08-33-What Will They See in the Final Sacrifice

 天空に浮かぶ島。

 紫に彩られた赤と黒の宮殿の先──崖の上にて、三人の男女が眼下に広がるモニターを見下ろしている。


「ふん。ようやくやりおったわ」


 忌々しげに、しかしどこかほっとしたように吐き捨てるのは、血のような紅い髪に胸元の開いた漆黒のドレス、そして魔族の象徴である角を二本持つ、魔族の女王──ディアドラ。


 彼女を横目でちらりと見やってから再び眼下に溢れる緑の光へと視線を落とし、


「しかし──彼は、いえ、彼らはよくやってくれましたわ」


 そう呟くのは、ディアドラとは対称的な純白のドレスに身を包み、ブロンドの長い髪を持つ女性──リーン。

 両者はピピンの投げた槍に貫かれたふたり──そこから溢れる緑の光をモニター内に見て、そう言っているのだ。


「ここまでか。……過去のシュウマツを鑑みれば、たしかに彼らはよくやった」


 白と黒──ふたりの艷やかな美女に挟まれてそう呟くのは、2メートルほどの長身、腰元まで伸びる長い黒髪の偉丈夫──立会人、エンデ。


 三人はそれぞれに歯がゆく思いつつ、モニターを凝視していた。


 ディアドラは第四ウェーブですべてが終わるはずだったのに、という悔しさ。

 リーンはもしかすれば町の人々を完全に守れるかもしれなかったのに、という無念。

 エンデは街の運命を少年少女に託さなければならない悲哀を。

 このような仕組みを仕上げた己への遺憾の念と、しかし自分も通ってきた道だ、という皮肉を瞳に宿して。


 藤間透がやられたのであれば、召喚モンスターのコボルトも消滅する。

 そうなれば、前衛は壊滅。

 残る三体のピピンと二体のコボルト、そして一体のマイナージェリーは防衛ラインを突破するであろう。


 すこし視線をずらせば、横に並んだモニターには街の様子が映し出されている。

 そこに、先ほどまでの熱気はなかった。

 拳は下がり、熱気はざわめきに変わり、やがて静まる。


 ──いつだって、そうだった。


 街の哀しみが、絶望が、エシュメルデを舞う無数のマナフライにまとわりつく。

 マナフライは紫の空へ音速で舞い上がり、深紫の光を放ちながら、三人のいる浮遊島まで辿りついた。


「くくっ……これがシュウマツの絶望か。……ふむ、なかなかに甘美よの」


 ディアドラは立ち上がり、両手をひろげてマナフライを受け入れてゆく。

 豊かな胸元に、細い腰に、幾千ものマナフライを取り込んでゆく。


 恍惚こうこつの笑みを浮かべるディアドラを見て、しかしエンデは、はて、と首をかしげた。


 ──絶望の数が、少なすぎる。


 ふたりを貫いたピピンの槍は、このシュウマツの進退を決定づけるものだった。


 人間サイドで戦場に立っているのは、もう三名のみ。

 祁答院悠真も七々扇綾音も、どう見ても限界だ。

 召喚モンスターのコボルトも、藤間透の死亡により、間もなく消え去るだろう。


 そうなれば残る三体のピピンと二体のロウアーコボルト、一体のマイナージェリーを抑えることは不可能だ。


 あまりにも簡単な方程式。

 数こそ減ったとはいえ、六体のモンスターがエシュメルデを急襲する。


 数は問題ではない。むしろ、彼らならばやってくれるかもしれないと期待したぶん、絶望は大きいはずなのだ。

 人は自分と自分に近しい存在に危害が及ばないと知ってようやく安心するいきものなのだから。


 これまでは、そうだった。


 ──ずっと、そうだった。


 ディアドラにとっては、これがはじめてのシュウマツだ。

 だから、浮遊島へ舞い込むマナフライの数を疑問にも思わないのだろう。

 まるで甘露を口にしたようにうっとりと顔を綻ばせるディアドラに水をさすこともせず、エンデはもう一度眼下を見下ろした。


 七年ぶりのシュウマツ。

 過去のシュウマツを知らぬものが多いのか。

 あるいは、中央広場でたったいまサンダーバードの背に乗った銀髪の女性を信じきっているのか。

 それとも、腕利きの冒険者たちの力を過信しているのか。


 ──シュウマツは、そんなものではない。

 たとえどんな腕利きでも、現れたモンスターに気づくころには、もう数人がほふられている。それがシュウマツだ。


 それを知らぬエシュメルデではあるまい。

 七年の時を経ても、あのときの傷痕は風化しない。


 なのに、どういうことだろうか。

 いつもならば叫びながら慌てふためき、散ってゆく民衆が、いまもまだ空を見上げているではないか。

 いつもならば陣形を組む冒険者たちが、何の指示も出さず、木偶でくのように空から目を離さないではないか。

 

