09-13-愛おしき最悪の目覚め

 最悪の目覚めだった。

 気だるい微睡みとあたたかさを金属音がガイーンガイーンとけたたましくぶち壊し、乱暴なやかましさと朝の寒さを無理やり伝えてくる。


「起きなよあんたら! 今朝はあんちゃんだけじゃなくてアッシマーちゃんまでどうしちゃったんだい! 九時から用事あるんでしょ!?」


 ガンガンガンガン……!

 う、うるせぇ……!


 頭から布団を被り、無になる。

 ありとあらゆる雑音をかき消して、絶対に起きないという姿勢をとった。


 何人なんぴとたりとも俺の眠りを妨げることは……


「な、なんてしぶとい子だい……! これはアタシのかかとを出すしか……!」


 とび起きた。なんだよ踵って。怖すぎるだろ。


「んあー……」

「ようやく起きた。……ったく、あんちゃんも最近は早起きだったのにねぇ。誰も降りてきやしない。あんたらいったい何時まで起きてたわけ?」


 薄く開いた視界に、唐紅からくれないのポニーテールが映りこんだ。ちょこんと乗っかったような猫耳、白いシャツに茶色の猫が刺繍された青いエプロン。


「んあー……。女将さん……生きてたんすね」

「はぁー? 寝ぼけてるのかい? 生きてるよ、おかげさまでね。んあんあ言ってないで、アッシマーちゃんを起こして早く降りてきな!」


 女将はぷりぷりとした様子でそう言って背を向ける。

 いつもなら寝ぼけ頭に恐怖が入りこむところだが、覚醒していない脳でも自認できるほど喜びのほうが大きかった。



 ……生きて、いたんだ。


「あの……シュウマツって、あった、んすよね」

「……あんちゃん、どうしちゃったんだい。熱でもあるのかい? ……あったよ。アンタたちがシュウマツを撃退して、終末じゃない週末をもたらしてくれたんじゃないか」


 女将は振り向いて俺の額に手を当て、


「熱があるわけじゃないね。……男があんまり自分の功績を語るもんじゃないよ。……でも、感謝は、その、してるから」


 そう言って、こんどこそ部屋を出ていった。


 開け放たれた扉の先を見つめながら、はぁぁ、と大きなため息を吐く。

 シュウマツはちゃんとあって、みんなはちゃんと生きていて、アルカディアはちゃんと俺が経験した続きだった。


 ならば、現実の掲示板で見たあれはいったいなんだったのか。


 複数の人間によるいたずらだったのか。

 ──それとも、ゲームのサーバーのように、いくつものアルカディアが存在していて、シュウマツのあるアルカディア、アーマゲドンのあるアルカディア、ディザスターのあるアルカディアがそれぞれ存在しているのか。


 シュウマツ前日、担任の西郷は情報に頼るな、と言った。自分で見聞きしたことこそが真実だと。


 ならば、いつもの宿屋で目が覚めたいまこのときこそが真実なのだ。

 すっかり見慣れた焦げ茶の天井も、壁にかけられた火の消えたランタンも、カーテンの隙間からくさびのように入ってくる光も、外から聞こえる生きた街の声も、恐ろしい起こしかたをしようとする女将も。


「はぁぁぁぁぁ……」


 ふたたび肺から大量の息を吐き出す。深いため息には寝起きでむにゃむにゃしただるさのなかに、たしかな安堵が含まれていた。


 そして、胸のうちに愛おしい存在がいることにもほっとした。


 コボたろうが、コボじろうが。

 コボさぶろうがはねたろうがぷりたろうが、そしてうさたろうが俺の胸のなかに息づいていて、召喚されるときを待っている。

 

 いつも通りだ。

 ただいつもと違うのは、最近は早い時間にしゃっきりと目が覚めていたのに今日はめちゃくちゃ眠いことと、作業台を挟んだ向こうのベッドでまだアッシマーがすぅすぅと寝息をたてていることだった。


「うっお、いってぇ……」


 ベッドから抜け出すとき、じんじんした痛みが全身を襲った。


 ……そうか。こっちの身体は昨日シュウマツで動きまくったから、俺はいま、足だけでなく身体全体が筋肉痛なんだ。それも、前代未聞の。

 

 そうなると、目を開けていられないほどの眠さやアッシマーがまだ寝ていることも納得できる。

 昨晩、シュウマツが終わってからいろいろとあって、寝た時間は午前三時から四時のあいだだった。普段は深夜十二時までには寝ていたから、アルカディアの俺たちは睡眠不足なのだ。


 身体は呻くほどの痛みを訴えてくるのに、眠気は一向に引いてくれる気配がない。

 布団のぬくもりを名残惜しみながら痛みをこらえてアッシマーのベッドに近づく。


「おいアッシマー、起きろ」


 布団の上から肩を揺すると、アッシマーが寝返りをうってこちらを向いた。


 アッシマーはそれでもまだ布団にくるまってすぅすぅと寝息をたてている。

 仮にも男である俺と同じ部屋に泊まっているというのに。

 すこしだけ口を開けて、安らかに。どこまでも、無防備に。


「……アホそうな顔」


 そういえば、アッシマーよりも俺のほうが先に起きるのは初めてのことだ──なんて思いながら、痛む身体に鞭打ってかがみ、丸っこい無垢なほっぺたをつついてみる。


「ふにゃー……」

「ぷっ。やっぱり寝言すらあざといのな」


 指先に感じた柔らかさは、男子が女子に感じる劣情よりも、このまま俺も眠ってしまいたいというあたたかな優しさを運んでくる。


「うにゅー……」


 ちょっと楽しくなって、しばらくこうしていたいと思ったが、ドタバタと慌てるような音と、


『やば、寝過ごした! 今日ギルドに行かなきゃじゃん! 香菜あんたも起きな……っていたっ! 身体いったぁ!』


 悲鳴にも似た高木の声が聞こえてきて、俺は慌てて立ち上がり、身体の痛みに声をあげながらアッシマーの布団を剥がし、肩を強く揺さぶって強引に起こしたのだった。

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