08-49-A Weekend Has Come
「きみは悪どころか、
マナフライの下、祁答院の顔がやけに暗いのは、冷たい風のせいではないだろう。
「……お前もしかして、めっちゃ気にしてたのかよ」
灯里とアッシマーを守るためなら、俺は悪にでもなるといったあの昼休み。
「あのときはたしかにそう思ってたな。イキって悪かった」
「……あのときは? どうして謝るんだ?」
祁答院が口をぽかんと大きく開けた。
「あのときはお前が善、俺が悪、なんて思ってた。まあなんつーか、陰キャの僻みみたいなもんだ。善悪の二項対立に簡略化して、あんなことを言っちまった。実際はその二色だけじゃねえのにな」
善じゃない。悪じゃない。
俺たちふたりにはそれぞれ正義があって、その色が違っただけ。
白と黒の中間にはグレーがあって、なんなら赤も青もあるだろう。
だからこそ、俺たちは紫の空に打ち勝つことができたのだ。
「きみは……! きみというやつはっ……!」
祁答院の身体が震える。
「俺はっ……! きみに勝ちたくて……! 悪をも背負ったのに……!」
右手で顔を覆う祁答院を心配するようにオルハが寄り添う。
もしかして、祁答院の言う背負った悪というのは……
「なに言ってんだ。お前はまだ全然、悪なんて背負ってねえよ。背負ったのは、ふたりの未来だろ」
「きみに……なにがわかるっていうんだ……」
そう言って俯く祁答院はきっと、奴隷を購入するというタブーを犯したことを
アルカディアでは奴隷の購入は合法だ。
しかし言うまでもなく、現実では禁忌。
現実とアルカディアを行き来する俺たちは、現実で学んだモラルを持ってアルカディアに召喚されている。
だからこそ祁答院はこうして悩んでいるのだろう。
「見てないからわからねえ。でもどうせ、そのふたりが売られていて、エロジジイとかくそったれな金持ちに買われるのが不憫だから、お前が買うことにしたってとこだろ?」
がばりと祁答院の顔が上がった。
「きみは……見ていたのか?」
「見てねえつってんだろ。ただの予想だよ。だってお前が奴隷が欲しくて買ったとは到底思えねえからな」
「は、ははは……。きみは、どこまで知っているんだ……」
祁答院はまたも顔を覆って、力ない声を出す。
いやごめん。ぶっちゃけラノベとかでよくある展開だから、主人公っぽいこいつならやりかねない、って思っただけなんだけど。
しかしまあそうなると、解けない疑問がある。
「お前、なんでその首輪を外してやんねえの? 鎖は外せるのに首輪は外せないもんなのか? 以前、奴隷じゃなくなったら経験値を分配しなきゃならなくなるから、とか言ってたろ。あれ、マジなのか?」
「あ、あのっ、横から失礼いたします。これはその……私たちが悪いのです」
どう答えようか迷う祁答院に助け舟を出すかのようにオルハが申しわけなさそうに俯いて、
「ユーマさまは、首輪を外そうとしてくださっているのですが……私たちが、こわ、くて」
「怖い? 奴隷じゃなくなることが怖いのか?」
「はい。私たちは、生まれたときから奴隷でした。ほかの生きかたを知りません」
「俺には、それがわからない。どうしてもっと広い世界を知ろうとしないんだ。オルハもミーナも」
弱々しく呟くオルハと、苦々しい表情の祁答院。
奴隷以外の生きかたを知らないから、奴隷じゃなくなるのが怖い。
現実はクソだなんて思ってたけど、やっぱり
こんな哀しい理由、ないだろ。
でも。
「あー……こりゃ祁答院が悪いわ」
「っ……! ユーマさまは悪くありません……!」
顔を上げた祁答院の前に、オルハの腕が庇うように伸びる。
生まれたときから奴隷だったふたりにくらべると、あまりにもしょぼいけど。
俺だってどれだけ不遇のなかにいたと思ってるんだ。
人の言葉の裏側を、どれだけ探ってきたと思ってるんだ。
俺にはオルハの言葉──悲哀の裏に潜む、
「祁答院、ちょっといいか」
「……オルハ、ミーナと一緒にいてくれ」
祁答院の言葉にオルハは名残惜しそうに一礼して、うさたろうに夢中なミーナのもとへと足を向けた。
それを確認し、
「お前、ふたりが奴隷じゃなくなったらどうするつもりなんだ」
小さな声で祁答院に問う。
「……どうするって、ふたりの人生を応援するさ」
「いやそんな意味じゃねえ。これでふたりは奴隷じゃなくなりました。はいさよならーなのか、ってことだ」
