09-15-優しい棘

 女子陣はシャワーから帰ってくると、この食堂に寄らず、ごめんなさいと各々声を上げながらばたばたと階段を駆けあがっていった。約束の時間が迫っている。ギルドへ向かう準備をはじめたのだろう。


「あんたら一口くらい食べなよもー!」


 廊下に飛び出した女将が階上に向かって声をあららげる。ココナは素知らぬ顔でにゃんにゃん言いながらフィッシュフライサンドを頬張り、リディアは箸からフォークに持ち替え、ナイフで巨大なフライに切れ目を入れている。俺はただ恐々とするばかりである。


 ……と、ここで俺の胸の奥が騒がしげに訴えてきた。


 いわく、「そろそろお外に出たいよー!」と。


 コボたろうが、コボじろうが、コボさぶろうが。

 はねたろうが、ぷりたろうが、そしてうさたろうが。


 召喚して! と、うずうずしているのがわかった。


 俺だって早く会いたい。

 全員をこの場に召喚し、昨日の愛別離苦あいべつりくの哀しみを笑顔にしたい。


 しかしいまからギルドへ行くというのに、召喚モンスターを連れて行くのもはばかられたし、MPのことを考えるとそもそも全員同時に召喚することができない。


 今朝確認したステータスモノリスによれば、俺の最大MPは32。


 俺が習得するスキル【☆召喚MP節約LV1】は召喚の際、そして召喚中に消費するMPコストを90%にしてくれるスキルだ。

 ダンベンジリのおっさんから貰った、指定したスキルのLVが1上昇するレザーブレスレット『☆ワンポイント』の効果で、さらに90%になる。


 コボたろう、コボじろう、コボさぶろう──マイナーコボルトを召喚するのに必要なMPは9だが、約7.3まで軽減される。


 はねたろう──ジャイアントバットの消費MPは11。これがスキルで8.9になり、ぷりたろう──マイナージェリーの消費MPは13から軽減されて10.5。


 うさたろう──ヴォーパルバニーは、リディアが「ちょっと遠くにいる」と言うだけあって、もとが強いモンスターなのだろうか、消費MPは19。スキルで差し引いても15.3。翼と珠を加えてフルアーマーうさたろうにすると20ものMPを消費する。


 全員を召喚しようとすれば、56.6ものMPが必要だし、フルアーマーうさたろうだと61.3。ぜんっぜん足りない。


 それでも、たとえば『★リジェネレイト・スフィア』をアッシマーに使ってもらい、MPを回復しながら召喚すれば一応は可能だ。

 しかし六体もの召喚による疲労により、俺のMPはみるみる減少し、みんなは召喚解除され、俺はふたたび死の淵を彷徨さまようことになるだろう。


 結局のところ、俺の実力不足。

 たくさん召喚して、たくさんMPを使って、たくさんのMPや召喚に関わるスキルを習得し、レベルも上げて強くなるほかないのだ。


「みんな、もうちょっと待っててくれよな」


 ギルドでの用事が終わって外にでるとき、必ず召喚するから。

 そして、早く一人前になって、全員同時に召喚できるようになるから。


 胸に軽くぶつけた拳が、ほんのりとあたたかい。


「なあリディア。リディアのMPってどれくらいなんだ? リアムレアムたちを召喚するリディアに早く追いつきたい」

「ん」


 俺が問うと、リディアは困ったような顔をした。

 そういや、リディアって前にレベルを訊いたときも秘密だって言ってたな。


「たぶん、透はきかないほうがいい」

「どうしてだよ」

「わたしは自分をとくべつ強いとはおもわない。でも、アルカディアでの日があさい透とくらべるのは、透にとって


 リディアは謙遜しているが、リディアが強いのは俺が知っている。

 コボルトやジェリーより明らかに高度なモンスターを何体も従えているし、以前俺たちがピンチに陥ったとき、周りのモンスターを一瞬で凍りつかせた魔法──たしか凍土ニヴルヘイムという名前だったか──は圧倒的だった。


