09-25-彼の者の名は……

 イングローネさん、秘密さん、そして私の三人は、ギルドの前にある噴水広場で休憩をとることにした。


 きっと強がりだろう、秘密さんは「まだ、だいじょうぶ」と口を結んだが、


「だめです。SPが尽きると死んじゃうかもしれません。とくに秘密さまのSPはおらたちより低いんですから、無理しちゃだめです」


 と、イングローネさんに恐ろしいことを言われ、私たちはおとなしく噴水と向かいあうように設置されているベンチに腰を下ろした。


 半径15メートルほどだろうか、大きな泉の水面みなもは穏やかな陽光を反射して美しく煌めいている。中央からは透明な水が三本の白い水柱をつくっていて、空を見上げれば虹のアーチができていた。


「きれい……」


 秘密さんが飛沫しぶきの音に消えそうなくらい小さな声でぽつりと呟いた。


「勇者さまの世界には噴水がないだか? あ、いや、ないのですか?」

「ある。でも、こんなにちかくでみたことがない」 

「私もです。それに、私たちの世界の噴水の水はこんなに綺麗ではありません」


 噴水のスタンダードは同じ水をサイクルさせる循環式。新しい水に入れ替えるまで水は汚れ、変色してゆく。水が緑色をした、こけがはえた噴水だってある。


「この街には水道が通っていないんですよね?」

「昔はそういう計画があったみたいですけど……あんまり実感がわかねえ……あ、いや、わきません」


 となればやはりこの噴水も循環式ということになる。なのになぜ、こんなにも水が綺麗なのだろうか……?


「たくさんの役人さんが毎日、浄化ピュリファイの魔法をかけているんです。ちなみに水は、風の魔石の力で下から上に押しあげているとか。あ、でもでも、ひと月に一回はお水を張りかえるそうですよ」


 なるほど、文明こそ進んでいなくても、この街は魔法、そして魔石で不自由なく──と言えば語弊があるが、現代にあるものの仕組みを再現し、生活しているらしい。


 水を出す水の魔石。

 調理では火の魔石。

 農作物を育てるには地の魔石。

 ものを冷やすには氷の魔石、そして風の魔石で風をおこしている。


 こんなに大きな噴水の濾過ろかだって、機械を使わずとも浄化ピュリファイという魔法で綺麗になってしまう。


 機械を開発してもモンスターに壊されるのなら、このままでもいいと思ってしまうことも頷ける。


「魔石はどうやってつくっているのですか?」

「モンスターがドロップする魔石片ませきへんを合成して魔石にするだ。……ああ、いや、するんです。といっても、おばけみたいなモンスターからしかドロップしないんで、貴重なものですが」


「おばけ?」

「ゾンビとかゴーストとか、おっとろしいモンスターだす。エシュメルデ共同墓地周辺によくいるみたいだが、怖いから冒険者もあんまり近寄らねえんです」


 本格的におばけだった。

 小学校のときにつけられた、”幽霊”というあだ名を思い出し、胸の奥が痛んだ。



──


 

 イングローネさんに連れられ、カランカランと喫茶店のような音のするドアを開けると、そこにはコーヒーの香りはなく、かわりに古本屋のような匂いが私たちを迎えてくれた。


 丸い机が一台と、それを囲むように背もたれのない椅子──スツールが四脚。

 カウンターの向こうには石人形、とでもいうのだろうか、私と同じほどの背丈を持つ角張った灰色の人形が、ギギギ……と音を立てて私たちに頭を下げる。


 私も頭を下げたあと、カウンター奥を見やると、そこには書架が並んでいる。

 書架の間では、小柄な少女が本を持った手を高い段に伸ばしていて、首だけでこちらを見てぱあっと顔を綻ばせた。


「いらっしゃいにゃせー♪ にゃにゃっ、イングローにゃん!」 


 少女は赤いショートヘアに、可愛らしい猫耳を生やしていた。街中で緑の鱗を持つ人をすでに見かけていた私はそれに驚かない。


 しかし奥からものすごい速さで駆けてきて、カウンター脇の通行口を無視し、カウンターに片手を置いて跳躍して飛び越えてやってくる、その勢いに驚かされた。


 彼女は勢いよくイングローネさんに抱きつくと、


「ん? んんー? 新顔かにゃ?」


 唖然とする私たちの顔を興味深げにまじまじと覗き込んでくる。


「ふふん、こちらは異世界勇者の月乃さまと秘密さまだ! おらたちがお世話をすることになったんだ!」


 イングローネさんが自慢気に胸を張ると、少女は「おー……!」と瞳をきらきらと煌めかせた。


「は、はじめまして」

「……ひみつ、です」

「スキルブックショップ店長のココナにゃん♪ つきにゃん、ひ……ひみ……ひーにゃん、よろしくにゃんにゃん♪」


 ココナさんは手招きをする猫のようなポーズをとり、ぱちりとウィンクをしてみせる。唐紅からくれないのショートヘアからはえる猫耳が揺れた。

 私はつきにゃんという呼びかたに、顔が熱くなるのを感じた。


「……ほんもの?」


 秘密さんが小さな声で呟くと、


「にゃにゃ? 耳にゃん? 本物にゃ! 触ってみるにゃ?」

「おー……」


 ココナさんの猫耳に触れた秘密さんはどこか感動したような声をあげた。前髪に隠れていて見えないが、秘密さんの瞳はきっと輝いているだろう。


 イングローネさんは私たちに向き直り、


「ここはスキルブックショップです。装備品ももちろんですけど、スキルブックも成長には欠かせませんので、ご案内しました。ここはギルドのそばにあるショップよりも、低レベルのスキルブックの品揃えが良く、なにより安いんです」

