09-30-禊(みそぎ) -生きるいみを-

 のどかな、という表現がぴったりのはずの草原にはあわぬ、激しい音が鳴り響いている。


 コボルトが槍を繰り出す。

 刀を下から斜めに振り上げて弾く。

 一歩詰め寄る。

 相手は後ろに跳んで槍を引く。

 身体をひねってかわし、横薙ぎで首を狙う。

 しかし刀と槍のリーチ差で、私の斬撃はヒュンと音をたてて虚空を切った。


 あっ、と思ったときにはもう遅かった。


 大振りを回避したコボルトは私に一歩踏み込んで、二歩目で毛むくじゃらの膝を私へと──


「ぐうっ……!」


 脇腹へ鋭く鈍い衝撃。

 しかし、それとは裏腹に、痛みはあまり感じなかった。


 これはきっと、防具のおかげだ。

 コモンシャツやコモンパンツについている魔力が、私への痛覚──HPダメージを肩代わりしてくれたのだ。


 よろめく私に、もう一歩詰め寄ってくるコボルト。今度は、両手に槍を構えている……!


「うわぁぁぁぁあっ!」


 身をよじると、槍は私の脇腹をえぐりながら通り過ぎた。

 痛みと熱さがほとばしり、顔を歪めたまま、コボルトと至近距離で睨み合う。


 狼のような獰猛な目。

 人間が相手にしてはいけない獣が目の前にいる。


 怖い。

 ……怖い、けれど。


 ぎらつく視線が、威嚇するような声が、獰猛な牙が、私に訴えてくるのだ。


 このコボルトは、いまこのときを、たのしんでいると。 


 鼻と鼻がぶつかるほどの密着状態。

 強烈な獣の匂いがするコボルトの吐息は、驚くほど熱い。


 コボルトの槍は私が右腕で挟んでいて、だからこそ私は右手に持つ刀を振ることができない。


「ふーっ……、ふーっ……!」

「グルゥ……、グルァゥ……!」


 膠着状態。

 私とコボルトの荒い息だけがこの場を支配していた。


 この状況を打破しようと私が左手を腰元まで引いたとき、コボルトがぐばぁ、と口を開けた。


 鋭く尖った牙が並んでいる。


 顔を噛まれるッ……!


 私のあごがコボルトの口内に入ると同時、無意識に刀のさやを握ったまま、コボルトの横顔に左拳を打ちこんだ。


「ブッ」


 驚いたように目を見開いたコボルトの顔が歪み、唾がいくつもの飛沫しぶきとなって私の顔に飛び散った。


 わきに挟んだ槍を解放し、空いた右手の刀を振りあげて──


「はぁぁあああっ!」


 よろめいたコボルトの左肩から右腰までを斜めに切り裂いた。


 コボルトはグゥと呻き、たたらを踏んで後退あとずさる。


 右手に、浅くも肉を裂くはじめての感触。

 豚肉や牛肉……料理のためでなく、いのちを穿つために刃を振るった。


 でも、私は、謝らない。


 それは、このたたかいを、このひとコボルトを軽んじる行為だ。


 もう一歩踏みこむ。


 このチャンスに、このひとのいのちを刈り取るために。


 そうして喉を狙って突いた剣先は、コボルトの槍によって防がれ、逸らされてしまった。


 私はすぐに後ろへ飛び退き、コボルトの蹴りを避ける。

 再び距離をおき、睨みあった。


 互いの息は荒い。ふたりともが肩で息をしていて、コボルトの薄茶色の身体には赤い傷が斜めに刻まれている。


 ……浅かった。

 距離が離れていたため、渾身の袈裟斬りはコボルトに傷を負わせただけだった。


 もっと、近くで……それこそ、刀のつばで斬りつけるくらいのことをしなければ、いのちは断てない。


「ギャウッ……!」

「くっ……!」


 何度も繰り出される槍をもたついた足でかわす。

 右手の刀で、左手のさやでどうにか流れを逸らしていなす。


 防戦一方。

 ──このままじゃ、いけない。


 150cmほどであろうコボルトの槍が、さらに長く感じる。

 刃長はなが70cmの刀では、後ろや横にいくら避けても、槍と刀のリーチ差を埋められない。


 相手の槍は届くが、私の刀はどうあがいても届かないこの距離は圧倒的不利。かといって先ほどのように密着してしまえば、鋭い牙を持つコボルトに対して私が有利を取ることもできない。


 誰かに拳をぶつけたことなどない私がコボルトにダメージを与えることができたのは、きっと、ユニークスキル【ツクヨミ】の力なのだろう。


 私が【和】の属性を持つ凡太刀を装備しているからなのか、凡太刀のさやを無意識に握った左手で殴りつけたからなのかはわからない。


 わかっていることは、いのちを穿つためには、この刀をコボルトの体内に沈めなければならないこと。そして、先ほどよりもずっと深く踏み込んで切りつけなければならないこと。


 そのためには、後ろや横に逃げているだけではだめだ。



 ──勝つためには、”前に避けなければ”。



「うっ……く……!」


 槍が私の左肩をかすめた。それだけで顔が痛みに歪む。


 痛い。

 怖い。

 苦しい。


 負の感情が込みあげて、しかしすぐさま散ってゆく。


 私に恐怖を植えつけている目の前のコボルトの姿勢が、私をひとりの人間大仁田月乃として見てくれている目が、私に勇気を与えてくれている。



 このひとに、応えたい──!



