08-43-Esmeralda Won't Sleep Tonight

 エシュメルデの地に落下してから、しばらくはもみくちゃだった。


「うおおおぉぉーん……透ゥ!」

「よくやった坊主ゥ!」

「透、苦しい思いをさせてすまんかった……! ぐすっ、うぉ、うおおおおぉぉーん……」


 人の波に呑み込まれたかと思えば胴上げされ、オッサンたちのじゅうたんに着地したかと思えばピラミッドの頂点に持ち上げられていて、また落ちたかと思えば人波に流され、上も下もわからない状態だった。わかるのはいい匂いがするってことくらいだった。


 いったいどれくらいの時間をオモチャにされたのだろうか、ホビットたちに酒を誘われ断り、冒険者たちに酒場に誘われて拒否し、ようやく解放されたころ、俺はもうふらふらだった。


 人混みをすり抜けるようにして噴水の縁に立つ。

 マナフライに照らされた水面には、虚ろな目をした自分が映っていて、頬にはいくつもの分厚いくちびるのあとがついていた。


「ざ、ざけんなぁ……ぐすん」


 泣きたい気持ちだった。むしろすこし泣いた。


 噴水の水でじゃぶじゃぶと顔を洗い、深いため息をついたとき、人混みからこちらへときりもみ回転しながら近づいてくる影があった。


 国見さんだった。

 国見さんは目を回していて、頬には可愛らしいルージュのあとが無数についている。


「つ、妻に逃げられて十五年……こ、こんな日がこようとは……」


 ふらふらと俺の横で回ったあと、ばたりと石畳の上に倒れた。なに、この差。俺はまた泣きたくなった。


 噴水の縁に国見さんを寄りかからせ、人のいない場所を求めて人混みをかき分ける。


 酒や串焼きの屋台がたくさん出ていて、広場はまるで祭りの会場だ。

 威勢のいい声。活気づいた夜の街。眠らないエシュメルデ。

 すこし前の俺ならば、人が必死に闘ったってのに暢気のんきなものだと吐き捨てていたかもしれない景色。


 しかし、俺は、俺たちはこの街を守ったんだという達成感が、この喧騒を唾棄させない。

 人々の笑顔が、俺の胸を熱くする。


 でもやっぱりだめ。

 人混みは辛いし、いまはホビットやむさくるしいオッサン冒険者の顔を見たくない。


 そう思っているのに、俺はどうやら広場の隣にあるギルドの方向へ逃げてきてしまったらしい。

 ギルド内には酒場も併設されているため、酒場から続く混雑のせいで、より人口密度は増してゆく。



「そろそろ行こうぜ! そんじゃみんなお先!」


 ギルドから海野がでれでれの赤い顔を出して、十を超える美女を連れてどこかへと歩いていった。

 あいつヤバすぎるだろ、とげんなりしつつ背中を眺めていると、


「アイツ最ッ低。キモ……」


 人混みのなか、隣から女子の声が聞こえた。ちらと視線を向けると──


「あ」

「あ」


 目が合ったのは片目を塞ぐように前髪を伸ばした三好伊織。


「じゃあな」

「ぇ、ぁ、うん……。……って、待ちなさいよ!」


 ぐいと手を引っ張られ、不機嫌そうな顔に睨まれた。


「あ、アンタもああいうことするわけ? ……その、たくさん女の人を連れて……」


 ああいうこと、というのは、海野のことだろう。ともすれば、最ッ低というのは海野に向けた言葉だったらしい。おーこわ。思い当たらないけど俺のことかと思ったわ。


「んなわけねえだろ」

「アンタ、その顔で言っても説得力ないわよ?」


 三好は俺の顔を指差す。シュウマツが始まる前の事といい、こいつは俺のいやなことを思い出させる天才なのだろうか。


「い、イオ、失礼だよ……!」

「セイは黙ってなさいよ」


 双子の弟である清十郎も隣にいた。口うるさい姉のせいで、どうも弟の影が薄い。


「で、その顔どうしたのよ」

「これ全部男にやられたんだっての……」


 吐き捨てるようにそういうと、三好姉弟は面食らったように目を大きく開け、


「あははははは! 男! 男にされたの!? その唇のあと全部!? やけに分厚いと思ったわ! あははははは!」

「うっせ……」


 俺を指差して大爆笑だ。くそっ、どんな誘導尋問だよ。誘導尋問でも天才かよ。


「お、男の人に……? 藤間くん、そういうのに、興味、あるの……かな」


 清十郎のぽうと赤らめた頬が、ただただ怖かった。俺が否定する前に、姉の伊織が涙をぬぐいながら口を開く。


「あー笑った。今年イチ笑ったわよ。アンタ、なかなか面白いじゃない」

「そりゃよかったな……」


「七々扇さんがアンタのこと誤解されやすい人だって言ってたけど、本当みたいね」

「ん……」


 そういえば第二ウェーブくらいでそんなことを言っていたかもしれない。いや第一ウェーブでも言ってたな。俺、どれだけ誤解されやすいの?


