09-23-商業都市エシュメルデ

 私には過ぎた食事を終え、秘密さんと歯を磨く。


 アルカディアにも歯ブラシがあり、さすがにチューブタイプの練られたものではないけれど、洗面台には字の通り粉末状の歯磨き粉もあった。


 現実よりもはるかに──それこそ冷えるほどの爽やかさが口内に満ちてゆく。


「秘密さん、ちゃんと磨きましょう」

「うー……」


 辛みも強く、すぐに吐き出そうとする秘密さんをたしなめながら、丁寧に一本ずつ磨いてゆく。



 アルカディア・システムに参加できるのは高校一年生から、という仕組みはずっと昔から決まっている。


 となれば秘密さんは私と同い歳か年長者ということになる。


 しかし彼女は、考えうる最年少──高校一年生だと見積もっても、幼く見える。

 鏡に映る私との身長差は20cmといったところか。小柄で華奢だということもあるが、目元を隠す前髪や言動の拙さは体型以上に彼女を幼く見せている。



 歯磨きと洗顔を終え、ホールに戻るとイングローネさんとダンベンジリさんがなにやら準備をしていた。ダンベンジリさんは私たちに気がつくと笑顔を向けてくる。


「おう、さっぱりしたか!」

「は、はい」


 さっぱりどころか、普段の歯磨き後よりも随分爽やかな口内。自分の吐く息が冷たく感じるほどの清涼感。


 ふたりの言によれば、ホビットは綺麗好きで、この世界で歯磨き粉をはじめ石けん、シャンプー、そしてお風呂にまでこだわっているのは、よほどもの好きな貴族かホビットくらいらしい。どうりでイングローネさんやダンベンジリさん、ベンテローネさんからは甘く爽やかな、しかし香水のようにぎらぎらしていない良い匂いが漂ってくるわけだ。


「月乃さま、秘密さま。今日はおらがこの街、エシュメルデを案内します」


 イングローネさんが手を挙げながらにっこりと笑いかけてくれる。


「ありがたいのですが、そこまでしていただいてよろしいのですか?」

「もっちろんです! といっても街は広いので、勇者さまの立ち寄るようなところに絞って案内させていただきます!」


 それからイングローネさんに手渡されたのは、開き口に白い締めひものついた深い緑の革袋と、真っ白な手袋。



──────────

革袋

容量30 重量30

──────────


──────────

採取用手袋

LV1

──

簡単な採取が可能になる手袋。

──────────



「コモンシリーズに採取用手袋、そして革袋。これでおふたりもご立派なルーキー冒険者さまです!」


 立派なルーキーとは一体なんなのか。

 私の疑問をよそに、イングローネさんとダンベンジリさんは私たちの背を押すようにして、ランタンでだいだいに照らされたほうの通路へ。


 20メートルほどで建物のエントランスとおぼしき広間に出た。

 床には赤いじゅうたんが敷いてあり、左手の階段──吹き抜けになった二階の通路にまで伸びている。

 右手にはメインの出入り口らしい大きな扉があり、騎士をモチーフにしたような、剣を構えたシルバーの甲冑が扉を左右から挟んでいる。


 ファンタジー文庫で見る、貴族のお屋敷のイメージにぴったりだ。


「ここは長老の家だ。長老は私生活に於いては質素倹約を好むが、ときとして貴族を迎えることだってある。あんまりみすぼらしいと、ホビットが馬鹿にされてしまうからな」


 ダンベンジリさんは私たちにそう説明したあと二階を見上げ、ちょうど吹き抜けの通路を通りかかった背の低い中年女性に「よう! 長老は?」と大きな声をかけた。


「会議の準備をしておられます。緊急でしたら──」

「勇者さまと顔合わせしてもらおうと思ってただけだから、あとでいい!」


 女性は「かしこまりました」と丁寧におじぎをし、直立してからもういちど頭を下げた。

 改めて私たちへの礼だろうと思い、私も頭を下げる。


「なにかございましたら、なんなりとお申しつけくださいませ」


 女性はそう残して、通路の奥へと消えていった。


 私たちと似たような茶色の服を着ていたが、もしかして、メイドさんという職業では……?


 私がそんなあこがれにも似た妄想をしたとき、ダンベンジリさんがなんでもないように口を開いた。


「長老の召使いだ。あとふたりいるが、長老からは彼女たちが手隙のときは好きに使えと言われていてな。勇者さまもなんでも言うといい」


 めし、つかい。


 なんだか私には、その言葉選びが、アルカディアにおける闇の深さをもの語っているような気がした。



──



 商業都市エシュメルデは正方形の形をしていて、東西南北それぞれに出入口があり、有事の際はモンスターの侵攻を食い止めるための門が築かれている。


 北門はモルフェウス鉱山への入口があり、

 西門は隣国ディアレイクへと続く山麓に臨み、

 東門はオルフェ海岸へと繋がり、

 南門はエシュメルデ平原へと続く。


 エシュメルデの中央には冒険者ギルド、そして大きな噴水のある中央広場があって、そこからはそれぞれの門に向かって十字に石畳が敷かれていて、それを目印に南東、南西、北東、北西の四ブロックに区分けされている。


