08-32-Concerto With a Crybaby

 "勇者"ってなんだ?


 ゲームでも漫画でもラノベでもアニメでも、勇者といえば主人公の職業のように捻じ曲げられている。


 いいか。

 勇者ってのは、職業じゃない。


 たとえば三国志。

 長坂ちょうはんの戦いで、主君・劉玄徳りゅうげんとくの息子・阿斗あとを救うために、己をかえりみず孤軍奮闘した、趙子龍ちょうしりゅうみたいな男のことを、周りにいる人物が、あるいは後世の人間が称えるために使う敬称だ。


 そなたこそ大陸一の勇者だ! なんてな。


 つまり、まだなにもしていない人間のことを勇者と呼ぶのはおかしい。


 ……異世界アルカディアにきてから、ずっとそう思っていた。


 女将は、


「あんちゃん、異世界勇者なんだろ?」


 ダンベンジリのオッサンは、


「坊主、異世界勇者だろ!? なんとかしやがれ!」


 当然のようにそんなことを言う。

 担任の西郷も「アルカディアでは異世界勇者として恥ずかしくないように──」なんて言っていた。


 わかってる。

 アルカディアに参加した以上、俺たちは異世界勇者として扱われる。


 ──しかし、なにも成していない俺に、

 なにもできない俺に、その名前は重すぎた。


 俺に力があれば、いずれ勇者と呼ばれることになる──その光景に憧れもした。

 しかし、俺は力を持っていなかった。


 あったのは【オリュンポス】って名前だけは強そうなユニークスキル。

 召喚モンスターも持っていない俺は、勇者を目指すどころか、現実と一切変わらぬ陰キャだった。


 俺だって、なってみたかった。


 弱いものを助ける、勇者ヒーローに。


 力さえ、あれば。



 しかし、たぶん、きっと、いや間違いなく──力なんて、関係なかったんだ。

 力さえあれば、なんてのは、俺のいいわけでしかなかった。



 "たとえ弱くても、弱いものを守る"その姿勢──



『き、キモくない、です』



 それこそが。

 なんの得にもなりゃしないのに、弱いものを守る──その背中こそが、勇者だったんだ。


 ああ、そうだ。

 ずっとずっと、どれだけのときがすぎても、忘れはしない。



 あのときからずっと、俺にとっての勇者は、アッシマーだったんだ。



──



 アッシマーと抱き合った状態で、腹と背を貫かれたふたり。 


「ぁ……ぁ……」


 俺の肩に顔を埋めたアッシマーの、力なく、なのに逼迫ひっぱくした声。

 ピピンが木箱に変わったのか、俺たちを貫く槍が消滅し、アッシマーの背から血が噴き出した。


 ずるり、と俺の肩を滑るように下がってゆくアッシマーを、左腕で抱きとめた。


 俺の力も、抜けてゆく。


 アッシマーを、死なせちゃいけない。


 俺がなんのためにここに立っているのか。

 その理由は、俺だけが知っている。


「ごぼっ……」


 口からまろびでる、赤黒い液体。


 や……べぇ……。


 ま、に、あえ。


 アイテムボックスから最後のポーションを右手に取り出して、飲み口をアッシマーの顔に近づける。

 しかし、虚ろな目をしたアッシマーは首を横に振る。


「な、ん、で」


 なんで、飲もうとしねえんだよ。

 死んじまうだろ。

 アッシマーが、俺の前から、消えちゃうだろ。


 そんなの、許さねえ。

 死んでも、許さねえ……!


