08EX3-Epilogue

08-50-『誓いの空、その彼方』

 地平の先で、朝日が頭を覗かせた。

 世界の闇が明け、本来の姿をとりもどしてゆく。


 一面の緑。一雨降ったのだろうか、芝生は朝露に濡れていた。


 本来、この世界は広くなかった。

 世界がうまれたとき、数メートル四方の空間、茂る草、そして一匹のコボルトが居ただけだったのだ。


 天気だってなかった。太陽さえなかった。

 暗黒に囲まれた狭い空間に人工的な豆電球が灯っていた。


 小川のせせらぎも、深淵を湛える洞窟もなかった。

 小高い丘もなかったし、木々により大切に大切に守られた小屋もなかった。




 この世界にうさぎ小屋がうまれたとき、なかは惨々さんさんたる有り様だった。


 オイル、そしてなにかが焦げるにおい。

 男の哄笑こうしょうと理不尽な怒号、理由なき罵声。それに混じって、少年の影が背中を焼かれながら、許してくれと哀れに縋っているのだ。


 木目の壁は紅が飛び散ったように濡れていて、バケツや掃除道具にも赤い液体が付着し、干し草も真っ赤に染まっていた。


 ケージは乱暴に開け放たれたまま、主の永遠の不在をものがたっているようだった。



───



 白雪のような綺麗な肌をした一羽のうさぎは、小屋のなかで目覚めた。


 掃除の行き届いた床。

 唐茶色の壁。

 足元の牧草はふさふさと柔らかい。


 入り口から差し込む陽光に紅い目を細め、自分よりサイズの小さいケージを振り返る。

 干し草をすこしだけ口にし、器に入った冷たい清水きよみずを一舐めしてから小屋の外へ。


 木々を抜け、坂を下り、緑を駆ける。


「ぷう?」


 自分はこんなに足が速かっただろうか、と自問したところで見えてきたのは、小さな洞窟。


 闇を湛える洞窟は、夜目の効くうさぎに恐怖を与えなかった。躊躇なく暗闇へと飛び込んでゆく。


 進むほどに背中の光源が薄くなってゆく。しかしうさぎは洞窟の奥に光を見た。


 緑に灯る蛍のような煌めきが、洞窟を神秘的に照らしている。うさぎはそれをかき集めながら、奥へと進んでゆく。



 洞窟の最奥さいおうにあったのは、ひし形をした石。もとは宝石のように煌めいていたかもしれないが、いまは眠るように静寂を湛えている。


「ぷう」


 かき集めた緑の光をすべてそのひし形に注ぎ込む。するとどうだろう、緑を与えたはずの石は青色の光を放ちはじめた。


 眩しいほど輝いたあと、やがて青の光は消える。

 闇のなか、うまれたのは一羽のコウモリ。


「ぴい?」

「ぷうっ!」


「ぴいぴい♪」

「ぷうぷうっ♪」


 コウモリとうさぎはじゃれ合うようにその場をくるくると回った。



 外に出て、コウモリとうさぎは走った。


 爆発で散ってしまったみんなの魔力を、石へと戻すために。



 友達を、探すために。



「…………(ぷるぷる)」


 パステルカラーの緑を持つ友達は小川のほとりに。



「が、がう?」


 大きな身体に似合わぬつぶらな瞳をした友達は草原の真ん中に。



「がうがうっ!」


 反してやや小さな身体の、元気いっぱいな友達は木の根もとに。



「ぷぅ?」


 うさぎは首をかしげた。


「がうがう♪」


 小兵のコボルトは、小高い丘を指差す。


 ──兄者なら、いつもあそこにいるよ。



 うさぎは駆け出した。


 前脚を強く蹴り、大きく後脚で跳ぶ。



 ──ああ、そうだったんだ。

 ずっと傍に、いてくれたんだね──



 だってその丘は、うさぎの小屋がある場所だったから。



 どうして気づかなかったのか。

 うさぎ小屋の入り口を守るように、ひとつのひし形が転がっていた。


 姿は消えても、ここだけは守るとでも言うように。


 うさぎは周囲に揺蕩たゆたう緑の光をかき集めた。



 ──きみが。



 ──きみが、お掃除してくれたんだね。



 うさぎ小屋にはもう、オイルのにおいもしなければ、怒った声も哀しい声もしない。血のあとなんてもってのほか。



 ご主人さま。

 あのとき、守ってあげられなくてごめんね。

 ご主人さまはずっと、ぼくのことでこんなにも哀しんでいてくれたんだね。

 ずっとずっと、つらかったんだね。



 この世界は、太陽が緑をあたたかく照らし、きっと夜には月が大地を優しく包んでくれる。



 これからは、ぼくが──ぼくたちが、ご主人さまを守るから。



 蒼く広い空の下、六つの笑顔が咲いた。



「ぷぅぷぅ」



 うさたろうが見上げた空は雲ひとつなく、どこまでも澄みきっている。




(了)

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