「それでも、いつかはリディアに追いつきたい。それがどれだけ遠い未来でも」


 いつか、サシャ雑木林の前でリアムレアムを召喚するリディアを見たとき、俺はリディアのことを、いつか追いつくべき、そして追い抜くべき存在だと認識した。


 力を。もっと、力を。

 俺の夢は、召喚モンスター虐げられし者の軍勢で地平を埋め尽くすこと。


 そして、願わくば──このアルカディアにおいて、召喚モンスターの不遇ってやつをぶち壊したい。

 召喚モンスターにも心があって、自我があって、それを潰しているのは召喚者なんだと伝えたい。


 なにかを伝えるには、俺が伝えられるだけの人間にならなきゃいけない。


「……やっぱり、透にはおしえたくない。透はすぐむちゃをするから」

「う……」


 残念ながら、返す言葉が見つからない。

 無茶なんかしてねえよ、なんて俺が過労死したことを知っているリディアには言えないし、これからは無茶なんてしねえよ、なんて約束もできない。


 結局のところ、この世界には都合のいい覚醒なんてない。これまでの勝利やシュウマツを撃破したことも、うさたろうの召喚とモンスターの意思の融合を除いたすべてがこれまでの積み重ねだった。


 ならば、誰よりも強くなるには、誰よりも頑張るしかないのだ。

 そして俺には、その覚悟がある。


「透はもう、ひとりじゃない。透がむちゃをすれば、コボたろうたちだけじゃなく、アッシマーや伶奈たちもきけんなめにあう」

「……それは…………」

「……ごめん。いやないいかたをした。でも、なんだか心配だから」


 そう言ってしょぼんと顔を伏せるリディア。


「あ、いや、違うんだ。そんな顔、しないでくれよ」


 慌てて立ちあがってしまった。


 リディアの言葉には、俺に対する気遣いと優しさが多分に含まれていることは疑うべくもない。

 だからこそ、優しい棘がちくりと胸を疼かせるのだ。


 無理して強くなろうとすれば、誰かが傷つく。

 俺は、それでも強くなりたいのか。

 自分以外に犠牲を求めてでも強くなりたいのか。


 そう痛いほど訴えてくるのは、やはり胸のうちにいる、いまだに孤独は強さだと信じて疑わない俺だった。

 

