09-10-都合のいい真実

 狭い部屋のなか、テレビを指差しながら澪のダメ出しは続いた。


 殴りにいくのは判断ミスだの、殴るにしても馬鹿正直な空手スタイルが殺しあいの邪魔しているだの、すぐ周りが見えなくなるだの、えびらのなかの矢に気づくのが遅いだの。


 心のうちではたびたび「実際の戦場は違うんだよ」と反逆心が首をもたげたが、しかしイメージスフィアを見ながら指摘されるたび、冷静に考えるとたしかに……と、納得するところばかりだった。


 こうして改めて戦場を大局的に眺めてみると、とくに祁答院、高木、七々扇の戦いぶりや判断、指示出しは理にかなっていて、俺よりも広い視野で物事を見ている。


 シュウマツを結果だけで論じれば、全員の生還、モンスターは一体たりとて通さなかったと胸を張れるが、それはしかし俺の行き当たりばったりの行動が都合よく、テトリス棒のようにうまくハマっただけで、もう一度同じことがあれば、きっと正方形やカギ状のブロックに阻まれるに違いない。


 そうしてブロックが最上段に達したとき、苦しむのは俺だけでなく、ともに闘ったみんなや、街の人たちなのだ。


 繰り返しになるが、澪は実際に闘ったわけではなく、リアルタイムストラテジーのように戦場を見渡して言っている。

 いざ戦闘になれば、机上の空論。現場を知らぬ経営者。

 モンスターの怖さも、痛みへの恐れも、それぞれの感情も、互いの正義もない。


 しかし「自分ならこうする」と後出しジャンケンでドヤ顔をしているわけではないことは、澪の表情を見ればわかる。


 俺を本気で案じてくれている。

 濁った大きな目が、下がった眉毛が、指摘の際、勇気を伴った指先が、もう一歩踏み込んでも構わないか配慮する声が。


 澪はきっと、兄にこんな耳に痛いことを言うのは心苦しいけれど、ぐっと呑みこんだうえで俺がこの先のシュウマツで失敗しないよう案じてくれているのだ。


 ならば兄として、俺も"良薬口に苦し"と呑みこむ必要がある。


「おにいは勇気があるように見えて、じつは臆病だよ。みんなが傷つく姿を見たくないから、最初に自分から傷つこうとしてる」


 歯にきぬ着せぬ言葉も、いちいち俺の弱いところを抉ってくる。


 でも、そっと俺の袖をつまんでくる澪の手を振り払ったりなんかしない。


 強くなりたいなんて漠然とした意志よりも、自分の弱いところを鍛えたほうが、きっと、早く強くなれると思うから。



──



 反省会が終わるころ、カーテンから差し込む光もうっすらとだいだいを帯び、時刻は午後五時になろうかというところだった。 


 澪はここに泊まると言い出したが、布団がないため断った。澪にベッドを与えて俺は学校でそうしているようにテーブルに顔を伏せて眠ってもよかったが、親に連絡するのも気が引けた。



