09-21-月の目覚め
目覚めたとき、最初に感じたのは土と花の匂い。
視界に入ったのは見慣れた薄緑色ではなく、白とも灰ともいえる石を平たく加工して作ったような天井だった。
身体にかけられた黒い布団はかたく、ところどころごつごつしている。あたたかさの源は柔らかい手触りでなく、その重み。
半身を起こして周囲を見渡すと、石でできているのは天井だけでなく、壁もだった。すぐ傍にある壁に右手で触れると、驚くほど冷たい。
這わせた右手の先には上部だけ丸くなった両開きの窓があり、茶色の扉は閉じられている。
視界を囲むように入ったものが気になって顔に触れると、それはやはり眼鏡のフレームだった。
いつも私がつけているものと同じ色だが、フレームの手触りはややざらざらしていて、ほんの少しぶ厚く、重い気がした。
寝起きにも関わらず眼鏡をかけていたことなんて、小学生のころ、小説を読みながら寝落ちしてしまって以来、久しぶりのことだ。
眼鏡も気になるが、毎晩お風呂に入る際にほどいている、両肩に下がる三つ編みのおさげ髪がすでに整っていることにも違和感があった。
ここは、石でつくられた六畳ほどの狭い部屋のなか。
出入り口と思われるドアノブのついた扉は薄茶の木でできていて、中央には扉と同じ木材でつくったと思われる、高さ70cmほどのテーブルが設置してある。
その上には洋画かゲームでしかお目にかかれないような、財宝が入っていてもおかしくない……そんな木箱が鎮座している。
「やっぱり、夢……じゃない」
己の頬をつねるという古典的なやりかたでこれが現実だと認識した私は、ベッドを抜けてひんやりとした石床に足をつけ、机の上にある木箱までぺたぺたと歩み寄り、それをじいっと見つめ、果たしてこれは自分に用意されたものなのか……? と疑いつつ、手をかざしてみると、
──────────
《大仁田月乃専用》
──
開錠成功率
大仁田月乃→100%
──────────
箱の前に文字が描かれた枠が現れた。
驚いて手を離すと、枠──ウィンドウは消えた。おそるおそるふたたび手を近づければ、またウィンドウが現れる。
私は実感した。
やってきたのだ。
ゲームのような異世界、アルカディアに。
『アルカディアは、なりたいあなたになれる──かもしれない、そんな世界です』
三船さんはそう言っていた。同時に、現実に不満を抱えた若者こそ強くなれる場所だとも。
私は、強くなりたかった。
自分で書いた小説のなかにいる”私”のように。
たとえいじめられても、冷遇されても、何が悪いと開き直ることができる強さが。
そして──
『うさたろうっ! うさたろうっ……!』
暴力に怯えず、誰かの力になれる自分に、なりたかった。
目の前の木箱に触れ、開錠、と念じると、木箱はバコンと音をたてて勢いよく開いた。
箱の中に物は入っておらず、代わりに開錠時とは違うウィンドウが開けた蓋のあたりに表示された。
────────
凡太刀
凡長弓
コモンシャツ
コモンパンツ
コモンベルト
コモンブーツ
小銭袋 (1シルバー)
────────
身につけるもののリストのような文字列だった。
太刀と弓──いかにもゲームらしい武器。ならばシャツやパンツも服というよりも防具といったほうが正しいか。
ウィンドウに表示される凡太刀に触れてみると、凡太刀の文字列がウィンドウから消え、机の上に
──────────
凡太刀
ATK1.00
──
”和”をモチーフにした剣。
まずはここから。
──────────
刀を木製と思われる鞘から抜いてみると、刀身はなにかの骨で出来ているようだった。刀らしい光はなく無骨なフォルムだが、刃は鋭く磨かれている。
──────────
凡長弓
ATK1.00
──
”和”をモチーフにした弓。
まずはここから。
──────────
同じように弓も弦以外は骨で出来ているように見える。プラスチックをざらつかせたような触り心地の白い胴体。弓と一緒に現れた細長く丸底の
それにしても、異世界で”和”なんて不思議。
用意された武器が太刀と弓なのも、私が幼いころから、剣舞、詩舞、詩吟、そして弓道を親に言われて習っていたからなのだろうか?
