08-48-Wailing on the Shadow

「出てくれたのが香菜で助かったよ」


 すっかり冷たくなった夜風のなか、清潔そうなコモンシャツに身を包んだ祁答院はそう言って苦笑した。


 女子三人で広間の片付けをしているとき、すこし離席した鈴原が玄関をノックする音に気づき、おそるおそる扉を開けるとそいつは祁答院だったそうだ。


 祁答院は小声で俺を呼ぶように鈴原に頼んだところで俺が二階から下りてきた──と、こういう流れらしい。


 そして俺を宿の外へと連れ出した。なるほど、灯里はともかく、高木が対応したのなら、こんなに話がスムーズに進むはずもない。

 それにしても……


「中に入りゃいいじゃねえか。お前ら夜風好きすぎるだろ」


 よくわからない散歩をさせた小山田と小金井も、七々扇も灯里も、そしてこいつも。


「すまない。そういうわけにはいかなくてね」


 祁答院はそう言って宿屋の斜め向かい──ココナのスキルブックショップへ俺を先導する。


「……あ」


 ショップの扉の前には、大小ふたつの人影があった。


 マナフライに照らされたふたりの人物には、ココナやエリーゼのような猫耳がついている。

 近づくにつれ輪郭がはっきりとし、やはり……首元のそれが確認できた。


「藤間くん、紹介するよ。といっても、ミーナは初めてじゃなかったね。オルハとミーナ。……俺の、奴隷だ」


 祁答院の紹介で、猫耳のふたりは俺に深々と頭を下げてくる。


 ……たしか、姉妹で売られているところを買った、って以前いってたな。

 小さいほう──10歳ほどの、赤毛のロリっ子が妹のミーナ。

 大きいほう──水色の長い髪を持つ女性が、姉のオルハか。


 オルハはあどけない顔立ちをしていて、ぶっちゃけ俺たちと同じかすこし若いかな、と一瞬思った。しかし、細い肩。細い腰。細い足。だというのに胸だけ異様に成熟していて、実際の年齢がつかめない。


「あ、ど、ども。藤間っす」


 べつに彼女の色香に惑わされたわけではない。初対面の相手にキョドるのは俺のスタンダードというだけだ。


「ユーマさま、発言しても宜しいでしょうか」


 オルハの声は落ち着いている──というよりも、無理やり震えを落ち着かせているような印象を受ける。実際細い肩は震えていた。


「オルハ。発言に俺の許可はいらないよ。オルハの好きなときに喋ればいいって言っただろう?」


 祁答院が困った顔でたしなめると、オルハは俺にもう一度頭を下げて、


「藤間さま。発言しても宜しいでしょうか」

「げぇぇ……俺にもかよ……ゆ、許す」


 急なことにテンパって、偉そうに許すとか言っちゃったよ。しかしオルハはそんな俺にすらさらに深く頭を下げたあと、目を合わせてくる。


「異世界勇者、祁答院悠真の第一位専属奴隷、オルハと申します」

「お、おなじくユーマしゃまの第一位せんどく……せんぞく? 奴隷、ミーナともうしましゅ」


 そしてまた頭を下げる。なにこれ。俺、この数秒で一生ぶんの頭下げられたんじゃないの?


 それはそれとして、俺はすこし意外に思った。

 歴史の影響かサブカルチャーの影響か、奴隷ってもっとこう、疲れきった目をしていて、自分の境遇に悲観していて──ってイメージだったんだが、少なくともこのふたりにはそんな気配がない。