「いん…………と、ひ…………ぐ」


 なんだよこいつ、なにを言おうとしてるんだよ。

 口にポーションの飲み口をこすりつけても、アッシマーは笑顔をつくって、口を開けようとしない。


 そんなとき、視界の右端に、震えながら掲げるアッシマーの左腕が見えた。


 ──そこには、桃色の盾。


「いんすたん、と、ひー、りん、ぐ」


 桃色から放たれる、おびただしい緑の光。


 …………あ。


 インスタントヒーリング。

 アッシマーの持つレザーシールドのユニーク、『☆ブークリエ・ド・アモーレ』──通称、愛の盾の特殊効果。

 一日一回だけ無詠唱かつ無償で使える、高性能の治癒ヒーリング


 これまでアッシマーはこのスキルを使ったことがなかったから、すっかり忘れていた。

 アッシマーがこれを自分に使うつもりでポーションを拒否していたのだろう。

 そう思い、右手のポーションをあおる──


 そうして、気がついた。

 アッシマーの盾が、俺に押しつけられていることに。


 灼熱の痛みが、俺から消えていることに。


 ぎょっとして、ポーションを口に含んだまま、アッシマーに視線を落とす。


「お、やく、に、た、て…………」


 アッシマーの口の端から、赤いものがつうと落ちてゆく。


 なんで、だよ。

 なんで俺たちは、いつもこんなに噛み合わねえんだよ。


 桃色の盾から溢れる緑の光に包まれて。


 この緑の光は、回復の光なのか。

 それとも、アッシマーの身体から溢れているものなのか──


 いや、だ。

 消えないで、くれよ。

 お役に、ってなんだよ。


 そんなの、どうだっていいんだよ。



 俺の勇者ヒーローは。


 俺の勇者は、ちょっと……いや、かなり……いやめちゃくちゃどんくさくて、頓珍漢とんちんかんなことを言ったりする。

 そんで、どれだけ俺があざといのをやめろっていっても、はわわわわとか、ふにゃーとか、ありえないくらいあざといんだ。


 役に立てるとか立てないとか、どうだっていいんだよ。



 ただ、



 いつもどおり、



 俺のそばで、



 ずっと、



 あざとく笑ってくれてさえいれば、いいんだよ。



 俺たちを包む緑の光のなかに、お前が含まれているなんて微塵も信じたくなくて。



 俺は、ポーションを含んだままの口を、



 灯里の熱がまだ残った唇を──



 アッシマーの唇に押しつけた。



「んぅ……!?」


 アッシマーの身体がぴくんと跳ねた。

 構わず唾液と血液が混じり合ったポーションをアッシマーの口に注いでゆく。


「っ……っ…………!」


 臓器がやられているからなのか、そんなことは俺にはわからない。

 アッシマーがむせこんだ。


「っ……!」


 押し戻された液体を押し返すようにして、舌ごとアッシマーの口内にねじ込ませる。小さな身体が俺の腕のなかで何度も跳ねる。


 それでも、やめない。

 ──我慢、してくれ。


 舌同士がぶつかりあうが、それでもやめない。


 左腕で、アッシマーの跳ねる背中を支えるようにして。

 右手で、目を閉じたアッシマーの後頭部を抱え込むようにして。


 何度も何度も何度も、舌を突き込んでゆく。


 俺のクロースアーマーの袖を、アッシマーの指がぎゅっと掴んだ。


 緑の光のなか、ようやくアッシマーの喉が揺れる。


 一度。二度。三度。


 ようやく口を離すと、何本もの糸がいまだに俺とアッシマーを繋いでいて、ふたり同時に口を閉じると、その糸はアッシマーの口元から鼻へと着地した。


 それを淫靡いんびに思うより、その糸が透明であることに安心して、俺は両手でアッシマーを地面へそうっと横たえる。

 汚してしまったアッシマーの顔を指で拭き、灯里にもしてやったように、親指の腹で両目を拭った。



 ──あ。



 いつか、宿の裏で、片目にだけ残してしまった"嫌いな理由"を思い出す。



 今度は、ちゃんと、ぬぐえたぞ。



 大して好みの顔じゃない。

 騒がしいやつは好みじゃない。


 でも、アッシマーに、嫌いなところなんて──もう、なにひとつ残っていない。


 目を閉じたアッシマー泣き虫のもこもこ頭を一度撫で、立ち上がる。



 今度は、俺の番だ。



 あの日、片目を拭うことしかできなかった。

 成長したいま、両目を拭っても、まだ足りない。


 拭う、じゃダメなんだ。

 泣かないでくれよ、でも、ダメなんた。



 握った拳に、誓う。



 ──もう、泣かせない。



 お前は俺に、勇者がなにかを見せてくれた。



 たとえお前が見ていなくても──




 いまから、俺が、お前の勇者になってくるから。

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