首を捻りながらコモンシャツ、コモンパンツなどの服──防具をウィンドウから机の上に取り出してゆく。
そこでふと自分の姿を確認すると、上半身は胸だけを覆う焦げ茶の布、下半身は同じ色の布が腰に巻かれているだけだった。
起きたときからつけていた眼鏡を一旦外し、まるで原始人のような格好の上から、コモンシリーズ──茶色のシャツに袖を通し、ズボンを履いてベルトを巻き、靴下を身につけていないことに抵抗を覚えながら、ブーツとは名ばかりの、学校指定の靴のようなコモンブーツを履いた。
不思議に思ったのは、サイズだ。
私は女子にしては背が高いほうだから、制服も普段着もLサイズになってしまう。靴も25cmと、かなり大きなサイズを選ぶ。
シャツに腕を通したとき、あるいはブーツを履こうとしたとき、あ、小さいかも、と感じた。
それなのに、着衣するタイミングで、まるで私の身体に合わせるかのように服や靴のサイズが大きくなったような気がしたのだ。
着替えてみれば、胸がすこし目立ってしまうこと以外は抜群のフィット感。
ベルトに太刀を差し、
身構える私に配慮するように、扉はそうっとこちら側へ開かれた。
「お、おはようございますっ」
現れたのは、140cmほどのとても背の小さな、すこしぽっちゃりした女の子。
肩までウェーブされた薄茶のセミロングは緊張に揺れているように見えた。
「おら……あ、そのわたくし、イングローネといいます──あ、えと、申します。異世界勇者さまのお世話をするようにいわれ──あ、申しつかっただ。……あ、申しつかりました」
女の子──イングローネさんは私に眼を合わせぬまま、何度も何度も自らの言葉……訛りを訂正しながら汗を飛ばす。
「お、お世話、ですか?」
イングローネさんは私の言葉にはっとしたように顔を上げ、私の姿を緑の瞳に映すと、ひっと驚いて飛びあがる。
私は彼女が驚いた理由にはたと気づいて、ベルトから下げた太刀を慌てて机の上に置いて、
「す、すみません。驚かせるつもりでは」
三つ編みを揺らしながら何度もぺこぺこと頭を下げる。
「あっそんな!? ゆゆゆ勇者さまがおらに謝るこどなんてっ……!」
彼女もきっと頭を縦に振っているのだろう、独特な訛り声が揺れている。
ふたりして顔を上げたとき、イングローネさんはまた頭を下げ、上目遣いで、
「よがっだぁ……。女性の勇者さまだぁ……」
心から安心したようにひとつ呟いて、ほちゃほちゃした笑顔を私に向けてきた。
そんなイングローネさんの態度に私もほっとして、
「あの……大仁田月乃、と申します。ここはアルカディア……なんですよね?」
「んだ……あ、いや、そうです! ホビット族の長老、ダンガンコブシさまのお家の離れだ……です」
内容がころころ変更され、あまり頼りにならないWikiによれば、アルカディアのホビットとは、力こそ弱いものの手先が器用な種族とのことだった。
同じくWikiには”異世界勇者は初日限り使える仮宿舎”で目覚める、と書いてあったはず……。
「私はどうしてここに……?」
「昨晩、何人かの勇者さまがシュウマツでいなくなっちまって、欠員を埋めるために追加で十人ほど召喚なさったとか。ほんでそのうちのおふたりを、ホビットの集落でお世話することになったらしいだ……らしいです」
「シュウマツ……?」
三船さんはたしかに「欠員が出た」と言っていた。そして、その補充要員に私を選んだ、とも。
「んだ。……ほえぇ……勇者さま、みんなかっこよかっただ……」
イングローネさんは天を仰ぎ、うっとりとした顔になった。
シュウマツがなんなのかも気になるが、それよりも──
「おふたりとは? 私のほかにもどなたかこちらにいらっしゃったのですか?」
「へえ。あ、いや、はい。隣のお部屋にも勇者さまがいらっしゃるのですが……そのう……」
イングローネさんは言いにくそうにもじもじと身体を揺らし、もにょもにょと口ごもる。
「それが……月乃さまよりも早く起きていらっしゃるのですが、ずっとベッドの上で身体を起こしたままぼーっとして、おらがいくら話しかけても上の空で……」
「そのかたも私と同じように、今日初めてこちらに?」
「はい」
「あの……男性のかた、でしょうか」
「いえ、あちらも女性の勇者さまだ……です」
イングローネさんの言葉に心から安心した。隣の部屋に見知らぬ男性が寝ているなんて、考えただけでも──
「月乃さま?」
たちまち心の
そして、三船さんの言葉を思い出す。
『あなたはあなたと同じように、心に深い闇を抱えた人物に出会うでしょう。その人物を助け、あるいは
なんとなく、隣の部屋にいる”彼女”こそが、私の”あかり”だと思った。
「あ、いえっ、なんでもありません。……そのかた、私がお会いしてもよろしいですか?」
「月乃さまが? ええ、ええ、おらは一向に構わんです。……あ、いや、望むところです」
では、とイングローネさんは扉を開けてくれる。
ひと足先に部屋を出て、左手で扉をおさえながらイングローネさんが続くのを待つ。
そのとき、気がついた。
手首の生々しい
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