09-12-月の涙
「それじゃ、よろしくお願いします。俺まで送ってもらってすいません」
「いや、兄妹の夕食を邪魔して悪かったね。また頼むよ」
澪ちゃんを秋葉原の自宅で降ろしたあと、市川市鳳町にあるアパートに藤間くんを送り、部屋へ入る背中を見届け、胸ポケットからマルボロを取り出して百円ライターで火をつけた。
「ふー……」
煙をたっぷりと肺に吸い込んだあと、窓を開けて吐き出す。
紫煙くゆる車内から前方、後方を確認するが、近くに車両は見当たらない。
間違いなく尾行されていた。
荒川を渡りきったあたりから、公園で話をしているときも少し離れたところに駐車していた。
遠回りをしたというのに、公園から澪ちゃんの家の近くまで、黒のエルグランドがバックミラーから消えることがなかった。
「ふー……」
尾行は秋葉原の藤間家でぴたりとやんだ。対象は自分や藤間くんではなく、澪ちゃんだったと捉えるべきだろう。藤間くんが言っていた、澪ちゃんを警護する灯里家の警護の車が僕を怪しんで”つけて”きたのだろうか。
それならば澪ちゃんの家で尾行が消えたことも納得できる。彼らの仕事は、澪ちゃんの警護なのだから。
しかし万が一、そうではなかったとしたら……?
これは藤間くんと獅子王の因縁といった話では終わらない。
世間では懲戒もあり得ると騒がれているが、部下をつかって証言の操作をしていたくらいだ。つつけば余罪なんてぽろぽろ出てくるだろうし、懲戒どころか実刑がおりる可能性だってある。
獅子王龍牙には藤間くんに復讐する理由がある。
たとえば、彼は七々扇さんに裏切られたと感じ、澪ちゃんに狙いを定める。
しかし金沢に住む高校一年生でしかない彼が、千葉に住む彼に復讐する方法なんて限られている。
父・獅子王正虎には灯里家に復讐する理由がある。
獅子王正虎が
ふたりの醜い恨みがひとつになったとき、ふたりの的外れな報復の対象は、澪ちゃんに共通するのではないか……?
万が一、あの車が獅子王のものだとしたら……?
「考えすぎ、か」
しかしひとりごとが口から出たからこそ、考え過ぎではないのだと、あり得るからこそ否定したいのだと訴えかけてくる。そして、考えすぎだと楽観視すれば、自分にとって都合のいい真実に寄せているのではないかと、己の信念と藤間くんが責めてくるような気がして。
せめて澪ちゃんの安否だけでも確認しよう。
もう一度だけ煙を吸い込んで、短くなったタバコをもみ消したとき、スマホがぶるぶると震えた。
──登録していない番号からの着信。
一瞬迷って、通話ボタンをタップした。
『大仁田さんですね。大仁田智久さん』
これだけで理知的だとわかる、女性の声。
「……どなたでしょうか」
それには答えず、質問を返した。
『灯里家家令、
「……ちょっと待ってください。灯里家の家令……?」
警視総監家の家令がどうして自分に用事があるのだろうかと頭を巡らせたとき、思い浮かぶのは尾行および藤間兄妹との接触のことだけだった。
「先ほどの尾行はあなたでしたか」
『はい。厳密に言えば、わたくしの兵、第三、第六、第八、第十三部隊によるものです。十三部隊の仕事が拙く、あなたに発覚されてしまいました』
電話越しの相手──三船の声を聞くたびに唖然とするような驚愕が耳から飛び込んでくる。どうにか平静を装って、
「僕を尾行? なんのために?」
うそぶいて見せるが、三船は僕の心中を見透かしたように笑ってみせる。
『ふふっ……。なんのため、ですか。わたくしが尾行しているのはあなたではないことは百もご承知でしょうに』
「灯里家の人が、いちライターの僕になんのご用ですか。要件もわからないのに会えるはずがない」
どうせこれも、ペースを握られないために話を逸らしたのだとバレているだろう。しかし、見透かされているだけというのはライターとしての矜持が許せなかった。
『藤間澪、及び藤間透は主命により、わたくしが警護しております。余計な心配は無用です』
「……そのわりには、彼らはあっさりと僕の車に乗った。警護というわりにはザルなんじゃないですか」
『勘違いしてもらっては困ります。あなたはふたりを拉致したのではない。ふたりから進んであなたの車に乗ったのです。藤間少年があなたを見誤って自らを危険にさらしたのなら、我々に過失はありません』
驚くだけではない。三船の言葉は、僕に多くの疑問を植えつけてくる。
警視総監家とはいえ、家令にそのような権限があるものだろうか?