「まさか。しばらくはこのまま三人で暮らすつもりだよ。彼女たちの生きがいが見つかるまで」
祁答院は当然のようにそんなことを言う。
しかしまあ、奴隷を買った理由がラノベ主人公的なものなら、やっぱりこいつもラノベ主人公だったってことだな。
「そのこと、ふたりに言ってねえだろ」
「……どうだったかな……言っていないかもしれない」
ぷっ。やっぱりこいつラノベ主人公だわ。
「あのふたり、奴隷じゃなくなったらお前に捨てられると思ってるぞ」
「まさか……そんなことをするわけないだろ?」
「お前にその気がなくても、あのふたりはそう思ってる。奴隷の契約という細い糸にすがって、お前との関係を繋ぎ止めようとしてる」
あのふたりは、アッシマーに捨てられたくなかった俺であり、
俺に棄てられたくなかったアッシマーなのだ。
一週間のみ雇う、という細い契約だけがふたりの関係だと思っていて、じつはそうじゃなかった。
ただ、捨てない、という言葉が欲しかったのだ。
そして、これからもよろしく、という絆が。
「だから、こう言ってやればいいんだよ。耳を貸せ────」
「────本当にそんなことでいいのか? こんなに当たり前のことを?」
「いいんだよ」と言いながら祁答院から離れる。
「それにしてもお前……くくっ、人のことにはよく気がつくのに、自分のことには鈍感な」
「きみにだけは言われたくないな……」
祁答院は半信半疑、といった顔をしたまま、俺にげんなりとした顔を向ける。なんで俺には言われたくないんだよ。
「ところで……お前、なんであんなことを言ったんだよ。奴隷じゃなくなったら経験値が入らなくなるから首輪を外せない、とか」
あれは紫空が現れた日。祁答院は最初から参加するつもりで自分ひとりだけレベルをあげるつもりだったのかもしれないが、それにしたって祁答院の言葉としては不自然なほどに冷たかった。
「う……それは……」
「んだよ」
話しづらそうにする祁答院。俺が不退転の構えを見せると、恥ずかしそうに顔を横に向けて、
「わ、
「…………は?」
祁答院の言葉の意味がわからない。
え? なんだって?
「だから……っ! きみが、悪にでもなるなんていうからっ……! 俺だって悪になれるんだ、って、きみと張り合いたかったんだ……!」
「ぷっ……!」
一度噴き出してしまえばそれまで。
笑い声を必死に押し殺した。
「わ、笑うなんてひどいじゃないか……!」
「いや、だってお前、いくらなんでも……! ぷっ、ぶふっ」
祁答院は赤面してふてくされたように顔を逸らす。
こいつのポンコツなところ、初めて見たわ。
散々腹を抱えて笑ったあと、祁答院に言ってやる。
「やっぱりお前にゃ
「うぐ……」
悔しそうに歯噛みする祁答院。
「それに……お前はもう、俺のために悪になってくれただろ。自分から進んでやることじゃねえよ」
「……?」
一週間ほど前か。体育の授業中、テニスコートの上で、望月と海野から俺を庇ってくれた。
望月と海野からすればそれは悪なのではないか。
結局のところ、善も、悪も、人間の変化も。
表層化した正義を見た、観測者の評価でしかないのかもしれない。
「俺はお前に何回も救われた。お前はとことん良いやつだよ。お前は俺を変に持ち上げてくるけど……。そんなの関係なく、俺はお前に感謝してる」
きっと俺がそういっても、祁答院はまだ俺に負けたとかぐちぐち言うだろう。ぷぷっ……こいつ、最強陽キャに見えてじつは陰キャなところもあるもんな。今日知ったばっかりだけど。
「お前はすごいやつだよ。めっちゃ悔しいけど、ちょびっとだけ尊敬してる」
「ちょびっとだけ、と、めっちゃ、の位置が逆なら、素直に喜べるんだけどな。ははっ」
「うっせ」
ようやく笑顔を見せた祁答院から、今度は俺が顔を逸らす。
捻くれ陰キャとは、そういうものなのだ。
藤間透とは、そういうふうにできているのだ。
「遅くにつきあわせて悪かったね」
祁答院はそう言って、深々と頭を下げるオルハと、名残惜しげになんどもうさたろうへと手を振るミーナを連れて夜の闇へと消えていった。
結局あいつ、俺への用事ってなんだったんだよ。
祁答院は、俺が教えたことをそのまま伝えるだろうか。
ぷぷっ、伝えたら面白いよな。
……いや、取り返しのつかないことにならないか?
