08-38-Between Light and Darkness

 変な夢だった。

 まぶたをあけたとき、目に入ってきたのは四角に区切られたトラバーチン模様の天井と、赤い目をした愛くるしいうさぎの顔だった。


「うさたろうっ……!」


 がばりと半身を起こすと、うさたろうは俺の背から横に回り込んできて、


「ぷぅぷぅっ」


 俺に抱きついてくる。大きくなったうさたろうが立つと、座った俺よりも背が高い。俺の顔はうさたろうの首にうずまる。

 息を吸い込むと、お陽さまのにおいがした。


 顔を離し、うさたろうに問う。


「うさたろう……なんだよな?」


 白い空間で会ったうさたろうは──最後の言葉は、まちがいなく”あの”うさたろうだった。


「ぷぅっ!」


 うさたろうはぴょいーん、とその場でジャンプしてみせる。


 これは、どういうことなのか。

 奇跡なんて信じない俺の身に起きた、奇跡なのか。


 目頭が、熱くなる。


 誤魔化すように首を振り、教室を見回す。

 床に仰向けで寝ていた俺と、横にいてくれたうさたろう以外、誰もいない。


「あれ、みんなはどこへいったんだ?」


 そしていまさら、この教室が紫ではなく、白い蛍光灯に照らされていることに気がついた。


 紫の宇宙空間──エシュメルデへと続く防衛ラインだった教室の左側は、漆黒の闇だけを湛えている。


 黒板や壁にいくつも存在していたウィンドウはモニターの電源が消えたように静かで、右側前後の扉はやはり森へと続いているのだろうか、こちらも暗く、奥の様子がわからない。


 教室の一隅には壊れた机や椅子がまとめられていて、寝起きで現実味のない脳に、先ほどまでの死闘が蘇ってきた。


「ぁ……。勝った……ん、だよな」

「ぷうっ!」


 うさたろうがそうだよ、と肯定するように鳴いてくれる。


 それにしても、どうして俺はひとりなんだろうか。みんなはどこへ行ったというのか。


「あぁあぁあぁぁっ! 起きてる!」

「わっ、藤間くん」


 前の出入口から現れたのは、小山田と小金井だった。

 小山田の驚きかたが、バイオ〇ザードでゾンビを発見したときの実況プレイヤーの反応と完全に一致し、勝手に少し傷を負う。


「お前ら、なにしてんの」


 ふたりが俺の質問に応える前に、今度は後ろの出入口から、


「あーーーーっ! 藤間!」

「あっ、ほんとうだ! よかった、目が覚めたんだね」


 三好姉弟が現れた。

 姉の伊織は俺を指差して、驚いた顔をしている。


「なんだよ、うっせ……げっ、藤間」


 その後ろから顔を覗かせたのは、海野直人だった。


 小山田と小金井、海野は通路の奥から持ってきた荷物を教室に置き、再び通路へと消えてゆく。


 その際、


「起きたんなら……その、手伝え、よな」


 海野が俺に背を向けたまま顔だけ横を向き、気まずそうにそう言ってから、不自然なほどの猛ダッシュで走っていった。


「え……なにアイツ。……って、アンタもなんて顔してんのよ」


 三好伊織がもう見えないであろう海野の背を一瞥したあと、俺を見て疲れたような顔をする。


「……や。その。声をかけられたのが意外っつーか……ちょっとビビった」

「暗っ……」

「ちょ、ちょっとイオ、失礼だよ……!」


 疲れた顔にため息までついた姉を、弟の清十郎がたしなめる。


 マジでビビった。

 最後に喋ったのがいつだったかなんて覚えてないけど、まともな会話ですらなかったことは確信できる。


「藤間くん……すこし、うれしそう?」

「ばっ……そ、そんなわけねえだろ」


 俺からすると、なぜか清十郎のほうがどことなく嬉しそうにはにかんでいているように見える。


 そう、べつに海野から言われたことが照れくさいとかそんなんじゃなくて、清十郎の笑顔が女性的で可愛らしいから、すこしその……照れたみたいになってるだけだ。なにこれ、どっちにしろ俺やばくね。


