09EX-月下濫觴

09-19-現世弄月

 私の人生はいったい、なんだったのだろう。

 手首の熱さと冷えゆく身体、そして薄れゆく意識のなか、何度そう思ったことか。


 怖かった。

 生きることが、他者と関わることが怖かった。


 地味で目立たない顔に眼鏡。暗い性格。


 最後に笑ったのは、いつだろう。


 小学校、中学校と虐めぬかれて、せめて心優しくありたいという私の矜持きょうじは、半年前にあっさりと砕かれた。


 頬を叩かれ、乱暴に服を掴むいくつもの手に怯え、私はあっさりと屈してしまった。


 その結果、悲鳴と哄笑こうしょうのなか、私の目の前で尊い生命がうしなわれた。



『うさたろうっ! うさたろうっ! うわぁぁぁぁぁあああぁぁぁあアアアアッッッッ!!』


 ……私なんかよりも、尊い生命が。 


 鶏口けいこうとなるも牛後ぎゅうごと成るなかれ。


 鶏口とは、にわとりのくちばし。

 牛の一番最後になるくらいなら、にわとりの先頭に立つべし、という意味のことわざだ。


 私は人間という弱肉強食の頂点に立ちながら、牛後──最後方、最下層にいた。



 事件後、はじめて手首を切った。


 生まれ変わるならば人間でなく、動物になりたいと思った。


 鳥ならば自由に空を飛べる。

 猫ならば人の群れにこの身を投じなくて済む。

 たとえ虫でも、人間に騙されず、死ぬそのときまでひたむきに生きられる。


 でも私は、もう1cmの勇気が足りず、私をやめられなかった。

 生きる勇気も死ぬ勇気もなくて、手首の傷だけが私を許してくれる気がして、何度も傷をつけ、そのたび両親に叱られた。


 両親は一見必死な様子で、いのちの大切さ、尊さをいてくる。


 いのちを粗末にすると地獄に堕ちるとか、自死はこの世でもっとも重い罪だとか、私にとってはちり紙よりも軽い上っ面のことばを。


 ──そして、最後には決まってこう言うのだ。


『お願いだから普通に生きて、普通に学校に行って。あなたならできるから』


 それを聞くたび、ああ、きっと、両親が望んでいたのは”私”ではなく”普通の女の子”だったのだと、親子の乖離を再認識した。



 普通になれなくてごめんなさい。

 底辺でごめんなさい。

 いじめられっこでごめんなさい。

 いのちを奪って、ごめんなさい。


 ごめんなさい。

 ごめんなさい。



 ……でも、あなたたちも悪いと思う。



 こんな私をつくった、あなたたちも。



 どうして、私なんかを、産んでしまったの。



 私だって、こんな私になりたかったわけじゃない。



「もう、私にかまわないでください」


 初めて両親に逆らったとき、左の手首には青黒い四本の傷が色濃く浮かんでいた。


 バスルームでその四本よりも深い──確実に死を望んだ五本目の傷を自身に刻んだとき、私は思い出した。



『うさたろうっていうんだね。……ふふっ、かわいいね、うさたろう』



 最後に笑ったのはあのときで、



 やはり私が壊してしまったのだと。

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