08-45-Silhouettes -Beyond the Nocturnal Night-
夜の街に取り残されたふたり。
人間というのはわがままなもので、遠くに聞こえる喧騒がいまはすこしありがたく感じる。
「ごめんなさい、もうすこし、まって」
七々扇の声も肩も震えている。俺が泣かせてしまったのだろうか。それにすら気づかないくらい、俺はひどいことをしてしまったのだろうか。
宙を
この街に吹く風が、七々扇の涙を乾かしてくれたらいいのに。
泣かせるだけ泣かせておいて、肝心なところは曖昧なものに頼ってしまうのも、人間のわがままが成せる
そんなことを考えること数分、七々扇が口を開いた。
「許して、くれるの……?」
それは普段の七々扇からは想像もつかないような弱々しい呟きで。
いまの凛々しい七々扇とは違う、小学生のころの素直で純朴な七々扇を思い出させた。
「許すも許さないも、そういう話じゃない。たしかに俺は七々扇を恨んだこともあった。……でも七々扇はひとつも悪くなかった。むしろ謝るのは、捻じ曲げられた事実を鵜呑みにしてお前を恨んじまった俺のほうだろ」
「違うっ……! 藤間くんは悪くないわ!」
夜を
また、これだ。
俺が悪かった。いや、私が悪かった。いや俺が、いや私が。
このままじゃ、ずっと平行線だ。
この話の落としどころは、お互い悪くなかったと慰め合うか、お互い悪かった、と頭を下げ合うしかないのかもしれない。
だけど俺と同じようにきっと、七々扇も自らを曲げない。俺が頭を下げることを拒絶してしまう。
この件はきっと、同時じゃだめなんだ。
ならば。
「ああ。俺はお前を許すよ、七々扇」
開いた目に、また涙。
「ほんとう……?」
しかし今度は涙を流しながらも、言葉を紡いでくれた。
「ああ、本当だ。あのころは相当キツかったけど、許す」
「ほんとう……? ほんとうのほんとうのほんと?」
「ああ。本当の本当の本当」
凛とした七々扇と同一人物とは思えない、
ああ、きっとこれが、本当の七々扇なのだ。
古風な喋りかたも、凛々しい姿も、強くなるための
「肩を……ぐすっ、借りても……」
「ああ」
「ぁりが……ぅ……」
長いあいだ仮面を被ってきたぶん、
知識で誤魔化して、態度で誰にも触れられないようにして守ってきた七々扇のこころは、こんなにもか弱くて。
それなのに、責任を受け止めて、十字架を背負って、誰にも頼ってはいけないと、ひとりで耐えてきたんだ。
俺たち家族が引っ越しする日、ルームミラー越しに見た膝と額をアスファルトにこすりつけていた七々扇は、いまみたいに泣いていたに違いない。
「…………」
ごめんな、という言葉を呑み込んだ。
これでいいんだ。
俺は七々扇を許して、俺は澪を守ってくれたことの礼を言う。
お互い、傷ついた。
それでも癒える傷だったんだと──
「──って、うおっ……!?」
ここでひとつ、俺は大きな勘違いをしていた。
七々扇の「肩を貸して」とは、いま歩きづらいから宿屋まで連れて行って、という意味だと思っていたんだ。
「あっ、ちょ……!」
対して七々扇の言う肩を貸すとは、顔を隠す肩を貸してほしいという意味だったらしい。
しかし俺と七々扇はあまり身長差がないため、七々扇の頭は俺の顔のすぐ横にあって、頬は触れ合い、両手は俺の背中と首に回っている。
俺にすがりつき、声を殺して泣く七々扇。俺はどうしていいかわからず、
七々扇は回復魔法に攻撃魔法に前衛にと走りまわり、俺より汗をかいているはずなのに、どうしてこんなミントのような爽やかないい匂いがするのだろうか。しかしそんな匂いに混じって──
「ぐすっ……藤間くんから薔薇の香りがする……」
言われると思った。俺も七々扇の匂いに混じって自分からホビットの匂いがするってわかるもん。
「う、うっせ……ぐむ」
悪態をつきながらも相変わらず盛大にキョドる。なんだよ七々扇のやつ、すぐテンパるくせになんでこんなときに俺のほうがテンパってるんだよ。
「……せなか」
「ぇ」
七々扇は少女──むしろ幼女のような甘えた声でそう言って、俺の背中に回していた手を離し、行きどころなく彷徨う俺の腕を掴む。
「ぅ……」
「おねがい」
どうしろというのか。
まさか、抱きしめ返せとでもいうのか。
そんなの、俺にはあまりにも難易度が高すぎる。
だから。
「んぅ……」
せめてこれで許してくれと、七々扇の背中を左手でぽんぽんとたたく。
子どもをあやすように。
小学校の頃、澪にしてやったみたいに。
そう。
相手は子ども。
子どもなのだ。
そう自分に言い聞かせ、背中を手のひらで優しくたたき続ける。
「……あたまも」
「……」
相手は子ども。
相手は子ども。
己に暗示をかけるように脳内で何度も繰り返し、右手を七々扇の頭にのせた。
左手で背中をたたき、
右手で頭を撫でる。
どれほどの時間が経っただろうか。遠くではいまだに喧噪が聞こえる。
相手は子どものころの七々扇なのだとどれだけ自分を誤魔化しても、身体は俺と同い年の七々扇。
痛いほど胸を打つ鼓動は
七々扇は俺の肩上に頭を乗せたまま、首をひねって向きをこちらに変え、
「ひどい頬……。ホビットたちにやられたのね」
「う、う、うっしぇ」
吐息が首にかかる。口調が戻ったことで新たに生まれた妖艶が、俺から