 ひとりならば、傷つくのは俺だけ。

 俺と、俺の誓いの先を夢見ていると言ったコボたろうたちだけ。


 しかし俺は、ひとりじゃないあたたかさを知ってしまった。

 誰かとともに闘うよろこびを、立ち向かって乗り越える尊さを知ってしまった。

 同時に──誰かを傷つけたくないという自分の想いを知ってしまった。


「あんたらやっと下りてきた! 時間ないんでしょ? 一口だけでも食べなよ。あとはこっちで包んどくから」


 気持ちの整理がつかぬまま、女将の声とドタバタと階段を降りてくるいくつもの足音が、俺を現実に引き戻した。



──


 噴水広場の横にある冒険者ギルドまでの道を駆け足で進むが、その道のりも平坦ではなかった。


「きゃーー! 亜沙美お姉さまー!」

「あーごめん、いま急いでるから!」


 昨日のシュウマツを空に浮かぶモニターで観ていた街の住人が声をかけながら囲んでくるのだ。

 女性陣にかけられる、いくつもの黄色い声。



「藤間ぁーー!」

「透ゥゥーー!」


 俺にかけられるのはオッサンの茶色い声ばかり。なにこの理不尽。


 人混みを掻き分けながらようやくギルドに到着した時、約束時間である九時の三分前だった。


「なんとか間にあったねー」


 鈴原がふうふうと胸元に手をあてて息をつく。筋肉痛のためか、そんな動作もぎこちない。


 ギルド内はいつも通りの混雑で、冒険者たちは俺達を振り返り、歓声を浴びせてくる。


「すごい人……」


 灯里が人混みに酔ったのか、自分の額を手でおさえたとき、階段の上から嬉々としたような声が聞こえてきた。


「まああ、ようこそお越しくださいました! さあさ、みなさますでに集まっておりますわ」


 こちらへどうぞ、と手招くのは、二階の受付嬢兼、冒険者ギルド副長のエヴァだった。今日もウェーブがかった紫の長い髪とチャイナドレスが色っぽい……


「あいた


 俺の横腹に高木の拳が当てられて、靴を灯里に踏まれていた。



──



 通された二階の部屋は前回よりも広く、木製の机がに並んだ、会議室を彷彿させる部屋だった。


「あ、やっと来た」


 すでに俺たち以外──すなわち祁答院、海野、三好清十郎、国見さん、小山田と小金井は席についていて、三好伊織が「遅い」とでも言うように立ちあがった……のだが、彼女も筋肉痛なのだろう、すぐに顔を痛みに歪める。


「それでは、わたくしはこれで。終わりましたら一声かけてくださいませ」


 エヴァは丁寧に頭を下げ、部屋を出ていってしまった。


「は? オレたちはどうすりゃいいんだ?」


 海野がエヴァの消えた扉の向こうへ声をかけ、無反応を確認すると俺たちへ視線を向けてきた。


「ウチらもなにも知らないよー」


 鈴原が応えると、海野は困ったように机に肘をつけ、顔を逸らす。


「とりあえずアイテムの分配をしよう。みんな、シュウマツで手に入れたアイテムを机に並べてくれないか」


 祁答院が立ち上がり、革袋の中身を取り出した。


「アイテムが多いから、分類ごとに整理して置いたほうがいいわね。男子は机を並べ直してちょうだい。女子は机ごとにアイテムを分けて置いていきましょう」

「そうだね。直人、国見さん、藤間くん、三好くん、やろうか」


 七々扇と祁答院の合図で皆が動き出す。澪に言われた、みんなはおにいにリーダーになってほしいんだよ、という言葉、やはりどうにも俺には荷が重いようである。


「藤間くんっ、えへへ、昨日はおつかれさま!」


 三好清十郎が俺の隣にとことことやってきて、机を持ちながら屈託のない笑顔を向けてくる。あーそうだ。この子、男子だったわ。


「昨日のエンデってやつ、本当に来るんだろうな? アイテム持ち逃げされてるんじゃねーだろーな」


 海野が国見さんと机を持ち上げながら、ひとりごとにしては大きな声をだす。


「こ、怖いことは言わないでほしいものだねぇ……」


 国見さんがぎょっとしたようにそれに応え、机を運んで行った。


「藤間くん、どう思う?」


 机を挟んだ向こうで清十郎が首をかしげる。


「そんなことしないだろ」

「うんっ、えへへ……そうだよね! いい人そうだったし!」


 ……いい人そうだった、か。

 たしかに悪いやつって感じじゃなかったし、風格の割にはやけに人間じみていた。


 みんなと一緒に開錠の手伝いをしてくれたことも、コボたろうたちのことを教えてくれたことも、良い週末を、と言ってくれたことからも、優しい人間であることをものがたっている。


 しかし「悪魔は最初は優しい」と知っている俺は、どうにも信じられない。

 彼がエンデという名前で、シュウマツの立会人であるということしか知らず、それも彼の口からもたらされた情報なのだ。


 俺がひねくれすぎているだけなのか。

 それとも、三好が信じすぎているだけなのか。


 思考の海に溺れかけつつ机をひとつ並べたとき、部屋の空気が変わった気がした。


 寒さとも恐怖とも違う。

 若干の息苦しさと、圧倒的な強さが近くにいるような、言うなれば”あつ”。



「皆、揃っているな」


 それは、いつの間にか会議室の隅にいた。

 窓際で壁に背を預け、腕を組みこちらをじっと見つめる長い黒髪。美しいほど靭やかな筋肉を持つ長身の男。


「きみたちの戦利品を持ってきた。机を運ぶのなら俺も手伝おう」


 そしてやはり、風格とは裏腹に、人間じみた優しさを見せてくるのだった。

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