09-29-傷痕 -虫螻は鷹の夢をみるか-

 秘密さんは両手に杖を握ったまま、私が採取をしていた木の根元を枕にするようにして緑の草に横たわっており、華奢な身体からは緑の光が立ちのぼっていた。


 ──もしかして、魔法の反動で吹き飛んで、地面を転がり、木に頭を強打して……?


 それ、だけで?

 ステータスモノリスで確認した秘密さんのHPが、4しかなかったから……?


 どうして、という思いが頭から離れない。

 しかし疑念にじっくり立ち向かうような時間など、私にはなかった。

 

「イングローネさん! 早く! お逃げくださいっ!」

「で、でも……!」

「いいから早くっ! 逃げなかったら、恨みますっ……!」


 秘密さんの傍で泣き顔になっているイングローネさんに吼えるように告げて正面を向き直ると、コボルトはもう10メートル足らずまで迫っていた。私は手に持った弓を乱暴に放り投げ、腰に差す凡太刀ぼんたちさやからスラリと抜き放つ。


 刀身は白く、動物の骨を思わせる。刃長はながは70cmほどだろうか、打刀うちがたなとしては平均的で、私が剣舞で使用していたものと似た長さだった。


 私は白刃を中段で構えるが──


「グルァァアアッ!」

「ひっ……!」


 私の喉を狙ったコボルトのひと突きを、情けない声をあげながら大きく横に跳んでかわす。


 凡長弓と同じように、この凡太刀を握ったときも、心構え──勇気が湧いてきた。


 それなのに、コボルトの獰猛な目を見て、裂帛れっぱくの声を聞いて、そしてなにより先端の鋭い槍が私に向かってきて、私は恐怖を感じてしまった。


 私の目の前でコボルトが槍を構え直す。私は構えこそとるものの──


「ひっ、ひぃぃっ……!」


 繰り出される槍を退ってかわし、横に跳び、悲鳴をあげながら身をよじり、無様に逃げまどう。


 私はいったい、なにをやっているのか。


 モンスターと戦うと決めたんじゃなかったのか。

 アルカディアにおいて異世界勇者の役割とは、モンスターと戦うことだって理解していたのではなかったのか。


 それなのに、コボルトの殺気と槍の先端がただただ怖くて、一度は構えた刀を振るうことなく、槍の届かない範囲まで逃げる。


 私を追い詰めるコボルト。槍をかわしながら逃げる私。


 どれくらい逃げ回っただろうか、コボルトとの位置関係は大きくかわっていて、コボルトの背に、何度もこちらを振り返りながら逃げてゆくイングローネさんの背中が小さく見えた。


 ──よかった──


 イングローネさんは、ちゃんと逃げられた。

 イングローネさんを、逃がすことができた。


 こんな私でも、誰かの役に立つことができた──



「グルァァァッ!」


 目の前のコボルトが苛ついたように吠える。


 きっと、自分の攻撃が私に当たらないからではない。

 ──構えておきながら、ろくに自分と戦おうとしない私に苛ついているのだ。


 現実と、なにも変わらない。


 物語妄想のなかの私は、不器用ながらもちゃんと勇気を出してものごとに立ち向かう。なのに──


『大桑さん、あんたどっちなん? はっきりしてよ!』

『ぁ……その……』

『全然聞こえねーし!』


 いざとなると、あらかじめ用意した幾千の言葉が、イメージした億千の勇気が、奮えない。


 いまだって、なりたい自分になりたくて勇気を奮ったばかりなのに、自分よりも小さい体躯のコボルトに、そして先端の尖った刃物に怯えてしまい、抜いた勇気かたなをふるえていない。


 自分が、きらいだった。


 想いだけは翼を得て鷹となり大空を雄大に舞うのに、実際はうじうじと虫螻むしけらのように醜く地面を這いずる。


『ねえ月乃、お願い。せめて普通の女の子になって。学校に行って』


 私が、人間だから。

 私が虫螻ではなく、人間だから、こんなことを言われてしまうのだ。


 ごめんなさい。


 ──人間で、ごめんなさい。



 傷が、足りない。

 私を許してくれる、手首のきずがない。



 もしも生まれ変わるなら、私は畜生になりた──


「グルァァウ!」


 そして今度は、イングローネさんでも秘密さんでもなく、敵であるコボルトに意識を引き戻された。


 コボルトは槍を構えたまま、鋭い視線で私に訴えかけてくる。


 言葉は通じない。

 しかし私には、目の前のコボルトが、こう言っている気がした。


 ──たたかえ、と。


 私はただ、漠然と、私ではない私になりたくて。

 誰かを守る力を持たず、それなのに誰も私を守ってくれないと理不尽に世界を、自分を恨み続ける自分を変えたくて。


 だから、アルカディアにやってきたのではなかったのか。

 だから、矢を的ではない”いのち”へと放ったのではなかったのか。

 だから、この刀を抜き、構えたのではなかったのか。


 現実で幾度となく死を求めた私が、なにを恐れるというのか。


 ──ああ、そうか。


 私は、誰かに失望されることを、なによりも恐れていたのだ。

 普通になりたくて、でも普通になれなくて。

 そもそも普通がなんなのかすら、どれだけ考えてもわからなくって。



 私は、



 ただ、

 


 いまの月乃でいいよ、って。



 「お前のペースでいいんだよ」って、誰かに言ってほしかっただけなんだ。




 だったら──ならなくちゃ。



 誰も言ってくれないから。



 せめて私が自分に、いまの月乃でいいんだよ、って言ってあげられるような自分に。



 みそぎを手首の傷痕に求めなくても、自分を許せる自分に。



「……ごめんなさい」


 私はもう一度だけ贖罪の言葉を口にした。

 それは、生まれてきてごめんなさいとか、生きていてごめんなさいとか、そういうことじゃない。


 私が、私になるために。

 自分を許せる自分になるために。



「……たおしますっ……!」



 コボルトは口を歪めて、にいっ、と笑って槍を構えなおした。


 私には、目の前のコボルトが、誰よりも私をひとりの人間として尊重してくれているような気がした。





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あとがき(たびたびすみません)


『召喚士が陰キャで何が悪い』

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