08-44-Silhouettes -The Loneliness , The Crucified-

 七々扇は盛大に慌てふためいた後、三度ほど深呼吸をして、


「なにかご用かしら」


 まだ後頭部が痛むのか、目に涙をためたが、まるで何事もないように俺に視線を向けた。間違いなく強がりである。


「あ、いや、夜も遅いし女子だけじゃ危ねえと思って」


 しかしどう考えても俺が怖がらせてしまった形である。この状況、七々扇はともかく、小山田と小金井からはむしろ俺が危ないと思われているかもしれない。


「あ、あたしたちもう行くね! ふたりとも今日はありがとう!」

「七々扇さん、頑張ってね」


 その予想はどうやら正解のようで、ふたりは俺にも七々扇にも背を向ける。そうしていそいそと去ろうとする背を──


「お、おい、待てって」


 慌てて呼び止めた。

 幸いふたりは立ち止まり、顔をこちらへと向ける。


「遅いし、送る。七々扇、悪いけどすこし付き合ってくれ」


 ふたりは俺のことが怖いかもしれないが、それでも深夜に女子ふたりを放っておくわけにはいかない。


 ふたり──そして七々扇を含めた三人は驚いたように目を見開いた。小金井がおずおずと口を開くが、


「でも私たち、すぐそ──むぐっ」

「あさひストップ! そ、それじゃあ藤間くん、お願いしてもいい?」


 小山田が小金井の口を両手で後ろから塞いだ。

 怖がられてはいるみたいだが、夜の闇ほどではないようで、俺はほっと息をついた。



──



 広場のほうへ南下し、人混みを避けるように左折する。人通りはだんだんと少なくなっていった。


 マナフライに照らされたエシュメルデを歩く四人──と言っていいものだろうか。

 小山田と小金井のふたりは俺たちに後ろからついてくるように言って、7メートルほど先を先導するように進んでいる。

 俺はといえば、七々扇と横並びになって歩いているわけなんだが、さっきから七々扇の様子がおかしい。

 なんだか「はーっ、はーっ……」と高揚を抑えるような荒い息遣いが聞こえたかと思えば「ほぅ」と儚げなため息をついたりする。


「んんっ、んっ、んんっ!」


 前方で小山田がどことなくわざとらしいような咳き込みをする。俺になにか言いたいことでもあるのだろうか。


「お前、大丈夫か? やっぱり頭を強く打ったんじゃ」

「い、いえ、なんでもないのよ。丈夫だけが取り柄だから」


 高身長ながらほっそりとした身体。数日行動をともにして俺が知った七々扇は、そんなキャラでもない。


 …………あ。


 よくよく思い返すと、七々扇の異常はある種、正常なのだ。

 先ほどからのため息の理由はきっと──


「もしかして、仲、よかったのか」

「……はい?」


 七々扇が首をかしげるのも頷ける。俺は主語を抜いて喋ったのだから。


「や、すまん。名前、覚えてなくてな。……クラスメイトだったんだろ。……その、追放されたやつ」

「鈴木くんのことね……」


 俺たちはシュウマツを撃退した。これは事実だ。

 しかしシュウマツの渦に突入する直前、七々扇たちのクラスメイトを含む五人が無惨な方法で追放された……これも事実なのだ。


「仲は悪いと言わないけれど、良いとも言えないわね。入学して二週間、私たち三人は彼と喋ったことすらなかったもの」

「んあ……そうなのか」

「ええ。追放されれば転校、あるいはクラス変更と先生はおっしゃっていたけれど、どうなるのかしら……」


 追放されると、アルカディアへの参加権利を永久に失われる。

 クラス担任の西郷さいごうはそう言っていたし、エンデもそう言った。


 べつに現実で死ぬわけじゃないだろう。

 アルカディア特進クラスであるおおとり学園高校1-Aや兼六高校の七々扇たちのクラスはアルカディアに参加しているものだけで構成されているんだから、他クラスへの編入だって頷ける。


