08-41-River of Tears

「俺もまだ信じられないが、どうやらみっつの奇跡が起こったようだ」


 エンデは俺と同じように膝をつき、視線を合わせてくる。


「ひとつ。藤間、きみが死ななかったこと。ここはシュウマツ。きみが死ねば追放の是非は関係なく、魔力と召喚者をなくしたコボたろうたちの魂は消えていた」


 視線が交錯したまま、エンデは続ける。


「ふたつ。きみの召喚モンスター全員に、こころがあったこと。俺もいまだに信じられん。召喚士になってまだ日が浅いだろうに」

「どういう、ことですか」

「シュウマツでは、魂の退避先へと続く道が遮断される。アルカディアの人間がソウルケージに戻れないのはこのためだ。実際、コボたろうたちは残りわずかの魔力で藤間の心に戻ろうとして、遮断されている」


 ……ぁ。

 もしかして一瞬はねたろうの情報が0/1になって、でもすぐにはねたろうの情報が消えたのって……


「どうにかしてきみの心に辿りついたのだろうな。しかしシュウマツゆえ、すぐに追い出されてしまった。本来なら召喚モンスターは行くあてをなくし、彷徨ったあげく消滅する。しかし、きみのモンスターには心があった。自我があった。すぐに他の退避先を探したようだ」


 エンデは俺の肩にぽんと手を置いてから立ち上がり、教室の一隅に目をやった。


「退避先? 俺の心以外に? まさか誰かの心に?」


 追いかけるように立ち上がって背中に声をかける。


「みっつ。最後の奇跡だ。本来ならば、これは異世界勇者には必要の無いもので、所持していることからおかしいんだが……。きみはこのことを知っていたのか?」


 エンデが問いかけたのは──



「ふぇ?」


 アッシマーだった。


「ふっ……偶然か。まさに奇跡だな」


 エンデはアッシマーに笑いかけたあと、じつに楽しそうに教室の端へと靴音を鳴らし、ひとつの革袋を掴んだ。


「この袋は、きみのものだろう?」

「は、はいですっ……!」


 革袋をアッシマーに突き出すと、アッシマーはどべどべと駆け寄って腕のなかに抱えるように受け取った。


 そうして受け取ったアッシマーは頭上にいくつもクエスチョンマークを浮かべたような顔をしていて、エンデの目は胡乱うろんげなものになってゆく。


「……気づかんのか? 嘘だろう? きみは自分の持ち物を確認していないのか?」

「そ、そう言われましても、みっつも袋を持ってきたので…………って、あぁぁああああぁぁあぁぁぁあああああああああああーーーーっっっっ‼」


 大絶叫。

 袋を開ける刹那、アッシマーはなにかに気づいたようだ。


 そして袋を開け、



「ふ、ぐすっ、藤間くん……」


 泣き顔で俺を振り返る。

 慌ててアッシマーに駆け寄った。


「はああぁぁぁあああ!? これってあんた……!」


 俺よりも先に袋をのぞき込んだ高木も悲鳴をあげ、目に涙を溜めてゆく。

 鈴原も。灯里も。七々扇も。



 そして俺も、袋のなかを覗き込む。



 そこには、たくさんのひし形の水晶があって──



 そのうちのいくつかが、淡く、蒼く光っている──



「しーちゃん、これソウルケージ!?」



 灯里が目頭を指で拭いながら。



「メイオ砦で入手したものかしら?」



 七々扇が口元を抑えながら。



「どうして持ってきてたのー?」



 鈴原が鼻をすすりながら、アッシマーに問う。



「だっ……だって、ぐすっ、もしもからのソウルケージが、わたしたちが救えなかったいのちだったのなら……! せめて、一緒にいてあげたいって思ってっ……! 一緒にいろんなところに行ってあげたいと思って……! ずっと、ずっとずっと──」



 ──ああ。

 メイオ砦を攻略したあと、ギルドでアッシマーは涙を流した。


『魂の入っていた六個のソウルケージ。それがもしも、わたしたちが救ったいのちなのでしたら』

『やめろよ』


 あのとき、俺は、涙すらぬぐってやれなくて。


『三十三個のソウルケージは、わたしたちが救えなかったいのち、なのでしょうか』

『やめろよっ……!』



 己の無力を、声を荒らげて否定することしかできなかった。



 ……でも、いまなら。



 いまならはっきりと言えるよ、アッシマー。



「ちが、う」



 ああ、ごめん。

 はっきりって言っておきながら、声が、うまく、出ない。 


 