 むしろオルハは祁答院の奴隷であることを誇るようにそう言った。


 ミーナは拙い挨拶が終わると、オルハの後ろに隠れてしまった。前世で俺にひどいことでもされたのかよ。


 しかし、ミーナの気持ちもわからないでもない。小さな子がこんな夜遅くに俺みたいな目つきの悪い男に会うって怖いよな。

 まして彼女は奴隷。虐げられてきた存在なのだ。


「ちょっと待っててくれ」


 俺は後ろに三歩さがって三人と距離をとり、アイテムボックスからカッパーステッキを取り出し、杖先を地面につけた。


「っ……!」


 オルハが慌ててミーナを庇うように両手を広げた。祁答院は一度驚いたように口を開け、やがてふっ、と表情を崩す。


「来てくれ」 


 地面に現れた魔法陣から放たれる青い光が消えたとき、うさたろうがマナフライに照らされていた。

 うさたろうは振り返って腰に抱きついてくる。俺はふさふさの頭をなでりなでりし、


「なあ」

「ひゃ、ひゃいっ」


 ミーナに声をかけると、警戒を崩さないオルハの背で小さな肩がぴくんと跳ねた。


「うさたろうが俺のなかにいても退屈らしくてな。すこし遊んでやってくれねえか」

「ぇ……み、ミーナが、でしゅか?」


 ──いいよな、うさたろう。


         うん、よろこんで──


 うさたろうはミーナの問いかけにこたえるように、のそのそとオルハの後ろに回り込み、ミーナの膝に鼻を近づけてゆく。


「ゆ、ユーマしゃま……」

「大丈夫だよ、ミーナ。オルハもだ。ふたりとも見ていたんだから安全だって知っているだろう?」


 助けを求めるミーナを、祁答院が優しく諭す。それを受け、ミーナはおずおずとうさたろうに手を伸ばし、オルハはほっと胸を撫で下ろした。


「うしゃたろうしゃま……」


 うさたろうにも”さま”づけ。

 うさたろうは立ち上がり、ミーナの手を頭に乗せたまま、困ったように俺を振り向いた。


「さま、は要らないぞ。うさたろうは呼び捨てのほうがよろこぶんだ」

「ぷぅぷぅ」

「で、でも……」


 俺の声に同調するようにうさたろうが鳴く。しかしミーナは祁答院を窺うように振り返る。


「ミーナ。オルハも。なにをするにも、俺の許可は必要ないんだ。ふたりがいいと思うようにやるといい」

「は、はいでしゅ……。う……ぅ……うしゃたろう……」

「ぷうっ!」


 おそらく相当の勇気を要したであろうミーナの言葉をよろこぶように、うさたろうはすんすんとミーナの身体に鼻をこすりよせる。


「あははっ……くしゅぐったい……あははっ……」


 そんな姿にほっと息をついていると、祁答院からふふっ、と笑う声が聞こえてきた。


「ありがとう。気をつかわせてしまったね」

「や、べつに。どうせほぼ毎晩、MPを空にして寝てるんだ。ついでだついで」


 これは嘘ではない。【召喚】や【MP】のスキルレベルを上げるため、コボたろうやコボじろうには悪いが、眠る前に召喚してから寝ているのだ。

 ふたりぶんの寝床も敷くのだが、彼らは横にならず、ふたり座ったまま小声で会話したり、俺の様子を窺ったりしている。


「それはいまはいいだろ。それより、どうしたんだよ」


 こんな時間にわざわざ来て、わざわざ外に連れ出すほどの用事。

 まさかふたりを紹介するためだけに呼んだのでもあるまいし、カツアゲなんてこともないだろう。


「ああ。そうだったね。──オルハ」

「はい。藤間さま、アイテムボックスに容量6、重量6の空きはございますか?」

「あー……あるけど」


 容量6、重量6って相当の大きさだ。なにを渡すつもりなんだろうか。


「では、失礼いたします」


 オルハは俺の前まで歩いてくると、侍るように膝をつく。そうして俺に向かって手を伸ばす。


《【祁答院悠真】オルハからイメージスフィア【エシュメルデ・第一次シュウマツの渦】を六個受け取りました》


 視界の端に現れるメッセージウィンドウ。


「俺が持っていたんだ。イメージスフィアは所持していると、現実でもギアで観ることができる。きみなら、早く確認したがるかと思ってね」

「買いかぶりすぎだろ」


 放っておいても明日の午前九時、アルカディアで分配されるべきものなのだ。一刻も早く闘いの反省点を確認して今後に活かしたい、と思うほど俺は熱心ではないつもりだ。