 俺がシュウマツで少なくない報酬を得たことを澪に吐かされたため、夕飯をどこかで食べ、市川駅まで送っていくことになった。


 夕暮れた住宅街に影をふたつ伸ばす。

 春の黄昏はやや肌寒く、ジャージが保護していない顔や手先は冷たい。


「今年は冷えるねー」


 アパートの敷地を抜けたなり、両手をこすり合わせながら隣の影が俺を見上げる。


 例年、四月はもっと暖かだったか? と、澪に言われてはじめて考えてみる。

 しかし数年氷河期だった俺の心は季節の移ろいを感じる余裕などあったはずもなく、


「そうかもな」


 曖昧に頷くことしかできないでいると、背中から「すいませーん」とかけられる声と、いくつのも足音が聞こえてきた。


 振り返ると、小太りの男、長身で痩せぎすの男、小柄な女性の三人がこちらへと小走りで駆けてくる。


 三人とも三十前後といったところだろうか。カッターシャツに身を包んでいて、小太りの男なんかはこの肌寒い空気のなか、首元のタオルが汗を吸って変色している。


 澪を背中に隠しながら、胡乱うろんげな視線を送り警戒する俺に、痩せぎすの男が、


「藤間透くんだよね?」


 それだけで、マスコミだろうと思った。


「時間がないんで」


 相手の名前も訊かず、それだけ言って澪の肩を掴みきびすを返す。


「カノジョかな? 送ってあげるから、車のなかで少しだけお話を聞かせてくれないか?」


 声質が違うから小太りのほうの声だろうと、どうでもいいことを振り返らぬまま思いながら、澪の背を押すようにして前進する。


「もしかして、妹さんじゃないですか? 妹の澪さん」


 女性の声に澪が振り返った。躊躇ためらう澪を見ないようにして、三人を背に歩みを進めるが──


「えっ、それならちょうどよかった! 一緒に話を聞かせてもらえないかな? 半年前の傷害事件、その真相を」

「……」


 俺がこうやってマスコミを避けるのは、半年前──まだ金沢に住んでいたとき、十四件の傷害事件を起こしたとされ、しつこくつきまとわれたことを思い出したからだ。


 顔と名前は出さないからだの、少しだけでいいからだのと言いながら、彼らは俺が空手をやっていたことを絡めて、あのうさぎ小屋で起こったことを根掘り葉掘り問うてきた。


 俺には獅子王の息がかかった刑事の、十四の傷害を起こしたという言葉を信じることなどできなかった。俺の拳は獅子王と見張りしか捉えなかった──ぼんやりと、そう信じていたんだ。



『殴った覚えはあります。でもそれは獅子王と見張りだけ……だったと思います』

『……思います? 十四人はみんなきみに殴られたって言ってるけど』

『……それは……口裏を合わせているだけです』

『じゃあ、うさぎは? 飼育小屋のうさぎもきみが死なせたんだろう?』

『そんなわけあるかッ!!』


 ……こんなやり取りが数日続いた。


 灯里から真実を告げられて、結局、クラスのやつらも警察もマスコミも、誰かに合わせたいいきものなんだと知った。

 真実を白日のもとに晒すことが使命だなんてのたまっておいて、結局のところ、自分に都合のいいストーリーを考え、あるいはそれに乗じ、それを真実と妄信してゆく。


 半年前は獅子王のストーリーに乗っかっておいて、それが灯里の手によって下火になると、簡単に手のひらを返す。



 だから、

 俺は。


 警察が、

 マスコミが、


 ……人間が、きらいだ。



 三人を振り返る。



「お前らメンコかよ。メンコが真相なんて言葉を軽々しく使ってんじゃねえ。一生ひっくり返ってろ」



 言うまでもなく、こいつらは金沢で俺をしつこく追いかけたマスコミとはべつの人間だ。

 だからこいつらからすれば俺の言葉はわれのない暴言に聞こえることだろう。

 しかし、横に並ぶのが俺の妹と知り、なおさら前のめりになる姿は、俺が植えつけられたマスコミ像となにひとつ変わらない。


 俺の言葉に三人が唖然とした顔を見せたとき、三人の向こうから黒いミニバンが徐行しながら近づいてきた。


 ミニバンは三人をゆっくりと追い越し、俺たちの真横で停車して、


「やあ、ふたりとも。よかったら送ろうか?」


 開いた運転席の窓から白い歯を覗かせたのは、今朝、部屋の前で遭遇した大仁田おおにただった。


 後ろの三人はきっと、俺が打ち明けない限り、しつこく俺たちについてくるだろう。

 今日が終わっても、明日も、明後日も。


 ならば一度話して、縁を切ったほうがいいかもしれない。


 ……しかし、俺が話すのはこいつらじゃない。


「大仁田さん。すいませんけど、お願いしてもいいっすか」

「うん。後ろには機材が載ってるから、ひとりは助手席に乗ってもらってもいいかな?」


 頷いて後部座席を開き、戸惑う澪を乗せる。続いて助手席に回り込むとき、怒鳴るような声が聞こえた。


「大仁田お前、抜け駆けする気か!」 

「話の信ぴょう性をたしかなものにするためにも、数人で話を聞くべきじゃないのか!」


 俺はその声に「先約なんで」と吐き捨てて、タバコの匂いがする助手席に乗り込んだ。

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