「救えなかった、んじゃ、ない。俺たちは──」



 革袋の中でうっすらと蒼に光る五つの石。

 意識を集中させると、たしかに表示された。



「俺たちは、救ったんだ。そして、アッシマーは、救ってくれたんだよ」



 コボルトの──とか、

 ジェリーの──とか、

 ジャイアントバットの──とかじゃない。



 そこには、あった。



────────

コボたろうの意思

────────


      ────────

      コボじろうの意思

      ────────


 ─────────

 コボさぶろうの意思

 ─────────


   ────────

   ぷりたろうの意思

   ────────


       ────────

       はねたろうの意思

       ────────



 たくさんのソウルケージに混ざって、大切な仲間の意思が、たしかにあった。



 シュウマツで行きどころをなくした魂を、お前らの自我が、こころが、ここまで運んでくれたんだな。



「お前ら……いくらなんでも、かしこすぎるだろ」



 意思を拾い上げるために革袋にそっと手を突っ込むと、光る五つの意思たちは待っていたと言わんばかりに俺の右手の五本指それぞれにくっついた。

 そして俺の手のひらを、手首を、腕を、肩を通って、俺の胸にすうっと入って溶けていった。


「ぁ……ああ…………!」


 胸に灯る、あたたかさ。

 数十分から一時間程度のことなのに、随分と長いあいだ手放していたように感じるぬくもり。


「藤間くん」

「藤間くん、どうなったんだい?」


 七々扇と祁答院が心配そうに声をかけてくる。

 俺はたまらず、膝をついた。


「あ、あぁあ……ああぁあぁああああっ……!」


 俺の胸に、帰ってきた。


 胸をおさえる。

 そうしないと、愛しさが溢れてしまいそうだったから。


「藤間くん、大丈夫?」

「ど、どうしたの?」


 灯里と鈴原がぱたぱたと駆けてくる。


「藤木、どーなったん!?」

「こ、コボじろうはどうなったんだよ!」


 高木となぜか海野うんのまでが近寄ってきた。



──────────

《オリュンポス・システム》

──────────


うさたろう 召喚中

コボたろう 戦闘不能

コボじろう 戦闘不能

コボさぶろう 戦闘不能

ぷりたろう 戦闘不能

はねたろう 戦闘不能


──────────



 ちゃんと、いる。

 さっきまでいなかったはずの、コボたろうたちが。



「い、る」



 うずくまる俺の正面にいる高木の顔が歪んだ。



「ひぐっ……!」



 高木は一瞬涙をこらえるように口を結んだが、切れ長の目にみるみる涙を溜めてゆく。



 ひっでえ顔。



 でも。



 悔しいけど、断言出来る。



 俺のほうが、間違いなくひどい顔をしているって。



「あ、ぁ……う……ぅ……う、ううぅうぅぅぅー……」



 両目から流れる熱さを、こらえきれなかった。

 己の涙で、高木の顔が滲んでゆく。

 なにも見えなくなる前に、高木の両腕が大きく広がった。



「がんばったね」



 そうして俺は膝立ちのまま高木に抱きすくめられ──



「うぉっ、おっ」



 せめて声だけでも抑えなきゃ、と思ったが、もう無理だった。



「おおおおおぉぉぉぉん……。うわああああぁあぁぁあぁあん……!」 



 痛かっただろ、ごめんな。


 辛かっただろ、ごめんな。


 寂しかっただろ、ごめんな。



 ──生きていてくれて、ありがとう。



 おかえり。



 いままでこらえ続けてきた涙が、

 いままでせき止めてきたなみだがとめどなく溢れでる。 


 高木に抱きしめられ、誰かに背をさすられ、誰かに頭を撫でられ、誰かに肩に手を置かれ、赤ん坊のようにわんわん泣いた。


 引いてもまた押し寄せる涙の波。そのたびに俺は情けなく大声で泣き続けた。



──



 いったい何度の波があっただろうか。ようやく落ち着いたころ、エンデから声がかけられた。


「明朝には召喚できるようになっているだろう。もう時間だ。荷物を持て」


 その声に、びしょびしょになった高木の肩から顔を離す。

 赤く腫れた切れ長と目が合ったかと思えば、勢いよく逸らされた。


「んあ、わ、悪ぃ」


 俺はよほど酷い顔をしていたのだろう。でもそんなに勢いよく逸らさなくても……。


「じゃあ行くぞ。荷物は明朝九時、エシュメルデ冒険者ギルドの二階にて渡す」


 エンデの声で全員が立ち上がる。


 結局、エンデが誰なのかは全然わからなかった。

 アルカディアについても、シュウマツについても。

 わからないことばかりだ。


「ぷぅぷぅ」


 うさたろうが俺の膝裏を鼻先でつつき、赤い瞳で見上げてくる。

 転移の前に、俺の心に戻りたいようだ。


「うさたろう。……ありがとな。これからもよろしくな」

「ぷぅっ!」


 うさたろうは最後にかわいく一声鳴いて、俺の胸に飛び込んでくる。


 ──ありがとう、うさたろう。


    がんばったね、ご主人さま──


 俺に触れた瞬間、蒼の光となり、すうっと俺の胸に消えた。


 気づくと、床に巨大な魔法陣が描かれている。薄緑に発光し、光は柱となって天井を照らし出す。

 みんながきょろきょろと視線を彷徨さまよわせた。


《まもなくエシュメルデに転移します》


「長年生きてきたが、俺が知らないことはまだまだあるんだと──今夜、それを教えてもらった」


 重く低い声は、いつのまにか怖くなくなっていた。

 凛々しくも厳つい顔だって、もう怖くない。


「藤間。うさたろうを召喚したときの、あの力はいったいなんだったんだ? 今度はきみが俺に教えてくれ」


 なんだったんだ?

 と問われても、俺にだって全然わからない。

 どう応えようか考えているうちに、眩しさでエンデの顔が見えなくなってゆく。


 ああ、帰るんだ。


 エシュメルデに。



「じゃあな。いつかまた会おう。──がんばったな──」



 白と緑に彩られた光のなかエンデの声が遠ざかってゆく。


 だというのに、その言葉は、イントネーションやニュアンスまではっきりと感じ取ることができた。


 エンデは最後に、こう言ったのだ。




 がんばったな。

 良い"週末"を──




(了)

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