 でもそれなら、なんで退学か編入なのか。

 退学や転校までする必要は無いだろ、と思っていた。


 西郷に七年前のシュウマツの映像を見せられ、そのなかに映っていた醜い仲間割れの様子から、ああ、こりゃ転校したくなるのもわかるわ、と納得させていた。


 しかし先ほどエンデは言っていた。


『セカンダリボディとプライマルソウルは渦によってバラバラにされ──』


 コボたろうたちは生きていた。

 しかしそれはあくまでもプライマルソウルが退避できたからこそだった。


 でもエンデは、プライマルソウルはバラバラになったと言った。

 召喚モンスターならば、それは死を意味する。


 ならば、俺たちにとってのセカンダリボディとプライマルソウルとはなんなのか。


 いまの俺は、七々扇は、小山田は小金井は、セカンダリボディとプライマルソウルの組み合わせでアルカディアに生きているということなのだろうか。


 じゃあプライマルボディはどこにあるのか。セカンダリソウルはどこにあるのか。

 召喚モンスターとは仕組みが違うのか。

 もしもプライマルソウルが破壊されてしまえば──


「んんっ、んっ、んんっ!」


 小山田の咳き込みに、七々扇とふたりではっと顔を上げる。

 小山田はいつぞやのコボたろうのように「もっとマシな会話をしなさいよ」とでも言いたげな視線をこちらに送ってきている。


「胸は痛むけれど、いま私たちがなにを考えても仕方がないわね」

「まあ、な」


 たしかにそうだ。

 俺たちにできることなんて、きっとないのだ。 

 ならば小山田の視線──俺が勝手にそう解釈しているだけだが──に従い、なにか気の利いた、小粋なトークでも披露するべきなのだ。


 マナフライの下、ふたつとふたつの物言わぬ影法師かげぼうしが角を左に曲がった。

 ここまで来ても小粋なトークどころか会話すら切り出せずに無言のままとぼとぼと夜道を歩く。


「あ、あの、藤間くん」

「ん」


 コミュニケーション能力はやはりというべきか、俺よりやや七々扇のほうが優れているようだ。水面にぽたりと落とすような呟きが闇に零れた。


 前方を歩くふたりの肩がぴくりと揺れたあと、速度を落としたのか、すこしだけ距離が近くなった。



「ありがとう、助けてくれて」


 なんのことだと右隣を見やるが、七々扇は俯いていて、長いポニーテールが影と一緒に揺れる。


「藤間くんが参加してくれなかったら、街を守ることはおろか、私たちだってどうなっていたか」


 七々扇の礼は、清十郎とまあその一応、姉の伊織にも言われたことだ。

 しかし、七々扇の言葉は、あのふたりとはなんだかニュアンスが違うように聞こえた。


「礼なんて必要ないだろ。俺たちだって七々扇たちがいなかったら勝てなかったんだから」


 言いそびれたものの、これは三好姉弟にも言えることなのだ。三好伊織がいなくても、三好清十郎がいなくても勝てなかったのだ。


 三好清十郎が渦に選ばれてしまった、と言うだけ。

 選出者の基準がわからない以上、俺はランダムだったと思っている。


「昨夜、渦に選ばれてしまって……怖くて、仕方がなかったわ」


 清十郎も七々扇も不運だっただけ。

 だから、不運を回避しただけの人間に礼を言う必要なんてないのだ。


「私の弱さが……あなたにRAINを送らせた。あなたに頼っていい道理など、私にはなかったというのに」


 七々扇の細い肩が震えた。

 しかし俺には自分の上着──クロースアーマーをかけてやるような度胸もないし、なにより汗にまみれた服じゃ七々扇だって嫌だろう。


「あなたに孤独を背負わせた私が、自分の身体が震えるのを止められなくて、また、あなたを苦しませてしまった。本当に、ごめんなさい」


 七々扇の言わんとするところがいまいちつかめない。

 ただ、何度もういいと言っても悔やみ続ける七々扇の普段の様子から、昔の”罰ゲーム”に関してのことだろうとは理解できた。


「や、何度も言ってるがな。礼を言うのは俺のほうなんだって。お前は妹の澪を守ってくれてたんだろ? だからもういいんだって」


 そう言うが、七々扇は俯いたまま首を横に振る。すこし遅れて濡鴉ぬれがらすのポニーテールが寂しげに揺れた。


「私には、わからない。……いやな女ね。藤間くんが社交辞令でそう言ってくれているのではないかと疑ってしまう。十字架を背負った私には──あいた


 七々扇のほっそりとした身体からは想像できないほど柔らかな背中を、俺の拳が小突いた。

 突然なんだ、と七々扇は俺に顔を向け、両目を大きく見開く。


「それ、いま壊したから」

 

 七々扇はぽかんとしたまま足を止める。二歩だけ先行した俺は身体を七々扇に向けて、


「俺はもう、孤独を背負ってない。だからお前も、十字架なんて背負わなくていい。それでも背負いたいみたいだったから、ぶっ壊した」


 いま小突いたばかりの拳を突き出してやる。

 拳は七々扇の顔に届いていないはずなのに、七々扇は拳の先で口を引き結び、両目からは雫を流しはじめた。


「げええっ……! な、なんで……! や、まあその、俺もまだまだヘボいけどこれでもなかなかのもんなんだぞ。ほら、手負いのマイナーコボルトだったら呪いと高木のオーラがあればワンパンでも沈むんだぞ。十字架ぐらい……」


 慌ててそう言うが無茶苦茶だった。バフデバフの恩恵を得た挙句、手負いだったらそもそもワンパンじゃない。


「や、まぁいまはまだこんなんだけど、いつかピピンもカカロも一発でぶっ飛ばせるようになってやる。だからその前借りで、そういう因縁めいたものをいまのパンチでチャラにしてもらえるとだな……」


 まくし立てるように続けるが、はたして七々扇には届いているのだろうか。すこし肌寒くなってきた向かい風は、声も俺の背に運んでいるのではないだろうか。

 七々扇は顔を両手で覆い隠してしまった。


「あ、つ、ついたー! 七々扇さん、藤間くん、ありがとねー!」

「七々扇さん、おやすみなさい。藤間くんも」


 小山田と小金井のふたりは、俺の背でそう言って宿屋へと入っていってしまった。え、ちょっと待て。ここってさっきお前らがたむろしてた場所じゃねえか。やけに左折が多いなと思ってたけどもしかしてぐるぐる周ってただけなんじゃないのか?


 残される俺、そしてしずしずと泣く七々扇。……え、これどうすりゃいいの。

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