「手伝うって、なにしてるんだ?」


 いろいろと誤魔化すように立ち上がる。

 

「んぅ……あ、アンタはべつにいいわよ。もうすこし休んでたら?」

「そうだよ。ぼくたち、藤間くんのぶんもがんばるから!」


 そうして三好姉弟も教室を去ってゆく。


「でも海野くんはきっと、藤間くんが動いていたほうが気が紛れると思ったから──」

「セイ、そんなこと言ったって、アタシ、なんて言っていいかわかんない──」


 姿が見えなくなってから、ばっちり、そんなセリフを残して。


 気が紛れると思ったから。

 なんて言っていいかわからない。


 ……。


「オリュンポス」


 ふたりがなんのことを言っているのか、俺にはわかってる。


 気をつかってくれているのは、どうしてなのか。


──────────

《オリュンポス・システム》

──────────

召喚モンスター一覧

─────

うさたろう LV1

────────────


 わかってた。

 さっきもそうだったから。


 わかってる。

 いなくなることを知っていて、

 そのうえで俺は、どこにいても探し出すって約束したんだから。


「ぷぅ……」


 うさたろうが俺に鼻先をこすりつけてくる。


「大丈夫だ、うさたろう」


 あまりにも尊い再会と、

 あまりにも辛い別れ。


 このふたつは別なんだ。


 うさたろうとふたたび逢えた喜びを、コボたろうたちとのいっときの別れで哀しみに塗りつぶしたりはしない。


「必ず、見つけるから。どこにいても、いつになっても」

「ぷぅっ」


 それまでは、泣かない。

 そのときまで、泣かない。


 そうして拳に力を込める。


「あっ藤木、目ぇ覚めたん? 気分どうよ? みんなー! 藤木が起きてるー!」


 前の通路からやってきたのは高木だった。

 革袋を担いで、通路の闇に向かって声を張りあげる。


「お前のなかで、いよいよ俺が本格的に藤木になってきたな」


 皮肉を込めてそう言ってやると、


「ん? なに言ってんだし。藤木は藤木じゃん!」


 高木はあたし良いこと言った! みたいな顔で、にししーと微笑んでくる。


 うん、名前さえ間違っていなければ、あんたはあんたじゃん! 的な良いことに聞こえなくもない。名前さえ間違ってなければ。


 高木は俺の心情などお構いなしに、床に革袋を置いて、アイテムボックスから数本の槍や弓をストレージに入れ、新しい革袋を虚空から取り出した。


「あ、もしかして木箱の中身回収してんのか」

「まーね。第六ウェーブからほとんど開けらんなかったし。しー子と香菜が必死こいて開けてる。あとのみんなはここにアイテム集めてるワケ」


 そういや木箱の数も半端なかったもんな。戦闘中、敵も味方も木箱を邪魔そうにしている場面がいくつもあった。


「手伝う」

「あー……あんたはべつにいいって。もうすぐ終わるし、休んでなよ。なんかムッキムキの人も手伝ってくれてっから」

「ムッキムキの人?」

「うん。目が覚めたらいた人。笑うくらいデカくて髪なっげーの。草生えっから」


 誰だよそれ、と言いかけたときにはもう、高木は背を向けていた。


 そして首だけで俺を振り向いて、天井を仰いだり、俯いたり、言葉を探すようなしぐさをして、


「かわいいじゃん、うさたろう。……おつかれ、藤間」


 そう言って、奥へと消えていった。


 残された俺は、ガリガリと頭を掻く。


 …………なんだよ、こんなときだけ。


 名前、間違えないじゃねえか。


 いま見せた高木の懊悩おうのうは、


「コボたろうたちはどうなったわけ?」


 きっと、この一言を呑み込んでくれたのだ。


「くそっ……。気、つかわれてるな……」


 とはいえ、高木たちもコボたろうたちと行動を一緒にして、仲が良かった。言わないわけにはいかない。