「グッ……!?」


 いままで槍による連撃を続けていたコボルトが驚いたような顔をして、後ろに跳び下がった。


 その隙に、左手に持つさやに右手の刀を這わせて納刀した。


 汗ばんだ左手は腰に差さぬままのさやに手をかけ、驚くほど熱い右手はつかを握り、深く腰を落とす。


 ──居合いあい

 漫画やアニメでは活躍しているが、実際は暗殺や奇襲でなければ不利だとされている構えだ。いまのように相手と向きあった状態では剣速が落ち、攻撃方法が左から右への一撃と単純化するため、こういった場所ではまず使われない。


 それでも私がこの構えを選択したことには、もちろん、意味がある。


 もう一歩踏みこめばコボルトの槍のみが届く間合いだというのに、コボルトは槍を構えたまま、こちらを警戒するように肩で息をしている。


 居合の構えを崩さぬまま私のほうからにじりよると、コボルトは後退あとずさる。


 どのくらいそうしていただろうか、コボルトがふたたび、にいっ、と笑った。


 不思議なことに、私も口のが緩んだ。


 それを合図に、コボルトが裂帛れっぱくの咆哮とともに両手に持った槍で突きかかってきた。


 私は腰を落としたまま、槍に突っ込むように一歩踏みこむ。


 穂先が胸に触れる刹那、身体を左に大きくよじりながら、太刀の鯉口こいくちを開いた。


 

 私が居合この構えを選択したのは、ステータスウィンドウに書かれていた二文字──



「【一閃いっせん】ッッ!」



 逆袈裟ぎゃくけさに放たれる、抜刀切り。


 それは燃え上がるような炎のようであり、白くきらめく光のようであり、コボルトの身体──右腰から左肩までをたしかに切り裂いた。


 私はさやをその場に投げ捨てて、両手で刀を上段に構える。



 これで終わらせる──!



 コボルトの首を狙って振り下ろされた袈裟斬りは──



 ガギッ、と音がした。



 振り下ろした刀は、コボルトの牙に受け止められていた。



「ぇ……」


 目があった。

 黒く、鋭い獰猛な視線。

 

 ズドォ、と激しい衝撃。


 視線を下げると、私の腹部には、コボルトの槍が深々と突き刺さっていた。


 それを見た瞬間、声にもならぬ強烈な痛みが灼熱となって私の身を焼き焦がす。


 私に、コボルトの毛むくじゃらの左手が伸びてくる。

 ──そのまま肩に置かれた手は、信じられないほど優しかった。


 コボルトは左手で私の肩を押さえ、右手に持つ槍を一気に引き抜いた。


 ブッ、ブッ、と二度、鮮血が腹部の風穴から噴き出し、そのあとを追いかけるように、コールタールのようなどろりとした血液が溢れ出た。


 ばくんばくんと脈打つ心臓にあわせて、鋭い痛みがやってくる。


 しかし──


 痛みが引いてゆく。

 熱さが引いてゆく。


 それは痛みがなくなったと前向きに考えることのできぬ、私のいのちが終わってゆく過程における痛覚の喪失そうしつなのだと、冷えゆく身体が教えてくれている。


 私はふらふらとよろめき、草原の上に仰向けとなって倒れこんだ。

 倒れた際に眼鏡がどこかへ飛んでいってしまったが、いまの私にはもう、必要のないものだった。



 ウォォォォォオオオオーーン──



 コボルトの雄叫びが聞こえた。



 生き死にの境目を乗り越えた、勝者にのみ許される咆哮。



 ……私は、負けたのだ。



 悔、しい。



 勝てな、かった。



 しかしこの悔しさは、なにもできない自分に対してではなく、全力を出しきっても勝てなかった、という、どこか自分に胸を張れる感情だった。


 コボルトの咆哮がやみ、草の上で足を引きずって私に近づいてくる音がする。


 にじむ視界に、胸を押さえるコボルトが映りこんだ。


 身体には二筋の傷が刻まれていて、片方の深い傷からは血がしたたっている。


 コボルトは仰向けになった私に、槍を構えた。



 不思議と、怖くなかった。


 

 それは、早く楽にしてほしいとか、どうせ死ぬのだから、といったことではなく──


 ちゃんと最後まで……最期まで、私と向きあってくれることが、うれしかったのかもしれない。


 クラスメイトは、自分が悪者だと露見しないぎりぎりの範囲で、真綿で私の首を絞め続けた。

 母親は、私を捨てた。

 父親は、私を諦めた。


 ただ、死なないように、生かされた。


 それは、生きているとはいえないのではないか。

 それはただ、死んでいないだけなのではないか。


 だから私は、そんな私にふさわしい自分になりたくて、己を傷つけた。


 生きているのか死んでいるのかわからない私にふさわしい手首の傷だけが、私をゆるしてくれる気がしたから。



 それしか、みそぐ方法を知らなかったから。 



 ……矛盾しているようだけれど、私はこの生き死にの境目で、たしかに自分の”生”を感じた。

 それが本当に、自分をゆるすことのできる、なりたい自分だったのかはわからないけれど。


 私は初めて、なにかに立ち向かうことができた。


 逃げずに、このひととたたかった。

 弱い自分からも逃げずたたかった。

 自分のすべてを賭してたたかった。


 その事実が、手首に求めていたみそぎを塗りつぶしてゆく。


 

 コボルトが私の喉に槍を繰り出した。



 ──お見事です。

 次は、負けません。



 私は最期に、コボルトに笑みを向けた。

 ……たぶん、上手に笑えていないだろうけれど。



 私は、生まれかわる。



 生きるいみを、手首の傷に求めない。



 これからの私は──




 もう、私から、目を背けない。




 にじんだコボルトが背負った空は、どこまでも蒼かった。




(続)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る