08-35-An Angel From a Blue Sky

 ──夢。

 久しぶりに、夢を見た。


 辛いけど優しくて。

 苦しいけどあたたかで。

 そして突如引き裂かれる。


 澄みきった蒼空を、怒りと血の紅が塗ってゆく。


 そして出来上がったのは、おどろおどろしい紫の世界──



 そうして俺は、色を捨てた──



──



「ぐぁ……ぅ……」


 俺は、うつ伏せに倒れているようだ。

 身体の痛みに呻きながら顔を上げると、俺に背を向けて歩き出すピピンの姿──


 あ…………そうだ。


 殴り、殴られ。

 蹴り、蹴られ。


 そして、俺は、負けたんだ。


   ──そうだ、負けたんだ。



 もうひとりの自分が俺に応える。



 立たないと……。


   ──なに言ってんだ。

     もう無理だっつの。



 身体に力が入らない。

 くっそ、ボッコボコにしやがって……。



 それでも、立たなきゃ。


   ──立ってどうするんだよ。

     勝算はあるのかよ。



 …………。


   ──殺せるのかよ、お前に。

     ろくに武器も持たないお前に。



 武器なら、ここに、ある。


   ──…………。



 絶対に負けないという誓い。

 守ってみせるという信念。



 そう。


 たとえ俺が死んでも、ピピンを殺せる方法。


   ──やめとけよ。

     痛いだろ? 怖いだろ?



 コボたろうたちは、紫の空へと散っていった。

 俺もそれに続くだけだ。


 すなわち。


 背を見せるピピンの後ろから飛びかかり、両脇に両手を突っ込んで、シュウマツを拒否する。


 ふたりで紫の空へ舞い上がり、渦の中へ。 

 俺は追放されるが、ピピンも切り刻まれる。


   ──ふざけんな。

     大体、できるのかよ。



 ふざけてねえよ。

 殺すまで、絶対に離さねえ。


   ──お前はどれだけ虐げられても

     自分を捨てなかったはずだろ?



 ああ、そうだ。


   ──じゃあなんでいま、自分を

     捨てようとしてるんだよ。



 それは──


 拳に力を込め、草を握りしめるようにして立ち上がる。


「待ちやがれっ……!」


 震える肩。

 震える脚。

 なのに、不思議と声は震えていなかった。


 ピピンが振り向く。

 まだ死んでいなかったのかとでも言うように、いまわしげな視線を俺に向ける。


 守ると誓った信念まで折っちまったら、それこそ俺が俺を捨てちまう。


   ──ま、そうだよな。



 それに。


   ──ああ。それに──



『参加、します、渦に』



 あのとき、教室で、言っちまった。


   ──ああ。



『死ぬよりも、もっと、怖いことが、あるから』



 ああ、そうだ。


   ──ああ、そうだな。




「ここで倒れるくらいなら、あのとき、立ち上がってねえっ……!」



 迫りくるピピンの拳をかわす。


 こんなのじゃない。

 狙うは大きな攻撃の隙。

 それをかわして、背後に回り込み、後ろから両腕を突っ込めば俺の勝ち──紫の渦へご招待だ。


 拳も蹴りもぎりぎりでかわす。

 狙ってやっているんじゃない。もう脚がふらふらなんだ。


 ピピンが腰元で手を引いて構えた。

 このモーションは……!


 俺の股下から頭上までを引き裂こうとする爪。アンダースローのような動作をおおきくかわして、ついにピピンの背後を捉えた。


「ギャッ!?」


 予定通り、ピピンの背後から両脇に両腕を突っ込み、抱えるようにして抱きしめる。



「俺は、シュウマツを…………!」



『透が犠牲になってよろこぶひとは、透のまわりにはもういない』



 …………おい。

 なんでこんなときにリディアの言葉を思い出すんだよ。



『それ、貸しといてやる。絶対に返せよ!』



 ダンベンジリのオッサン。

 こんなときに出てくるなよ。


   ──おい、やんねえのかよ。

     怖気おじけづいたのか?



 っ……そんなんじゃ……。



『むー。全然こっち向いてくれないー』

『私は私の強さを、藤間くんからもらったから!』

『私、藤間くんのこと、もっと知りたい。藤間くんにも私のこと、もっと知ってほしい』



 灯里。


 そうだ。

 俺も灯里のこと、もっと識りたい──

 そう、願っちまったんだった。


「ギャウッ! グルァゥッ!!」

「ぐっ……」


    ──おい、もうもたねえぞ。



『なんですぐ死んじゃうんですかぁ……!』

『私、ずっと棄てられてきたから……! ぐすっ、でもなぜか藤間くんには棄てられたくなくてっ……!』

『藤間くんは……ぐすっ、わたしのかわりに、いなくなったりしません……よね?』


 アッシマー。

 お前の涙が、きらいだ。


 そうだ。

 もう泣かせないって、誓ったばかりじゃないか──



「俺は、シュウマツを……!」



 はねたろう。

 ぷりたろう。

 コボさぶろう。

 コボじろう。

 コボたろう。


 俺がアルカディアからいなくなっちまったら、誰がお前たちを探すんだよ。

 お前たちがどこにいても、絶対に見つけ出すって決めたばっかりだろ……!



