09-22-月の出逢い -Ruined Verdandi-
彼女は私と同じ構造の部屋のベッドで半身を起こし、窓の外を眺めていた。
先端だけ茶に染まったぼさぼさの黒髪が小柄な肩の上に乗っている。
「あの」と声をかけると、目元が隠れるほどの長い前髪がこちらを向き、私の存在に反応してなのか、ぴくりと華奢な身体を震わせたあと、ふたたび窓へと顔を戻してしまった。
イングローネさんをちらと見やると、さっきからずっとこんな調子です、とでも言うように彼女は肩をすくめてみせた。
「あの……は、はじめまして、大仁田月乃と申します。い、異世界勇者のかた……なんですよね?」
ベッドに向かってかけた声は図らずも震えてしまい、私らしい、なんともなさけない自己紹介になってしまったが、彼女はゆっくりとこちらを向いて、ぺこりと頭をさげてくれる。
「私はアルカディアであなたと過ごすよう、三船さんという女性のかたから言われました。今日からよろしくお願いします」
それが彼女のことかどうかなんて、確信はない。私は、私と同じように、心に闇を抱えた人物と出会う、としか聞かされていない。
しかし彼女を見た瞬間、理由はわからないけれど、ああ、彼女のことなんだと思った。
「…………」
彼女の口が小さく動き、なにか言葉を発したような気がした。
私は彼女が嫌がらないかどうかつぶさに観察しながら、ゆっくりとベッドへ近づいてゆく。
「み……ふ、ね」
彼女のもとへ辿りつき、口元へ耳を当てると、たしかに”三船”と聞こえた。
「そうです、三船さんです。あなたもですか?」
目の前の彼女は小さな首肯で私に応えた。
「あの……お名前、うかがってもよろしいでしょうか?」
私が問うと、彼女は私に顔を向けたまま、ゆっくりと口を引き結ぶ。
目元が隠れているため、私と見つめ合っているのか、あるいは困惑に揺れているのかはわからない。
彼女はやがて首を横に振り、
「ひ……み、つ」
と風が吹けば飛んでいってしまいそうなか細い声を口にした。
秘密。
名前を言いたくない、ということだろうか。
出会ったばかりの相手には名乗れない、なんてことはさすがにないだろうし、なにより私は先に名乗っている。
それでも話せないということは、自分の名前に仄暗いなにかがある、ということなのだろう。
たとえば、名前が原因でいじめられた。
たとえば、名前を調べられてストーカーに追い回された。
たとえば──
やはり三船さんが言っていたのは、この女の子のことなのだ。
間違いなく、深い闇を抱えている。
「月乃さま、そちらの勇者さまはなんて?」
「はい。秘密さん、とおっしゃるようです」
イングローネさんにそう応える私に、彼女は顔をあげる。前髪の隙間から、見開かれた綺麗なブラウンの瞳が見えた。
「秘密さま、ですか。変わった名前だなぁ……。あ、いや、”みすてりあす”で素敵な名前でございます!」
慌てて修正するイングローネさん。
無論私は、目の前の少女が"秘密"という名前だなんて思ってはいない。
彼女が己の名前を隠したい──そう思う理由はわからないけれど、それを端折って彼女の心中を察することはできる。
それに、彼女はベッドの上にいるが、このアルカディアでなにもする気がないわけではないことは、机の上に木箱がないことと、彼女がボロギレではなく、すでにコモンシャツに着替えていることから推察できる。
誰にも触れられたくない過去がある。
秘して密にしたい過去がある。
──そんなの、私だって同じ。
「秘密さん、これからよろしくお願いします」
だからすべてを端折り、あれこれをすっ飛ばし、
「ぁり、が、とぅ」
彼女──秘密さんは蚊の鳴くような声でそう言ったあと、のそのそと身をよじらせるようにしてベッドから降りると、私に向き直って先端だけ茶色の髪をもっそりと垂らした。
──
私たちの部屋から出た場所は石造りの丸いホールになっていて、私たちの部屋がある方角が北側だとすれば、そちら側ににみっつ、南側にもみっつ木製の扉があり、東西にはランタンに照らされた通路が伸びている。