私兵? 十三部隊?
警護すると言っておいて、ただひたすらに守らず、藤間少年の判断が間違っていたのなら守る必要はない?
この短い会話で手帳のページがみるみる埋まってゆく程度には疑問だらけだった。
「ご用はそれだけですか? ふたりの心配をする僕を安心させようとわざわざ電話をした。それだけなら会う必要はないかと思います」
もちろん、それだけのはずがないだろう。
ずっとペースを握られたままでは癪に障る。だからこちらからイニシアチブをとるべく、仕掛けていくことにした。
「それとも、調べられたら困りますか? これはただのイジメから発展した事件で終わらず、警察内の
獅子王龍牙による藤間くんへのイジメ。
半年前に事件が起こり、警視正である獅子王正虎は息子の不祥事をもみ消した。
それを警視総監──灯里慶秀が内部告発し、獅子王正虎はいま懲戒免職、そして実刑の危機にある。
イジメは警察の内部告発を招いた。
しかしこうして灯里家から僕に電話があるということは、灯里家にもなにか探られたくない腹があるんじゃないのか、と。
『ふふっ……。背伸びは似合いませんよ』
しかし三船はそんな僕の”カマ”さえも背伸びと一笑に付し、
『むしろ逆です。ご存分に調査のうえ、ご存分に報道ください』
「……なんだって?」
『探られても痛い腹などありませんので。……それよりも、あなたが私情にとらわれて現実を捻じ曲げるほうが厄介です』
ドグン、と心臓が揺れる音がした。
「私情……?」
『とぼけても無駄ですよ。ご息女のことです』
ドグン。
「調べた……のか?」
『調べたもなにも、あなたの仕事中、わたくしはすでに二回、ご息女と接触しています。お茶も頂戴いたしました』
ドグン。
「接触!? なんのために……!」
もう、ペースとかイニシアチブとか、どうでもよかった。
『真実を”識る”ためです。そして、いのちを守るためです』
真実。そして、いのち。
三船は驚くほど僕のことを──そして、娘のことを識っていた。
『”おしえて、生きるいみを”』
「なっ……!」
なぜ、三船がそれを知っているのか。
『彼女に必要なものがなんだかわかりますか』
「……待ってくれ。三船さん、いまあなたはどこにいるんですか」
『あなたがたはことごとく彼女に自立を促した。強さを求めた。親の欲目で、身勝手に、わがままに、娘に”せめて普通であること”を願った』
「質問に答えてくれ!」
通話をスピーカーに切り替えて、勢いよくアクセルを踏み込んだ。
『大仁田さん、あなただけは気づいたはず。だからこそ離婚し金沢を離れ、ご息女とともに東京都へ引っ越したのでしょう』
向かう先は自宅のある江戸川区葛西。
『彼女はまだ、闇のなかにいる。自分で立ちあがろうにも、どうしていいかわからない。なにを
わかってる。
……いや、ようやく気づいたんだ。
僕たちが、娘にどれだけ無茶なことを要求していたのか。
僕たちは愚かなことに、ふさぎ込む娘に対し、闇雲のなかを闇雲に進めと言っていたのだ。
そうだ。娘に必要なものは──
『彼女に必要なのは、闇を照らす”あかり”だったのです』
白いライトに彩られた新市川橋に勢いよく突入し、車をジグザグに抜いてゆく。
『"ちょうど欠員が出ました"。ご息女にお会いするのもこれで三度目です。是非とも父親であるあなたにもご同伴いただきたい。これがわたくしがご連絡差しあげた理由です』
イルミネーションを背に、街を走り抜ける。
はじめて捕まった赤信号。
夜空に浮かぶ欠けた月から、
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