09-04-来客ふたり
すっかり明るくなった住宅街に、シューズの音が鳴り響く。
もうあさぼらけなんてほど遠く、眩しいほどの陽光は
アスファルトを蹴るシューズと口から漏れる荒い息は不規則だ。反して鼓動は無神経に、明らかにオーバーペースであることを規則正しく訴えてくる。
そうしてようやく見えてきた月三万円のボロアパート。建築当時は白かったであろう壁は痛々しいほど色褪せている。
珍しく、路肩に黒いミニバンが一台停車していた。
車を通り越し、敷地に入って一息つく。自室のある二階へと続く階段を駆け上がる体力など、残っていなかった。
息を整えてから、鉄製の階段に挑む。
赤く錆びた手すりを両手で掴み、老人のような足取り。俺氏、これでも高校一年生である。
ようやくのぼりきって顔を上げると、奥から二番目──俺の部屋の前には、パーカー姿の小柄な人影があった。
フードを被っており、横からでは顔がまったくわからないが、150cmあるかないかという低身長は、小学生、あるいは中学生を思わせる。
その影はなんどもなんども部屋のチャイムを押していて、俺の不在に苛立っているようだった。しばらくそうやってからようやく諦めたのか、八分音符の形をした、どうにも使いづらそうな水色の肩掛け鞄からスマホを取り出した。
「あんのバカ……寝すぎだっつーの……」
奇抜なバッグの形と声のおかげで、不審者の正体が判明した。
「…………お前、なにやってんだ」
「ひうっ」
スマホを持ったパーカーはぴくりと肩を震わせた後、おそるおそるこちらを向いた。
切りそろえられた前髪。大きな瞳がどんよりと濁っていることだけは残念であるものの、可愛らしい顔立ち。
地味めなグレーのパーカーの下からは白黒チェックのスカートが伸びていて、ほっそりとした脚がどことなく寒そうだ。
……なんでここにいるんだよ。
「おつつー。……なにしてたの? だいじょうぶ?」
「はっ、はっ……おえっ……。そりゃ、こっちの、セリフ、だ」
パーカーのフードを外しながらこちらへ駆け寄ってくる。肩の上で切りそろえられたボブカットと、女の子にしては無骨な赤と黒を基調としたヘッドフォンが
「んで、なにしてたの?」
「はぁ、はぁっ、いや、ちょっと、ジョギングをだな……」
「ジョギングぅー!? えーうそでしょ?
意外そうに目を見開き、口を開けて屈託なく笑う姿はいかにも中学生らしい、年相応の女の子。
俺はこの少女の、
喜ぶ顔も、
怒る顔も、
哀しむ顔も、
楽しい顔も、知っている。
目の前の少女が、こんなにも朗らかに笑ってくれていることに、心から安心した。
……それは、俺が奪ってしまったものだったから。
息もすこし落ち着いてきて、一度深呼吸をしてから懐かしい顔をじっと見る。
「髪、伸びたんだな。──
二ヶ月ぶりに会う一歳下の妹は、すこしだけ大人びて見えた。
「……んで、後ろの人、知り合い?」
俺の後ろを指差す澪。俺が振り向くと、そこには──
「やーどうもおはようございます。藤間くんですよね? 藤間透くん」
やけに角張った縦長の顔をした、背が高く体格の良い四十代ほどの男性が立っていた。
「……え。どなたっすか」
清潔そうな白のワイシャツに黒のスラックス。
左右で青黒に区切られたネクタイが目を引く。
顔を確認して記憶を手繰り寄せるが、目の前の男にはなんの心当たりもない。
「僕はこういうものです。テレビとか雑誌とか見るほう? 最近の子はネットと動画で済ませちゃうかー」
俺ですら名前を知っているブランドものの名刺入れから差し出されたものには洗練されたきれいなフォントで、
──────────
代表
連絡先 ~~
──────────
そう印字されていた。
大仁田通信社。
その会社に聞き覚えはなかったが、通信社と聞いて、身に覚えはあった。
「半年前の事件について、すこしだけお話を伺えないかな?」
ああ、やはりそうなのだ。
灯里も、俺のところに来るって言ってたもんな。なんでも警察は真実を伝えなきゃならないとかで、俺の名前は出さないだろうけど、直ぐにかぎつけてしまうとかなんとか。
「マスコミのかたですか」
「うん。どうだい? きみは警察に騙され続けてきた。真実を暴いて、見返してやりたいとは思わないか?」
大仁田はにいっ、と口角を上げる。
僕が味方になるから、とでも言わんばかりの力強い笑み。
「お
俺の背に隠れた澪がジャージを弱々しくつまんでくる。
それを見たからか、大仁田は高級そうな手帳を取り出してさっと目を通し、得心したように頷くと、
「出直します」
すこし残念そうに頭を下げ、俺たちに背を向けた。
カンカンと階段を下りてゆく革靴の音。
なんなのだろうと、澪と顔を見合わせる。
「また今度、お話を聞かせてほしいな」
二階の通路から見下ろす俺たちに、大仁田は階下から人差し指と中指を立ててかざし、路肩の黒いミニバンに乗って遠ざかっていった。
「なにしにきたんだよ……」
本当にそれだった。
話を聞くまでもなく、勝手になにかを理解して勝手に帰っていった。
マスコミってめっちゃしつこくて、喋るまで逃がしてくれない印象だったんだけど……。
「おにい……マスコミに追い回されてるの? 警察に騙されたってなに?」
むしろ澪のほうが「話してくれるまで帰らない」と言わんばかりに、蛇のような視線を俺に絡みつかせてきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます