09-05-兄妹ふたり
靴を脱いだ澪はさっそく部屋をじろじろと見回して、俺のベッドに
「意外ときれいにしてるね」
「意外とってなんだよ。実家の部屋も綺麗だっただろ?」
俺は掃除が嫌いじゃない。……というよりも、散らかっているせいで物の場所がわからなくなるのが嫌いと言ったほうが正しいか。
澪は「一回言ってみたかっただけー」と悪びれず、立ち上がって本棚、ゲームの入った棚を漁りはじめた。
「シャワー入ってくるけど、散らかさないでくれよ」
「ういー。お、モンハンあるじゃーん。ねねね、どこまで進んだ?」
「人の話聞いてんのかよ……。上位になったとこ」
「うわしょぼっ」
「うっせえよ」と売り言葉に買い言葉、タオルと着替えを持って澪に背を向けた。
熱いシャワーで汗を流す。
ゲームか……。あれだけ一生懸命やっていたのに、昨日は電源をつけることさえしなかったな。
代わりに得たのは、脚の痛みと全身のだるさ。
澪じゃないけど、本当に
いつもはひとりだから全裸で部屋に戻って広々と着替えるんだが、いまはそういうわけにいかない。シャワー室を出た廊下で身体を小さくして着替えた。
頭を拭きながら部屋に戻ると、澪は俺のベッドで自分のスマホをいじっていた。すっかりお前んちだな。
「おつつー……。って、おにい……ジャージしか服ないの?」
じとーっと目を細めてくる澪。こうしてみると、さすが兄妹といったところか、いつも見る鏡の中の俺に似ている気がする。
「いいだろジャージ。楽だし」
当然ながら汗びっしょりになった黒のジャージは洗濯かごの中に放り込んだ。これはグレーのジャージである。
「楽だけで服を選んじゃだめでしょ。おにい、顔の素材は悪くない……かもわかんないんだからさ」
「ひとつもフォローになってないんだよなぁ……」
なんで素材は悪くない、で
「で?」
そんな俺に澪は身体を向け、さっきのマスコミはなに? と濁った視線で俺を捉えている。
半年前の事件について、かつての俺は家族に上手く話すことができなかった。
言うまでもなくそれは自己防衛本能による記憶障害によるものだ。
獅子王──正確に言えば獅子王の父──の息のかかった刑事から伝えられた14件の傷害。
そんなことしていないとは思っていても、我を忘れて獅子王に拳を奮った俺が、本当に他者に手をかけなかったかと問われると、記憶にないというほかなく、獅子王の策謀による暴力のなすりつけは、マスコミ、学校、そして家族へと真実味を増して伝わっていったのだ。
「……いまさらこんなこと言うのもアレなんだけど」
澪にそう一言ことわって、思い出したことをひとつずつ口にしていった。
獅子王のこと。
うさぎ小屋でのこと。
刑事に記憶を操作されたこと。
そして、灯里が真実を明らかにしてくれて、アルカディアの市場で一応のケリをつけたこと。
小学校高学年から
澪は姿勢を正してじっと聴いてくれていた。俺が語りきると、澪はどこにそれだけの空気を閉じ込めていたのか疑うほど大きなため息をついた。
「おにい、学校じゃ構うな、って言ってたの、そういうことだったんだね……」
学校で仲良くすれば、あの獅子王のことだ。澪にもなにかをするかもしれない。だから獅子王のイジメがはじまったころから澪と距離を置くほかなかった。
「気持ちはわからなくもないけど、相談はしてほしかったかな。澪たちはおにいが意味もなく誰かを傷つけることはしないって思ってるけど、おにいまで認めちゃったら、わけわかんなくなっちゃうよ」
「まあ……でも、殴ったことには変わりねえからな」
「おにいはクソ真面目だなぁ……。さっきのマスコミの人に話したら……? あれ? でもさ。なんでいまさら半年前の事件を掘り返してるの?」
「半年前は中学校で起こった事件として調べていた。いまは警察の捏造事件として調べてるんだろ」
「あー、ネットニュースでやってたやつ、そういえば獅子王って名前だったかも。あれ、おにいの事件のことだったんだ……」
「
「親も親なら子も子だね。……おにい、いまはもうだいじょうぶなの?」
「ん?」
「鳳学園高校でいじめられてないか、ってこと」
イジメと問われ、一瞬考える。
祁答院や高木、望月や海野からかつてはイジメを受けている……そういうふうに考えたこともあった。
しかしそれは俺の被害妄想で、祁答院も高木もこのうえなくいいやつだった。望月と海野……とくに望月はどういうつもりだったかなんて知らんけど。
「ああ、大丈夫だ」
「ならいいけどさ……」
ベッドの上の澪は肩から力を抜いて、姿勢を崩して横になった。俺は時計をちらと見て、
「で、べつに俺の話を聞きに来たわけじゃないんだろ? 俺いまから午前のバイトだからあんまり時間ないんだけど」
「いや、おにい全然連絡してこないし、おとんは仕送り打ち切るし、ちゃんと生きてるかなって……。……は? バイト?」
「つっても今日は午前中だけなんだけどな。……どうした?」
澪はだらしない姿勢で横になったまま、あんぐりと口を開けている。
「おにいが早朝ジョギングをしてアルバイト……? 嘘でしょ?」
天変地異の前触れだと言わんばかりに驚く澪。
それだけでは飽き足らず、起き上がって俺に顔を近づけてくる。
「うーん、目はちゃんと濁ってるし、本物のおにいだなぁ……」
「失礼にもほどがあるだろ……」
お前だって大概濁ってるだろ。まぁ俺と違って目は大きいんだけど。
「なんのバイト?」
そう訊かれ、やりかえしたくなった俺は少しだけ背伸びして、
「和菓子」
パン工場で和菓子のラインに入っています──それを略して言った。
「ぷっ……あはははは! 和菓子ー? おにぃが? あはははは! きんつばでも広める気ー? 御菓子城でも建てる気ー? あはははは!」
得られたのはリスペクトではなく、大爆笑だった。くっそ、そんなつもりじゃなかったのに。ちなみに澪の言うきんつばとは、俺たちの地元、石川県の銘菓で、御菓子城とはこれまた地元にあるお菓子の製造工場の名前である。
「何時から?」
「九時。もうちょいしたら出る」
「ん、午前中だけなんだよね? そんなら澪、ここで待っててもいい? せっかく来たんだし」
澪の顔が一転して真面目な表情になった。「絶対に帰りません」と顔に書いてある。
昔からそうだ。
澪は……すくなくとも俺に対しては、自分から折れることはない。
「はぁ……。べつにいいけど……」
「やった! じゃあ澪、ゲームして待ってるから」
どうせ折れないのなら、無駄な労力は使わないことにした。
まあ澪なら、ゲームさえあればどれだけでも時間は潰せるのだ。
「ねねね、おにいのモンハン進めといてもいい?」
「それは駄目。上位には上位の楽しみがあるんだよ」
「ちぇー」
さして残念でもなさそうにして、澪は自分の音符型のバッグから複数の携帯ゲーム機を取り出してベッドの上に並べはじめる。完全に俺のベッドはぐうたらする澪の城になってしまった。
「ま、そんじゃ行ってくるわ。……鍵閉めてくから、知らないやつが来ても開けるなよ」
「ういー。いてらー」
立ち上がって振り向くと、澪はすでにゲーム機に視線を落としていた。
「……
小声でそう言いながら外に出る。施錠を確認し、べつに急ぐ必要などないのに、職場への道を小走りで駆けた。
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