「んで、なんだよ。それだけじゃないだろ、用事って」


 百歩譲って、こんな遅くにわざわざ訪ねてきた理由がこれだったと理解することはできる。

 しかし、わざわざ俺を選んで連れ出した理由にはならない。イメージスフィアなら、鈴原に渡せばいいだけだったのだから。


 祁答院は話すべきか迷っているようだ。

 祁答院が喋らないのなら、俺が祁答院に伝えるべきことを伝えるいい機会だとおもった。


「祁答院。その……あ、ありがとな。コボたろうたちのこと」


 渦の中で、エンデにみっつだけ質問を許されたときのことだ。

 祁答院はエンデに訊きたいことなど山ほどあるだろうに、コボたろうたちを優先してくれたのだ。


「……いや、気にしなくていいさ。あれはむしろ、俺のための質問でもあったんだから」


 祁答院のため? どういうことなのだろうか。


「それに遅かれ早かれ、足柄山さんの革袋の中にコボたろうたちがいると誰かが気づいただろう。だからエンデは立会人の立場で言える限界まで──モンスターの意思を使わないようにと教えてくれていたのかもしれないね」


 ……たしかに、荷物を確認すればいつかはわかることだった。俺が詰め寄る前にエンデが言っていた「いずれわかる」とはきっと、その字のとおり、俺たちはいずれ、コボたろうたちが生きていたことを知る、という意味だったのだ。


「それでも……助かった。サンキュな」


 祁答院があのとき訊いても訊かなくてもコボたろうたちは助かっていた──しかし、そんなことは関係ないのだ。


「あのとき、気をつかわせちまった」


 ならば、礼を言うのではなく、謝るべきではないのか。質問をひとつ潰して済まなかったと。


「ふふっ……やっぱりきみは、変わったな」

「ん……」


 それでも謝罪ではなく礼しかでてこない。そのことに自分で驚いているくらいなんだから、もしかすると祁答院の言うように、俺は本当に変わったのかもしれない。


 もうひとりの俺は、まるで俺じゃないみたいだ、なんて言っていた。

 高木も祁答院も俺は変わったという。


 でもアッシマーや灯里は、俺は全然変わらないという。


 この違いはいったいなんなのだろうか。


 変化とは、じつは本人からはわからないもので、他者が観測した結果でしかなく、観測者の主観にのみ委ねられる概念なのだろうか。



「きみは、すごいな」


 突然、ふうっ、と祁答院が笑った。

 重々しく吐いた息の深さは、いまのひとことが思いつきや追従でないことを物語っている。


「なんだよ急に。おだててもなにも──」

「俺は、きみに、勝てなかった」


 俺の言葉を祁答院の言葉が遮った。

 冷たい風のせいだろうか、祁答院の顔がやけに淋しげに見える。


「なんだよ、勝てなかったって。そんなの誰にもわからねえだろ。それに勝ち負けとかそういう問題じゃねえ。俺たちの誰かが勝って、誰かが負けたんじゃねえ。俺たちが勝ったんだろ」

「それは勝者だから言えることだよ。俺は……悔しかった。俺は、誰よりも強くなったと思っていたから」


 祁答院は落とした視線の先で手のひらを握り、そして力なく開いてみせた。


「きみに追いついて追い越したと思ったら、きみはもうはるか先にいる。まるで影踏みだ」

「やめろよ。俺はそんなこと思っちゃいねえ」


 こいつはなにを言っているのか。

 祁答院から見れば、俺なんて路傍ろぼうの石ころなんじゃないのか。

 こいつはキラキラしてて、エクスカリバーで、爽やかで穏やかなイケメンじゃねえのかよ。


 思い詰めたような祁答院の表情は……。


「お前……なんて顔をしてるんだよ……」

「誰かを守るために悪になる。そう言えるきみに追いつきたかった。なのに、なんだ。召喚モンスターがいなくなって力を落とすきみの、身を呈して仲間を庇うきみの、どこが悪なんだ」


 なんなんだこれは。

 目の前には爽やかも穏やかもキラキラも一切ない。

 これじゃあまるで──



「イメージスフィアを確認したよ。俺が倒れたあと、この闘いを終わらせたのは。……誰よりも傷ついて……それでも立ち上がって、ピピンをたおしたきみだった。きみは悪どころか、勇者ヒーローじゃないか」



 これじゃあまるで、お前が陰キャみたいじゃねえか。

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