「……良かったわね。その、んぅ……」


 三好はふいと顔をそむける。


「あはは……イオは素直じゃないなあ。コボたろうたちのこと! 本当によかったぁ……。ぼくも泣いちゃったんだぁ」


 対し、清十郎はそう言ってえへへ……とはにかんでみせる。こいつら本当は男女逆なんじゃないのか。


「お、おう。ありがと、な」


 そして相変わらず俺はあっさりとキョドる。

 よかったね、なんて言われるのも、ありがとう、と言うのも慣れていない。さすがの陰キャっぷりである。


「ありがとうはぼくたちのほうだよ。藤間くんたちがいてくれなかったら、絶対に勝てなかったから……。藤間くん、本当にありがとうね!」


 なにこのマナフライより眩しい笑顔。

 自分が赤面していないだろうかと不安になってしまった。



──



 三好姉弟と別れ、革袋を両手に持ったまま、ふたたび人波を掻き分ける。


 ギルドの場所が判明したため、先ほどとは違って方向感覚がある。宿屋の方角──北へ向かい人混みを抜けると心地よい夜風を感じ、火照った身体をようやく休ませることができた。


 振り返った背後にはただならぬ熱気があった。笑い声、乾杯の音頭、手を打つ音──そのどれもが喜びに溢れていることを知っていながら、そそくさとその場を去ろうとする俺はきっと、どれだけ成長しても陰キャなんだろう。


 みんなはもう、宿へ帰ったのだろうか。

 気の強い女将と、にゃんにゃんあざとい猫娘の待つ場所へ。


 こんな深夜に女子だけでうろうろしてほしくなかったが、この人の多さでは見つけることもできず、もう帰っただろうと判断し、涼風を感じながらふらふらと喧騒から離れるべく歩みを進める。


 広場の熱気からそう離れもせず、風がひそやかな声を運んできた。


「ええーっ、そんなの、絶……に気があるって!」

「七々扇さんが選ば…………RAINしたら、すぐ参加を……てくれたんだよね?」

「い、いえ、そう決め……早計だし、彼の周りにはすでに──」


 知った名前と知った声。

 脇道で小山田、小金井、七々扇がこそこそと集まっている。


「そんな……言っ……ら、取られ……うって! もっと強気に……なきゃ!」

「私、ほかに……んな経験もないからどうしていいかわから……それに私には、そ……資格なんて……」

「雨降って地固まる………じゃないかな? 本当は小さいころからずっと……だったんだよね? 素敵……。……は応援する」


 近づいても気づきさえしない。俺が乱暴者とか変質者だったら危ないからなお前ら。……あ、俺の影が薄すぎて気づかないんですね、わかります。泣くぞ。


「お前らこんなところであぶねえぞ」


 俺が声をかけると、三人はきゃっと短い悲鳴をあげて、小山田は大きくジャンプし、小金井は素早く後ずさり、七々扇は弾かれたように跳び下がって驚きを表現した。


 ガァンと衝撃音。七々扇は後ろにあった武器屋の看板に頭をぶつけ、身悶える。


「そんなに驚かなくたっていいだろ……。大丈夫か?」


 声をかけながら近づくが、小山田と小金井のふたりが俺より早く駆け寄って七々扇を介抱する。

 ふたりに両脇を抱えられながら七々扇は目に涙をためて、


「き、聞いたかしゅ……、聞いたかしゃら……! こ、こほん、聞いたかしら!?」


 頭をぶつけておかしくなったのか、盛大にテンパってキョドって噛みまくった。


「聞いたってなにをだよ……」


 なんとなくは聞こえたものの、話の流れがわからない俺には当然なんのことかもわからない。


 ただ、正直に申し上げるなら、経験がない、というところだけはやけにくっきりばっちりはっきり聞こえました。ごめんなさい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る