「…………くそっ……! できねえっ!」


 両腕をピピンの脇から抜く。


「グルアアァァアッ!」


 ピピンの蹴りが顔面に直撃し、俺はきりもみ回転しながらふき飛んで、地面を転がる。


「がっ……! あ……! ぁ……」


 口じゅうに広がる血の味。

 鼻で息ができねえ。


 蹴られた鼻が痛い。

 突かれた肩が痛い。

 ぶっ飛ばされて打った背中が痛い。

 殴られた腹が痛い。

 カッパーアーツを着けているのにも関わらず、殴った拳や蹴った脚すら痛い。


 痛い。熱い。苦しい。


 今度こそ、もうだめだ。

 母さんからは「透ちゃんはやるときはやる子だから」なんて言われてきたけど、やっぱり俺は俺のまま。


 理想は雄大に大空を舞うのに、俺は情けなく地を這う。



 く……そ…………。


    ──なんだよ。偉そうなこと言って

      生きたくなったのか?

      


 …………ああ。生きたい。


    ──なんか俺じゃないみたいだな。



 うっせえよ。


 じゃあ、誰が灯里のことをもっと識るんだよ。

 じゃあ、誰がアッシマーが笑ってるとき、隣にいるんだよ。

 じゃあ、誰がコボたろうたちを見つけ出すんだよ。


    ──うっわ、まるでリア充だな。

      でもま、わからなくもねえ。



 なに?


    ──そうだよな。

      灯里を守るのも、

      アッシマーを守るのも、

      コボたろうたちを探すのも──



 そうだ。


 ほかの誰でもねえ──



「お、れ、だッ…………!」



 それは心のうちにあった、生への渇望。

 未来への叫び。


 生きたいと思う気持ちは、俺にもあった。

 灰色の空を眺めて、それでもなんとなく生きてはいたいと思っていた。


 もう、なんとなくなんかじゃねえ。

 深く暗い過去に唇を噛んで、

 黒く重い十字架を背負って、

 なんとなく続いていく無彩色の道を歩くんじゃない。


 生きたい。

 生きて、これから先を、あいつらとともに過ごしたい。


    ──えらく自分勝手だな。



 うるせえよ。

 陰キャは自分勝手なんだよ。


    ──お前、まだ自分を

      陰キャだと思ってんのかよ。



 ……あ?


    ──お前には、色がある。

      ずっとうじうじしていた

      灰色の俺とは違う。

      蒼空がある。



 あお、ぞら。


    ──思い出せ。あいつが

      駆けていった、空の蒼を。



 天使のはしごの先、空の彼方。


    ──俺には灰色だった。

      でもお前には蒼く見えたはず。

      そうだろう? ……俺。



 蒼、かった。

 そうだ、蒼だった。


 あいつが雲をつんざいて駆けていった空の彼方は、蒼かった。



 見上げた紫の空に、蒼がうまれた。

 それは、仰向けになった俺の左胸から放たれる蒼い煌めき──


「これ、は……」


 シュウマツの渦、突入直前にリディアから手渡された、石ころ──だったはずのもの。

 クロースアーマーの胸ポケットに突っ込んだまま忘れていた。


 いまならわかる。


 これは、モンスターの意思だったんだと。


 もらった石ころは三つ。


 ぼろぼろの胸ポケットから取り出す。



 三つのうち、ひとつが、蒼く輝いている──


「ぁ……ぁ…………」


 これは、偶然なのだろうか。

 それとも信じたことのない、奇跡なのだろうか。


 アイテムウィンドウには──。


──────────

ヴォーパルバニーの意思

──────────


 そう書かれていた。



 ヴォーパル、バニーうさぎ



 溢れだす哀しみと愛しさ──



《オリュンポス・システムを起動》


 勝手に表示されるウィンドウ。

 同時に流れ込んでくる知識。


 オリュンポスが、言っている。

 そして、もうひとりの俺が、言っている。


    ──さあ、いこうぜ──



 もう立てないと思っていた脚で立ち上がる。

 ピピンはふたたび俺に背を向け、西の通路へと向かっていた。



「【悲哀想起インヴォーク】……!」


 脳内に入り込んだ言葉を紡ぐと、光を放っていない石ころふたつのうちひとつが同じように蒼く光り、ヴォーパルバニーの意思に吸い込まれてゆく。


 ヴォーパルバニーの意思が、より蒼く輝く──



「【白翼誘起イヴォーク】……!」


 最後の石ころも蒼く煌めき、三つの意思が重なり合い、混じり合って、ひとつのイメージが浮かびあがる。



 その姿は──



 また、ひどい目にあわせちまうかもしれねえ。



 ──いや。



「こんどこそ、守ってみせる……!」



 重なる三つの意思を、己の胸に取り込んだ。


 蒼空へと駆けていった想い。

 俺の胸に、ずっといた想い。


 こんどこそ、一緒に、蒼空を見上げるんだ。



 なあ、そうだろ?




『ぷぅぷぅ』



 カッパーステッキの底を地面へ落とし、唇を噛み締めて、杖を握り、その名前を口にした、




「召喚ッ! うさたろうッ!」




 ピピンが遠くで振り返る。しかしその姿は、杖の先に出現した魔法陣から放たれた、どこまでも蒼い煌めきで見えなくなってゆく──



 光が消えたとき、そこにいたのは、



「ぅ……あ…………」



 降ったばかりの雪のように柔らかそうな白い毛並み。

 長く伸びた耳。意志の強そうな紅の瞳──



「ぷぅぷぅ」



 そして忘れもしない、愛らしい声。



「うさたろうっ……!」



 そこには、俺の腰上まで大きくなったうさたろうが、大きな耳を揺らしていた。

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