように力強い声とともに現れたのは、シュウマツの立会人──エンデだった。


「ホビットはどうしてこうも良い香りがするんだろうな。長い間生きているが、さっぱりわからん。アルカディアの摩訶不思議、そのひとつだな」


 エンデは鼻を鳴らしてホビットの残り香を楽しんで口のを緩めたあと、俺たちに頭を下げた。


「俺の急な頼みを聞いてくれて感謝する。約束だ。君たちの質問を受けつけよう。……ただし、俺にもわからんことと、君たち自身の力で知ったほうが良いと俺が判断したことに関しては答えられないがな」


 エンデの頼みは俺たちからしてみれば、たいしたことじゃなかった。



 話は一時間ほどさかのぼる──

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