──まあいいだろ。
祁答院なら、きっとうまくやる。
とまり木の翡翠亭の扉をそっと開け、広間を確認すると、高木、灯里、鈴原の三人が、すっかり片付いたテーブルを囲んで寝息を立てていた。
「お話は済んだかしら? あら、うさたろうもいるのね」
奥にあるキッチンから七々扇が顔を出した。
「まだ起きてたのか。みんな先に寝ててもらってよかったんだけど」
「気になるわよ。どんな大事な話かと。とくにこの三人からすれば、祁答院くんも友人なのだから。……緊急のお話?」
「いや全然。イメージスフィアを届けにきただけだ」
多少語弊があるが、他の話はこいつらに聞かせても仕方のないことだ。七々扇はすんなりと「そう」と言って、高木と鈴原の肩を揺さぶる。
よく見ると、鈴原と高木の肩にはタオルが掛けられているが、灯里の肩には掛けられていない。
これは灯里がふたりにタオルを掛けたあと寝落ちしたのだろうか……?
「灯里さん、なに寝たふりをしているの。部屋に戻るわよ」
「ぅ……いじわる……」
なぜ寝たふりをしていたのかはわからないが、七々扇の声で灯里は諦めたように立ち上がる。
「うさたろう、召喚解除したほうがいいか? それとも一緒に寝るか?」
「ぷぅぷぅっ」
うさたろうは俺に抱きついてくる。どうやら一緒に寝てくれるらしい。寝床を敷かねえとな。うきうき。
「ねむいよー」
「うっわ、腕にめっちゃ頭のあとついてんじゃん……」
鈴原と高木はぽわぽわした様子で階段を上がり、灯里と俺もそれに続く。
「そういや、リディアは部屋にいるのか? 起きてるなら話があるんだけど」
リディアと同室の灯里はよほど眠いのか首を横に振って答えた。
ここ最近、リディアは宿に居ないことが多い。みっつの石──うさたろうのこと、礼を言いたかったし、訊きたいこともあったんだけどな。
それに俺ももう眠い。明日にしよう。そうしよう。
そう思いながらぞろぞろと階段を上っていると、
「今度は、私から勇気を出すべきよね……」
一段下から七々扇の声が聞こえた。
なんのことだと思いつつも二階に上がり、それぞれの部屋の前。
「おやすみー」
「やすみー」
「おやすみなさい」
鈴原が203号室の扉を、灯里が202号室の扉を開ける。
俺もおやすみと返そうとしたとき、
「皆、おやすみなさい。……と、透くん、も、おやすみなさい」
七々扇がそう言って、204号室へと消えていった。
七々扇にしては乱暴に、扉が閉められる。
なんであいつ下の名前で呼んだんだ……?
まあいいか、と思い、201号室へ入り、後ろ手で扉を閉めようとするが──
「……あれ?」
閉まらなかった。
「え、なに、なんなのお前ら」
うさたろうはすでに部屋のなか。
扉が閉まらないように立っているのは──
「藤間くん? どういうこと? 教えて? ねぇ教えて?」
にこりと微笑んだ、しかし冷気を纏った灯里──
「やっぱり、唇のあとのひとつは綾音だったのかなー……?」
指先──さっきより鋭い角度で俺の頬を突いてくる鈴原──
「おうコラ藤山崎。ちゃんと説明しな」
アイテムボックスからハンマーを取り出して睨みつけてくる高木──
「え、説明するの俺なの? おかしくない? そもそも必要ないだろ? てか高木てめぇこらフジヤマザキって完全にふたりぶんの名前あるじゃねぇか──ひっ」
バタリと扉が締められた。……三人は室内に入ったまま。
にこにこと、つんつんと、ブンブンと、俺を逃がす様子はない。
《うさたろうが召喚を解除》
う、うさたろううううぅぅううううう!?
逃げやがったあああああぁぁぁああっ!
「いや、俺にもわかんねえって。向こうが勝手に──」
ブゥン──!
「それじゃわかんない」
目の前を音速のハンマーが横切った。
「どういうこと? 綾音ちゃんとなにをしたの?」
「綾音にちゅーされたのー?」
灯里と鈴原が詰め寄ってくる。
「さ、されてない。お、男だけっ……!」
そして俺のこの台詞。なんとも涙を誘う。
クソッタレな現実に嫌気がさし、アルカディアにやってきた。
そして仲間と出会い、俺はきっと、俺と向かい合うことができた。
だから俺は、
しかし今だけは、現実に帰りたいと切実に思う。
眠りを忘れたこの街で、せめて普通に眠りたい。
「ほんとう? ……ほんとう?」
「んー。じゃあこの右から十五番目のあとだけすこし小さいのはどうしてー?」
「んで、どーなん」
しかし、俺のそんなささやかな願いは叶わないのかもしれない。
週末を喜ぶ遠くの喧騒が、無神経にもこの部屋にまで届いていた。
(了)
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