 でも、言いづらい。


 あいつらがいなくなって、

 どこにいるかもわからないけど、必ずまた見つけてみせる、なんて。


 誓いの強さに相反する己の弱さに辟易していると、後ろの扉からその男は現れた。


「……む」


 身震いした。

 高木の言うとおりの風貌だが、草が生えるなんてことはなかった。


 2メートルくらいあるんじゃないかって身長。黒を基調とした薄手のシャツからは筋肉の隆起がはっきりとわかる。

 膝の裏まで伸びる後ろ髪は風体にそわず艷やか。


 歳は二十歳前後……だろうか。いや、もっと上か? 四十と言えば信じるし、十八だと言われてもアリな気もする。


 それはきっと、彫りの深い整った顔立ち、そして黒く光る瞳のせいだ。


 好奇心に溢れる無垢。

 海千山千を越えてきた練達。

 多くの悲しみを経た哀哭。

 そして、静かに燃える炎のような力が混ざりあい、瞳に宿っているように見える。


「その……見事、だったな」


 しかしそんな風貌や、どこかで聞いたことのある重く低い声に反して、語り口はややぎこちない。


「あの……誰……っすか」


 うさたろうを背にかばいながら問い返す。


 目の前の男が、わからない。


 滅茶苦茶強そうだ。

 俺がどうこうしても無駄。ピピンやカカロの比ではない強者の面持ちが目の前の男にはある。


 問題は、味方なのか、敵なのか。


「俺はエンデ。シュウマツの立会人だ」


 俺を安心させようと思ったのか、男──エンデは不器用な笑顔をつくった。


 なんだよ、シュウマツの立会人って。

 こちとらシュウマツのことだって、昨日知ったばかりなんだ。


 それに、なんだよ。


 SomeendシュウマツWeekend週末に変えることができた、って実感さえあんまり湧いてないってのに。


 なんだよ、Ende終末っていう、不吉な名前。


 胡乱うろんげな視線を送り続ける俺にエンデはぼりぼりと頭を掻いて、


「とりあえず、回収を終わらせてからにしよう。俺もあまり喋るのが得意ではないから、一度で終わらせたい」


 そう言いながら、きっとアイテムボックスなのだろう、虚空から20ほどのジェリーの粘液を取り出して、教室の半分を埋めてゆく。

 そうしておいて、ふたたび頭を掻き、


「……これじゃあさすがに持ち帰れんか。あとでエシュメルデへ持っていく」


 ばつが悪そうに、取り出したばかりのジェリーの粘液をまた仕舞った。


 そんな折、


「あー! 藤間くん! おつかれさまー!」

「あっ……目が、覚めたのね」


 鈴原や七々扇たちが帰ってくる。


「わっ、ふ、藤間くんっ……! あぁぅぅ……」


 灯里は俺の姿を見るなり顔を赤くして、七々扇の後ろに隠れた。


 なにやってんだよ、と若干困惑しているうちに、後ろの出入口から、


「よいしょ……っと! これで終わりかな?」


 両手に革袋を持った国見さんが、重いだろうに、汗ばんだ顔に嬉しそうな笑みを浮かべて帰ってくる。

 

 その後ろから、国見さんと同じくぎっしり詰まった革袋をふたつ担いでいると言うのに、


「みんな、おつかれさま!」


 祁答院が爽やかに笑いながら現れ、なんでもないように荷物を置いた。


 部屋を見回す。


 あと、ひとり。


 あ、あれ……?



 あいつは?



「ひいひいふうふう……。疲れましたぁ……って、はわわわわぁぁーーーい!?」


 前の出入口から最後に姿を現したアッシマーが俺を見て、ありえない悲鳴をあげながら高木の背中に回り込む。


 高木の背に隠れて汗を飛ばすアッシマー。

 七々扇の背に隠れた、真っ赤な顔の灯里。


 みんな、様子のおかしい灯里とアッシマー、そして俺を見比べて、首をかしげていた。

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