 南東は裕福街。

 歴史の深い裕福な貴族や商人が住んでいる。

 この街において、ここに住むことは一種のステータスとされている。


 南西と北東は一般街。

 一般的な市民が大半を占め、冒険者や異世界勇者の宿も多い。

 敷地面積の三割が田畑と酪農地であり、市場に出回る食料の半分がここでつくられている。


 そして北西は貧困街。

 石畳に面する建物こそ一般街と比べて遜色ないものの、北西へ入りこめば入りこむほど住民の貧しさは目に見えて著しくなってゆく。


 すえたにおい。

 藁葺わらぶきの家。

 路上で死んだように寝転がる、垢にまみれた男性。


「この先は危ねえからここで引き返すぞ」


 ダンベンジリさんはしかめっ面に忸怩じくじたる思いを宿した様子できびすを返した。


 大通りに戻り、石畳に反射する陽光に目を細める。


「嬢ちゃんが腰にそれを提げてなかったら、危なかったかもな」


 ダンベンジリさんは私の腰──太刀を指差し、ほっと安堵したように薔薇の香りを吐いた。


 つい先ほど見た、上半身が裸の痩せた子どもたち。

 こちらをめつける、羨望と怨嗟がどろどろと混じったような視線──

  

「危ねえところに連れて行って悪かった。あそこはモンスターのいる街の外より危ねえっていわれてる。……それでも、この街の現状ってやつを知っておいてほしくてな」

「い、いえっ」


 私と秘密さんが震えているのに気づいたのか、ダンベンジリさんは私たちに頭を下げてきた。



 ダンベンジリさんとイングローネさんは私と秘密さんに街を案内しながら、この世界についていろいろと教えてくれた。


 この世界は百年以上前から言語と食文化の一部を異世界勇者──私たち日本人に合わせていると聞いた。


 街には車も電車もなく、ビルもない。

 携帯電話を所持している人もおらず、街を歩くのは私たちと同じような茶色のコモンシャツか、地味な色のチュニックを着た人ばかり。

 裕福街は裕福街で、ロングドレスを着た女性や華美な装飾のついた服を着た貴族風の男性ばかり。いわゆる中世ヨーロッパの富豪の図である。


「あの……こんなことを訊いては失礼なのかもしれませんが、異世界勇者から文化を取り入れているにしては、あまりにも文明レベルが進んでいないように感じます。なにか理由はあるのでしょうか?」

「あー、透もこっちに来たばっかりのとき、そんなことを訊いてきたなぁ……」

「トオル?」

「三週間くらい前にやってきた異世界勇者だよ」


 いまは四月下旬。

 三週間前にやってきたということは、トオルという人は現在高校一年生だろうか?


「あんときは、最近の異世界勇者が技術の提供をしてくれないからだ、なんて答えたが……ああいや、べつにそれも間違っちゃいねえんだが」


 ダンベンジリさんはきっと、そのトオルさんにだろう、すべてを語ることができなかったことを後悔するような表情になって、


「クルマとかいう道を走る鉄の塊もつくっても、デンセン? とかいう光を運ぶらしい魔法のヒモを街じゅうに通しても、全部シュウマツでモンスターに壊されちまうんだよ」

「シュウ、マツ」


 先ほどイングローネさんもシュウマツと言っていた。


 私たちはイングローネさんとダンベンジリさんから、この世界ではシュウマツの渦という災害が起こることを、そしてシュウマツがどんなものなのかを聞いた。


「シュウマツはいつ起こるかわからねえ。実際、昨日の第一次シュウマツも七年ぶりだった」


 シュウマツを拒否すれば”追放”される。

 それも、ありえないほど残虐な方法で──


 武器を構えた大量のモンスターが迫ってくる。

 頼れるはずだった仲間は恐怖に怯え、悪態だけついてくる。

 何本もの槍を乱暴に身体へ受け入れ、追放だけは免れたとしても、アルカディアで待っているのは「どうして街を守ってくれなかったんだ」という、亡骸なきがらを抱いた怨嗟の声──


 そして異世界勇者は自分の力不足と、仲間だったものたちとの浅はかな人間関係に嫌気がさし、ギアを返却し、結局”アルカディアから消える”。


 そんなアルカディアの暗黒たる歴史を聞いて、シュウマツ前にギアを返却する勇者も多かったそうだ。


「だから、ワシらアルカディアの民は異世界勇者に対し、暗黙のうちにシュウマツのことを話さなくなった。”今年発生するかしないかわからないシュウマツのことをワシらから話すことで、異世界勇者が恐怖を感じてこの世界を去っちまうかもしれないから”なんだよ」


 そこまでしてでも異世界勇者に頼らなければならないってのは不甲斐ない話だがな──と、ダンベンジリさんは石畳にそっと視線を落とした。

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