「む」

「えっ」

「なにっ」


 三人が同時に声をあげた。


 戦場を映すモニター。

 死を運んでくる緑の光から、少年が飛び出したのだ。


「おおっ」

「まあ」


 エンデとリーンが思わず口にした驚きには、はっきりとした熱がこもっていた。


「な……彼奴きゃつは死んだはず……!」


 面白くないのはディアドラである。

 それもそのはず、三人は回復による緑の光を、死亡時の光と勘違いしていたのだから。


 モニターのなかで、モンスターへと駆ける藤間透。


 ポーションでは血は回復しない。

 ポーションでは疲れは取れない。


 だから、彼にそんな力が残っているはずがないのだ。


 なのに、透はスピードを落とさない。

 むしろ速度を上げてゆく──


 透は生きていた。

 コボたろうは消えない。

 かといって、どうにかなるものではない。


 透が強い戦士ならばともかく、見たところ呪いを扱う召喚士。召喚モンスターはもう残ってはいないだろう。

 空手の拳で屈強なピピンを殺せるほど、彼は強くない。

 彼の蹴りで倒されるほど、ピピンは弱くない。


 だというのに、エンデはなにかを期待して、拳を握った。


 街からはふたたび咆哮があがる。

 下ろされた拳がまたも突き上げられる。


『うおあぁぁぁぁぁああああアアッッ!!』


 街にも負けぬ、裂帛れっぱくの声と同時に透は跳びあがり、コボたろうを狙うピピンの頭を掴み、側頭部に跳び膝蹴りをぶち込んだ。


 声も無くドウと倒れ込むピピン。

 息を吹き返し、喝采に包まれる街。


「おのれっ……!」


 ディアドラは己に集まるマナフライを振り払うようにして、浮遊島のふちへ身を乗り出す。


 透は着地と同時に放たれたロウアーコボルトの矢を、アイテムボックスから取り出したのであろうレザーシールドで防ぐ。

 そして両手杖に持ち替えて、


損害増幅アンプリファイ・ダメージ……!』


 自分の周囲に呪いをばらまいて、残る全モンスターに茶色のもやを纏わせる。


「……なぜこんなに動ける。ポーションを飲んだにせよ、中毒症状や疲労で動けないはずだが」

「うふふ……エンデさま。愛の力ですわ」

「愛?」


 リーンだけは理解した。

 これは、緑の光が消えた後、そうっと地面に横たえられた少女の持つ盾の効果だと。


 エンデもディアドラも、低ランク──レザーシールドのユニークアイテムの効果など、覚えていないのであろう。


 しかしそれにしても、効果が強すぎるような……?

 そんなリーンの疑問はむなしく霧散する。


「残念、ですわね」

「ああ……残念だ」

「手こずらせおって……」


 ピピンの攻撃を受け、ついに七々扇綾音と祁答院悠真が倒れた。


「すこし、遅すぎたな。……いや、そんなことを言っては酷か。誰にも責めることなどできん」


 立っているのはもう、藤間透と、虚ろな目をしたコボたろうのみ。


 そのコボたろうも──


「あとは──」


 召喚爆破最期の攻撃だけか、と言おうとして、エンデは口をつぐんだ。

 こんな言いかたをするのは、透にもコボたろうにも失礼だと思ったからだ。


 透の拳がロウアーコボルトを光に変えた。

 その隙に横から飛び込んだマイナージェリーのタックルを受け、透は横の木に背中から衝突し、そのままジェリーに押さえつけられる。

 木とジェリーに挟まれて、透は動けない──


「これでピピンが全滅すれば、彼らの勝利だ」


 エンデでなくとも、これが最終局面であることは一目瞭然だった。


 街から負の感情が溢れ出す。

 それは、絶望とはまた違う、罪深い感情。


 最期の攻撃──その代償は、コボたろうのいのち。


 最期の攻撃でモンスターを倒してほしい──それはすなわち、コボたろうに、死んでくれと言っているようなものだ。


 マナフライが集まってくる。

 これはきっと、街の哀しみだ。


 召喚モンスターだから、死んで当たり前……そんな街の感情は、いつしか少年たちによって塗り替えられていた。


 あまりにも罪深い祈り。

 生命の爆発に頼らねばならぬ矮小わいしょうな己への嘆き。

 そして、透とコボたろうへと捧げる悲哀。



 マナフライが煌めく紫の空で、己へ向かう憎悪を噛み殺しながら、エンデはふたたび拳を握りしめた。

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