09-20-おしえて、生きるいみを

 両親が離婚した。

 自殺未遂を繰り返す私が原因であることは間違いない。

 婿養子だった父は私を連れ、金沢にある大桑の家から東京都に引っ越し、同時に私は”大桑月乃”から”大仁田月乃”になった。


「ごめんな、月乃。もう大丈夫だ。月乃はパパが守るから」


 ごく普通のサラリーマンだった父はどういうわけか都下で大仁田通信社という会社を起業し、個人事業主となった。

 ふと、フリーの記者になったほうが身軽だったのではないかと思ったが、父にそんな進言をする気も余裕も私は持ち合わせていなかった。


 東京へ引っ越してから私は中学校にも通わず、高校の受験勉強さえしようとしなかった。


 家を出ぬまま、仕事を終え帰ってきた父に会釈し、その引き換えに食べ物を受け取るだけの日々が続いた。


 父は引っ越して以来、学校に行けとか、普通の女の子になってくれとか、そういうことを言わなくなった。

 楽ではあったが、私に声をかける際、言葉を選んで選んで選び抜く父に申しわけないという思いと、私にどれだけ気をつかってくれても、私は私にしかなれないという諦観が、私をより深い闇へといざなった。


 借家の庭先にそっと立つ木に桜が芽吹いても、私は高校へ行かず、ただじっと部屋にいた。


『うさたろう! うさたろうっ!』

『コイツ、壊れやがった……! や、やめろっ……!』


 目を瞑ると、どこまでも哀しい眼をした少年と、赤黒く染まる世界が脳裏をよぎる。

 同時に思い出してしまう。

 私を打つ手のひらと、私の制服に伸びる、何本もの腕を──


 手首の傷が痛まなくなると押し寄せる、じくじくと疼くような胸の痛み。


 ──止めなきゃ。


 胸が痛むのは、私に対する罰が足りないからだ。

 手首の傷だけが、私を許してくれる。



 カッターや包丁といった刃物がこの家にはひとつもない。

 そういったたぐいのものは、


『お願いだ。学校へ行けなんて言わない。普通の女の子になれなんてもう言わない。だからもう、自分を傷つけないでくれ』

 

 父親が私から遠ざけているからだ。



 私はとくべつ、死にたいわけではない。



 生きる意味がわからないだけなのだ。



 無為に、無味に、無感情にこの先を生きる意味が。



 カッターの代わりになりそうなものがないかと部屋を探していると、使い古されたぶ厚いノートが見つかった。


 表紙には、こう書かれていた。




『召喚士が陰キャで何が悪い』




「これ、は」



 ニュースなどで取り上げられるアルカディアに憧れた私が、中学生時代に書きためた、自作小説のタイトルだった。


 パラパラとページをめくる。


 高校──クラスのいじめられっ子である”私”は、アルカディアで召喚士になる。

 学校でもアルカディアでもいじめられていた”私”だったけど、召喚モンスターにはないはずの自我が"私"の召喚したモンスターにはあり、”私”は召喚モンスターと仲良くなって、絆を育んでゆく。


 召喚モンスターとともに様々な苦難を乗り越え、”私”は少しずつ強くなってゆく……そんな成長物語だ。


 最後のページまでめくると、最終話、最後のキメの台詞だけ書かれていなかった。


 この物語では、”私”がどれだけ強くなり、どんなに大きなモンスターを倒せるようになっても、人見知りで根暗な性格だけは変わらなかった。


 ”陰キャ”だと指をさされ続ける”私”。

 そんな私が最終話、最後の最後で”私”にこう言わせて物語を締めくくるつもりだったのだ。



 「召喚士が陰キャで何が悪い」と。



 生まれ持った性格はどうしても変えられなかった。しかし、"私"は手に入れたのだ。有象無象に後ろ指をさされても壊れることのない召喚モンスターとの絆を。

 そして、”陰キャで何が悪い”と開き直ることのできる強さを。



 ぽたりと音がして、開いたノートの上に歪んだ染みが滲んだ。


 私ははたと立ち上がり、ちゃんと卒業まで使ってあげられなかった中学校の鞄から、ペンケースを取り出した。


 シャープペン、ボールペン、コンパスなど先の尖ったものは父親に取りあげられていたが、先端の丸い鉛筆を見つけ、それを持ってノートの表紙に視線を落とす。


 そしてタイトルに二本線を引いて消し、新たなタイトルをつけた。



『おしえて、生きるいみを』



 どうしようもない陰キャの"私"が、絆を手に入れ、強さを手に入れるなんて到底無理な話だった。


 最後のページを開き、”私”にもタイトル通りのことを言わせようと、鉛筆をノートに這わせる刹那──



 ピーンポーン、とチャイムの音が私を現実に引き戻した。


 父は仕事に出ていって、家には私しかいない。

 やむを得ず玄関までおそるおそる歩いてゆくと、半透明な扉の向こうに、女性のフォルムが滲んで見えた。


「な、なにか、ご用でしょうか……?」


 私は扉を開けぬまま、向こう側へ問いかける。

 我ながら失礼だとは思ったが、私に鍵を開ける勇気などあるはずもなかった。


 彼女は扉により屈折した姿であるにもかかわらず、はっきり丁寧だとわかるお辞儀を一度して、凛とした声を発した。



「大桑月乃さん……いまは大仁田月乃おおにたつきのさんですね。わたくしは灯里家家令、三船と申します。月乃さん、あなたさまにお話があって参りました」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る