「初心者御用達にゃー♪」


 ココナさんとふたりでそう説明してくれた。


 スキルブックの存在は事前知識で知っている。

 モンスターからドロップしたスキルブックを集めて強くなる、とwikiには書いてあったが、こういうお店もあったのか。


「じゃあ早速にゃん!」

「あ、いや、勇者さまは今朝来たばかりでまだスキルを覚えられる状態じゃ……」


 ココナさんはイングローネさんの静止を聞かず、一度店の奥へ消え、すぐに三枚の石板を持って帰ってきた。


「じゃあこれを持って、中央に触れてみてにゃん!」


 言われるがままA4サイズほどの石板に触れると、石板に文字が浮かぶ。



──────────

大仁田月乃

1シルバー

──────────


▼─────行動

歩行LV1(New) 20カッパー


──────────



「おお……さすが勇者さまだ……もうスキルが習得可能になってるだ……」


 イングローネさんは自分のぶんの石板を持ったまま驚いたような顔をしていて、ココナさんはうれしそうに「にゃっ♪」と可愛らしい声をあげた。


 自分の名前が表示されている部分を手で隠す秘密さんの石板にも、私と同じように【歩行】のスキルのみが表示されていた。


「あの、これは?」

「歩行スキルにゃん。習得すると、歩くのが速くなって、さらに疲れにくくなるにゃー」

「かう」


 秘密さんは先ほどのお散歩でよほど疲れたのか、あるいは私たちに迷惑をかけたくないのか、石板を机に置き、表示が消えたことを確認した後、腰からさがった小銭袋から銀貨を取り出した。私は慌てて止める。


「ちょ、ちょっ、秘密さん、お金を使ってしまって大丈夫なのですか?」

「かまわない」


 秘密さんは銀貨を差し出すが、ココナさんは私と秘密さんを交互に見やって「えっと、いいのかにゃ?」と私に問うてくる。


「全財産の五分の一です。お仕事ができるかどうかもわかりませんし、計画的に使わないと……」


 ありがたいことに食事と寝床は与えられており、ダンベンジリさんたちは「もちろん無料で使ってくれ」と言ってくれてはいるが、私たちだけが自分のためだけにお金を使っていいはずがない。

 モンスターに出会ったこともなければ、ホビットが生業のひとつとしている採取のお手伝いができるかどうかもわからない。


 ようするに、いまの私たちは無収入。そんな状態で散財していいはずがなかった。


「むー。月乃がそういうなら、そうする」


 秘密さんは未練ありげな様子だったが、小銭袋に銀貨をしまってくれた。

 それに安心すると同時に、ナチュラルに下の名前を呼び捨てにされたことに、戸惑いと照れくささを感じる。


「ココナさん、ごめんなさい。お仕事ができるようになったら、またお邪魔ささせてください」


 私が頭を下げるとココナさんは、


「こちらこそ無茶を言ってごめんにゃー。気にしないでにゃん♪」


 肉球のついた柔らかそうな両手をあわせて笑ってくれた。



「それにしても、つきにゃんはしっかりしてるにゃー。以前のおにーちゃんみたいだにゃん」


 ココナさんはむふん、と楽しそうに笑顔を見せる。


「ココナさんにはお兄さんがいらっしゃるのですね」

「とは言っても、血は繋がってにゃくて、ココにゃんがそう呼んでるだけにゃん。斜め向かいの宿はココにゃんのママがやってるんにゃけど、そこに住んでるおにーちゃんにゃ。ここにも毎日のように来てくれるにゃん♪」


 イングローネさんが「透さまのことです」と教えてくれる。


 ここにも出てきたトオルさん。


「おにーちゃんは召喚士だにゃん。最初のほうはそりゃ苦労してたみたいにゃけど、いまじゃすっかり立派になっちゃって、ココにゃんはうれしいにゃー♪」



 どくん。



 胸の奥が揺れた。



 召喚士。



 それは、”小説の中の、なりたかったわたし”だったから。



 今年からアルカディアに来たということは、たぶん私と同い年ということになる。

 それなのにこんなに皆から愛されて、こんなにも有名で……。きっと、とっても立派なかたなのだろう。



 トオルさんはきっと、なりたかった私なのだ。



 私は、トオルさんがどんなかたなのか、知りたくなった。


「トオルさん……苗字はなんとおっしゃるのですか?」


 私がふたりに顔を向けると、イングローネさんとココナさんは顔を見合わせて、


「すいませんです……。おらは透さま、というお名前しか……父ちゃんが透って呼んでるから……」 

「ココにゃんもおにーちゃんって呼んでるし、ママもあんちゃん、って呼んでるから……。…………あっ! 思い出したにゃ!」


 ココナさんがぴこーん! というオノマトペがしっくりくる様子と表情で、大きな声をあげた。


「透さまの苗字だか?」

「むふん、そうにゃん。おにーちゃんの苗字は──」



 ココナさんはじっくりと溜め、ついにその名を口にした。





「おにーちゃんは、フジキっていうにゃ! 仲良しさんのアサミが大きな声でフジキー! っていつも呼んでるから、それで覚えていたにゃん♪」

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