中央には石製の長テーブルが置かれていて、北側の壁──私と秘密さんの部屋の間には上部が丸みのある石板が置かれている。
「これはなんなのでしょう?」
170cmの私よりほんの少し背の低い石板を指さすと、イングローネさんは不思議そうに首を傾げて、
「ステータスモノリスだす。勇者さまがたの世界にはねぇだか? あ、いや、ないのですか?」
「ステータスモノリス……というと、自分のステータスを確認できる石板、ということでしょうか?」
「はい。その人の持つ魔力量をその場で分析して数字で教えてくれるものだす。……です」
「使ってみてもいいですか?」
「もちろんです。手をかざすだけで見られますので」
ステータス。
ゲームなんかだとよく見るが、いざ自分の能力が可視化されるとなると、どうしても緊張してしまう。
すこしためらった後、ステータスモノリスに手をかざすと、モノリスに文字が刻まれるのではなく、石板が一度青く光って私を照らし、モノリスの前にはウィンドウが表示された。
──────────
LV1/5 ☆転生数0 EXP0/7
HP12/12 (+6) SP9/9 MP9/9
▼─────ユニークスキル
【ツクヨミ】 LV1
”和”のエッセンスを有する武具の取扱い、
及びスキルに非常に大きな適性を得る。
▼─────アクティブスキル
【
消費:SP2
抜刀と同時に放たれる鋭い一撃。
──
【
消費:SP2 MP2
▼─────装備
凡太刀 ATK1.00
凡長弓 ATK1.00
コモンシャツ DEF0.20 HP2
コモンパンツ DEF0.10 HP2
コモンベルト DEF0.10 HP1
コモンブーツ DEF0.10 HP1
小銭袋→1シルバー
──────────
アルカディアでは、
このユニークスキルと、死んでも二時間後に復活できる──このふたつが、異世界勇者がアルカディアの人々より優れていると言われる大きな理由だと。
私のユニークスキルは【ツクヨミ】。
太刀や長弓のウィンドウを見ても感じたことだが、どうして異世界に”和”の要素があり、日本神話に登場する神さまの名前をアルカディアで目にするのだろうか?
「秘密さまもどうぞです。なんならお名前のところはおらが隠しますだ」
「ぁ……むこう、むい、て」
私とイングローネさんは秘密さんに言われるがまま後ろを向く。時を待たずして背中から青い光が漏れてきた。
「どう、ぞ」
振り返ると、秘密さんは己の手でウィンドウ上部──名前の欄を隠していた。
──────────
??????
LV1/5 ☆転生数0 EXP0/7
HP4/4 (+6) SP4/4 MP24/24
▼─────ユニークスキル
【ルインド・ベルダンディ】 LV1
MPと魔法に大きな適性を得る。
バフ・デバフに非常に大きな適性を得る。
▼─────アクティブスキル
【
消費:MP6
魔力で火矢をつくり、魔法陣から射出する。
──
【
消費:MP4 効果時間:240秒 効果範囲:半径7m
範囲内にいる味方の物理攻撃力を上昇させるオーラを展開する。
──
【
消費:MP4
増幅させる
▼─────装備
コモンステッキ ATK1.00
コモンシャツ DEF0.20 HP2
コモンパンツ DEF0.10 HP2
コモンベルト DEF0.10 HP1
コモンブーツ DEF0.10 HP1
小銭袋→1シルバー
──────────
私が遠近両用の戦士タイプなら、秘密さんはHPとSPが低くMPが極端に高い魔法使いタイプ。
それにしても、秘密さんのユニークスキル【ルインド・ベルダンディ】。
ベルダンディとは北欧神話に登場する女神の名前だったはず。
日本神話の次は、北欧神話。
アルカディアという異世界において、どうして現実世界の神話が浸透しているのだろうか。
「ほえぇ……おふたかたとも、すんげぇステータスだすなぁ……」
イングローネさんの言葉にしたってそうだ。
どうして日本語で喋っているのだろうか。──それも東北らしい訛りまでついて。
