09-28-朧(おぼろ)-其れは外道なりや-

 遠くに見える犬顔ふたつ。


「こ、コボルトだす! に、逃げなきゃ……!」


 コボルトは槍を頭上に掲げ、こちらを威嚇するように吼えながら猛然とこちらへ駆けてくる。


「イングローネ、にげて」


 秘密さんがイングローネさんの拘束を振りほどき、背に担いだ革袋から、頭の飛び出したコモンステッキを取りだした。


「戦うんですか!?」

「た、戦う気だか!?」


 私とイングローネさんが同時に叫ぶ。

 秘密さんは自分の足を指差して、


「わたしは、どのみち、にげられない。イングローネを、まきこんで、しまう」


 イングローネさんは私たちと違い、モンスターにやられると”ソウルケージ”という石のなかに閉じ込められる。

 回収には危険を伴い、復活に多額の費用が、そしてソウルケージの回収に護衛を雇えば、異世界勇者や冒険者へ報酬も払わなければならない。

 なにより、ソウルケージが風に飛ばされたり転がってしまって場所がわからなくなった場合、彼女のいのちを見つけることが難しくなってしまう。


 私も秘密さんも、ここから西門まで300メートルほどの草原を駆けて逃げられるほど体力が残っているとは思えない。


「イングローネさんはお逃げください」


 背に担いだ凡長弓ぼんちょうきゅうを左手に持ち、えびらから一矢いっし取り出す。

 弓を持った瞬間、不思議と力が湧いてきて、胸のうちで荒れ狂う不安はぎ、しじまが訪れた。


「で、でもっ……!」

「早く」


 モンスターが現れて、真っ先に逃げることを考えた。

 でも、秘密さんが思い出させてくれた。


「わたしたちは、ゆうしゃ」

「私たちは、ホビットのつるぎ


 もしもここで逃げてしまったら──


「なりたいじぶんに、なれない」

「なりたい自分に、なれませんから……!」


 秘密さんが地面にコモンステッキを突き立て、私は矢をつがえる。


 死んでも死なない異世界アルカディア

 現実で何度も死のうと思った私が、なにを恐れるというのか……!


「炎の精霊よ、我が声に応えよ」


 私の右前方にいる秘密さんの足元から魔法陣が現れた。

 私は左足を一歩前に出し、矢を番えたまま上体を起こしはじめる。


「我が力にいて顕現けんげんせよ──」


 秘密さんが杖の先端を地面から正面──駆けてくるモンスターの方向へ向けると、魔法陣も杖と同じように足元から秘密さんの正面に角度を変えながら移動した。

 私は上体を起こしながら弓を引き絞る。ギリリと音がして、弓の胴が無骨にきしんだ。


 弓道の近的きんてきにおいて、標的までの距離は28メートル。横並びで疾駆するコボルトはまだすこし遠い。


 もちろん私は、弓を的とわら以外に構えたことがない。

 武道とはそもそも、誰かを傷つけるためのものではない。


 礼節をたっとび、相手を慈しむ心を養う──

 長らく教えられてきた、弓道の基本理念だ。


 的を射ることを最終目的とせず、ただひたすら己のしゃを追求してゆく”道”なのだ。


 しかし私はいま、たとえ相手が私たちを殺すモンスターであるとはいえ、弓道を”いのち”を刈り取る”武器”に使おうとしている。


 ──この道は、”外道”なのではないか。


それは敵を穿うがつ火の一矢いっしなり


 しかし、きっと覚悟を決めた秘密さんの詠唱が、そして私のうちからせり上がってくる熱い力が、引き返すことを許さない。


 これはきっと、ユニークスキル──【ツクヨミ】の力。


 モンスターに対抗できうる力は、私の躊躇ためらいも戸惑いも焼き焦がし、ただひたすらに前を向かせ、弓を軋ませる。 


「ふっ……!」


 28メートル。

 弓道における的までの距離と、私とコボルトの距離を感覚で掴みとり、右手でつまんだ矢を解放した。

 木製ではないためか、ビキッ、と聞き慣れない弦音つるおとがして、放たれた矢は勢いよくまっすぐ飛んでゆき、向かって右にいるコボルトの胸に命中した。



 ──ごめんなさい──



 心中によぎった、小さな仄暗い謝罪は、モンスターに対するものだったのか、それとも弓道を武器に変えてしまったことに対する、己への贖罪だったのか。


 私の矢が胸に突き立ったコボルトは万歳の姿勢になる。


 そこへ──


火矢ファイアボルト


 私の右前にいる秘密さんの、先端だけ亜麻色の髪が揺れた。


 視界を揺るがすような破裂音が響き、魔法陣から尖った炎が射出される。

 私の矢とは比べるべくもないほどの大きい紅蓮の矢は空をだいだいに照らし、緑の草を焦がしながら、両手を挙げたコボルトの腹部に命中し、ドォンと音をたてて爆発した。コボルトは大きく飛んでゆく。


 同時に魔法の反動か、秘密さんの小さな身体も後ろに勢いよく吹き飛んで、両手に杖を持ったまま、私の隣を瞬時に通り過ぎていった。


「秘密さん!?」

「秘密さまっ!」


 振り返ると、秘密さんは何度も地面にバウンドしながら緑の上を転がる。


「秘密さまっ、秘密さまっ!」


 イングローネさんが秘密さんに駆け寄る。私もそうしたいところだが、無論、そんないとまはない。


 正面を向くと、火矢ファイアボルトの直撃を受けたコボルトはすでにいなくなっていて、コボルトが吹き飛んだあたりからは緑の光が溢れている。


 残った一体のコボルトがあと15メートルほどの位置にいて、掲げた槍を正面に構え直し、こちらへ駆けてくる。


「イングローネさん! お逃げください! 早くッ!」


 叫びながらもう一度後ろを振り返ったとき──


「秘密さまっ! 秘密さまっ!」



 イングローネさんがひざまずいて抱え起こそうとしている秘密さんの身体からは、緑の光が溢れていた。





────────────────

あとがきにて宣伝失礼いたします。


明日2/1(火)

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