「……もうひとつくらい増えても、誰も気づかないのではないかしら……」
首筋をくすぐる魔性の
「ふふ……ごめんなさい。調子に乗りすぎたわ」
七々扇は耳元に息を吹きかけるように呟くと、もう一度俺を抱きしめてから一歩離れ、解放してくれた。
「行きましょう。皆、心配しているかもしれないわ」
そうして目を細め、首をかしげながら微笑む七々扇。
口調はいつもの七々扇に戻った。
凛とした態度もいつもの七々扇に戻った。
しかし目の前にある笑顔は、俺が初めて見る表情。
屈託なく笑う幼き日の
大人の仮面を被った凛々しさ。
そして先ほど見せた妖艶。
そのどれもが無理なく
「ぅ……」
きれいだ。
「ふふっ……。私、今日という日を忘れない」
後ろ足でたっ、たっ、と二歩遠ざかり、七々扇は俺に背を向ける。
両手をひろげ、大きく息を吸うようにして空を見上げる。
「見て、藤間くん。こんなにも晴れやかよ」
俺から見ればどう見ても夜空で、はて、夜空でも晴れていれば晴れやかという表現をするのだったかと首をかしげたのだが。
きっと、あれだ。
七々扇には、夜空のむこうに曇りなき蒼空が見えるのだろう。
俺が、うさたろうの消えていった曇り空で蒼空を見たように。
シュウマツで、紫の空の先に美しい蒼を見たように。
──
「そういえば」
ふたりで宿へ向かう道、七々扇が思い出したように口を開いた。
「もう、昔のようには呼んでくれないのね」
「昔? ……いや、そりゃちょっとなぁ……」
子供のころ、七々扇は俺を"藤間くん"と呼んでいたが、俺は七々扇を"綾音ちゃん"と呼んでいた。
理由なんてつまらないもので、俺の母親がそう呼ぶように、と俺に命じただけなのだ。
「…………」
歩きながら七々扇は俺の顔を覗き込む。俺の「そりゃちょっとなぁ……」では納得できなかったらしい。
「や、その……。いい歳こいてちゃん付けとか恥ずかしくてできねえわ」
「私は呼び捨てで構わないわよ。むしろそちらのほうが望ましいわね」
「んが……」
七々扇が俺の退路を塞ぐ。
「いや、その、下の名前とか相手に失礼というか」
「私が呼んでほしいと言っているのだから、失礼もなにもないでしょう」
なんなのこれ。セービング率高すぎでしょこのゴールキーパー。ヤン・オ○"ラクなの?
「あ、あ、あや、あ、あや……。やっぱ無理だ諦めろ」
「あなたは簡単に諦めるような人ではないということを私はよく知っているわ。……こほん。それあーやーね、あーやーね」
七々扇は足を止め、緊張した面持ちのまま手を叩いた。
「ぶっ……! ……くくっ、お前、意外とアプローチ豊富な。手拍子までつけて」
「っ……!」
俺が笑ったからか、七々扇はたちまち顔を真っ赤にしてそっぽを向いてしまった。「恥を忍んで頑張ったのに……!」と弱々しい呟きも聞こえる。
「その努力は評価するがいまは無理だ。俺に経験値が足りなさ過ぎる」
祁答院や海野や望月なんかはよく下の名前で呼べるよな。難易度高すぎるだろ。イケメンに許されたユニークスキルなの? 異性とかなおさら無理だって。
「リディアさんのことはファーストネームで呼んでいるのに?」
復活した七々扇がふくれっ面で問うてくる。
「リディアはまた別だろ。アルカディアと日本じゃ文化も違うしな」
「リディアさんだけ? 他にファーストネームで呼んでいる人物は?」
「あとは……ココナとかダンベンジリのオッサンとか──」
「リストを作成して明日までに提出しなさい」
そう言う七々扇の顔は至って真面目だったから
「笑うところではないのだけれど……」
やはり本気だったのだ。そう思うと余計に笑いが込み上げてくる。
「私は諦めないわよ」
「……ん? ……まぁそのうち、もしかしたら、な」
俺と七々扇は幼なじみとはいえ、長いブランクがある。再会から数日で下の名前で──なんてのは俺には無理。
出会ってその日のうちに下の名前で呼ぶことができるヤツもいるが、藤間透はそんなふうにできていないのだ。
だから、ゆっくり、
俺のペースで、
七々扇のペースで、
ゆっくりやっていけばいいんじゃないかと思う。
でも──
「あの夜再会できて、一緒に行動できるようになって……。私には資格がないと思っていた。諦めようと思っていた。身を引こうと思っていた。でも──」
七々扇はきっぱりと、言い切るように続ける。
「でも、絶対に無理だとわかったわ。私は、あなたを、諦めない」
「でもやっぱり、なにかが噛み合っていない気がするんだよなぁ……」
七々扇のでも、と、俺のでも、が重なった。
ふたつの影法師が夜道に伸びている。
振り返ると、遠く夜空に月のように丸く大きな光が浮かんでいた。
さすがにアルカディアには月なんてないだろう。もしもあれが月だったとしたなら──
月が綺麗だな、そう言おうとして、呑み込んだ。
この夜空に月を浮かべてしまえば、もしかすると七々扇は勘違いしてしまうかもしれない。
ふと隣を見ると、七々扇は見上げたまま視線だけこちらへ向けていて、俺の視線とぶつかった途端にそっぽを向いてしまった。
まさか、同じことを考えていたんじゃ──ふとそんなことを思い、照れくさくなって俺も顔を逸らす。
ふたたび落とした視線の先で、ポニーテールの影法師が
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