ゲームのような異世界だから、ゲームらしい都合のいい何らかの要素で、私たちにも理解できるように変換できるのだろうか、と思ったが、イングローネさんの口元をみると、口の動き方は言葉の母音と合致しているのだ。
「あの、イングローネさん。この世界では皆さん日本語で話されるのですか?」
「へえ。ずっと前……百年も二百年も前から、異世界勇者さまがたの言葉で話すようになったと聞いております」
やはり、ゲーム世界だから私たちの言葉に翻訳されている、なんて便利な機能ではなく、ホビットである彼女は
「どうして、ですか?」
その理由を問うと、イングローネさんは翡翠色の瞳にふっと影を落とす。
「エシュメルデだけでなく、このアルカロード大陸は、モンスターの手により、これまで何度も何度も滅びかけております。ですが、そのたびに異世界勇者さまはこの大陸を救ってくださいました」
しかし"異世界勇者"という単語を口にした瞬間、その瞳は煌めいて声に力が宿った。
「勇者さまは、おらたちにとって……ご先祖さまの代から、希望であり、憧れなんです。だから──」
「おう、起きたか!」
イングローネさんの言葉を、中年男性らしき大きな声がかき消した。
「あ、父ちゃん! ああいや、お
イングローネさんの視線の先には、身長155cmくらいだろうか、たぶん私たちと同じ茶色の服──コモンシャツとコモンパンツに身を包んだスキンヘッドの中年男性が、立派な白いあごひげに人のよさそうな表情を浮かべている。
「どうだ? しっかり眠れたか? いや、しっかり起きられたか、と訊いたほうが正しいな、ガハハハハ!」
こちらへのっしのっしと歩いてくる彼に、私は一歩後ずさる。
「んお?」
彼はそんな私の姿に首をかしげる。
「あ、いえっ、違うんです、ごめんなさい」
言葉とは裏腹に、私の足は震える。
──わかってる。彼に悪意も敵意もないことくらい。
それでも身体は言うことを聞いてくれなくて、彼が男性と言うだけで怖気づいてしまい、身体が震えてしまう。
「ほらほら! アンタそんなところにいちゃ邪魔だよ! 働く働く!」
彼の後ろから、茶髪を頭の上で丸めた四十歳くらいの女性が、彼を押しのけるようにして湯気の立つお盆を運んできた。
「アタシはイングローネの母親のベンテローネ。このハゲはアタシの旦那でこの子の父親のダンベンジリ。今日からアタシら三人でここに住み込んでアンタたちふたりのお世話をさせてもらうから。よろしくね」
お盆に乗る膳を石造りのテーブルに置きながらそういって、女性──ベンテローネさんは丸っこい顔ににっこりと笑みをつくった。
ベンテローネさんとダンベンジリさんは通路とこのホールを数往復してお盆を運び、テーブルには五人分の朝食が並んだ。
「ん? 見てないで座りなよ。もしかしてお魚、苦手かい?」
「いえっ、そんなことはっ」
イングローネさんに引かれた椅子に、秘密さんと同時に座る。
ふっくらと炊かれた白いご飯。
ワカメとネギのシンプルな味噌汁。
これはアジ……なのだろうか? の開き。
野沢菜の漬物、そして海苔。
おまけに食卓には醤油さえ並んでいた。
どうして
首をかしげる私に、イングローネさんがそっと耳打ちしてくる。
「さっきの続きですけど、異世界勇者さまに憧れた人々は、勇者さまの食や文化にも憧れ、百年以上前から勇者さまと同じものも食べるようになったんです。それと一緒で、言葉も
イングローネさんはそう言って、当然のように手を合わせる。
見ればベンテローネさんもダンベンジリさんも、秘密さんも手を合わせていて、慌てて私もそれに続く。
「いただきます」
膳に置かれた箸をとる。
いただきますなんて口にしたのは、どれだけぶりだろうか。
まさか、
寝床があり、食事があり、優しい人たちがいる。
はじめて出会った人が、こんなに優しくしてくれる──私には過ぎた幸福に恐れ入りながら、口の中でほどけてゆく魚の柔らかさに
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