08-31-A Sole for a Crybaby

 俺は、奇跡ってコトバが好きじゃない。


 奇跡ってのは、人の力ではない、神の戯れのような超常現象のことをいうんだ。


 『奇跡を起こす』ってよくドラマとか映画とかアニメとかもろもろで使われるだろ。

 あれは、奇跡じゃない。

 人が起こしてる時点で奇跡じゃない。


 魔法が使えるアルカディアにいては、魔力すら奇跡ではない。


 ついでに言うと、俺は神なんてものも信じていない。


 だってもしも、神なんているのなら。

 だってもしも、奇跡なんてあるのなら。


 俺はこれまで、そのふたつから、散々見放されてきたことになる。


 ならば、信じない。

 あるいは、認めない。


 俺は、奇跡も、神も、認めない。


「…………」

「…………」


 灯里に覆い被さって、罪深い口を封じるためのくちづけ──

 華奢きゃしゃな身体が一度ぴくんと跳ね、大きく見開いた目はゆっくりと閉じてゆく。

 左右に飛び散っていた涙が目元に泉をつくり、河となって目尻から耳へと、そして黒い髪を濡らしてゆく。


 俺は、奇跡も神も、信じないし認めない。

 しかしこのときばかりは、奇跡的ななにかが起こったのだと感じざるを得なかった。


 降り注ぐ黒矢こくしの雨。


 永遠にも感じるこのとき。

 灯里の口を塞いでから、俺と灯里の周りだけ聖域にでもなったかのように、矢は降ってこなかった。


 矢が地面に突き立つ、あられのような恐々きょうきょうとした音が止まった。


 い……てぇ…………。


 何本刺さった。

 いま、何本刺さってる。


 四本か。

 五本か。


 灯里から唇をゆっくりと離す。

 短くない時間、口をつけていたからだろう。

 俺の唾液なのか灯里の唾液なのかわからない透明な糸が、いまだ小さく開けたままの灯里の口へ吸い込まれてゆく。

 灯里はそれをまったく意に介さず、薄く目を開く。


「ごめん……なさい……」

「ゆるさ……ねぇ……」


 同時に呟いた囁きのようなふたりの声は、きっと俺のせいですれ違い続けてきたふたりを表しているようだった。


 許さねえ。

 灯里の謝罪がなんのことかはわからないが、灯里が口走ろうとした言葉を、許すわけにはいかねえ。


「いなくなったら……一生、許さねえ、からな」

「ふ……じ……」


 灯里の開いた目に再び、みるみるうちに泉ができる。

 そうして灯里は俺に謝るように、そして頷くように、ゆっくりと目を閉じた。



「終わらせて、くる、から」



 眼下にある両目尻についた轍を親指でぬぐい、痛みをこらえて立ち上がる。


 目が霞む。

 痛みが俺を支配する。


 灯里に『終わらせる』なんて言ったものの、このままじゃ時を待たず終わるのは間違いなく俺だった。

 

 コボじろうが遺してくれたポーションを一息であおって状況を確認すると──



 そこには、地獄絵図が広がっていた。


 立っているのは、俺と、天に盾を構えたままの、コボたろうとアッシマーだけだった。


 みな、倒れている。

 身体に何本もの矢を痛々しく受け止めて。

 うつ伏せに、仰向けに、横向きに、倒れている。


 やっとカカロの遺した【天泣ティアリング・アローレイン】の効果が完全に消滅したのか、みなの身体に突き立った漆黒の矢が消え去り、傷口からは血が溢れてゆく──


 アッシマーとコボたろうの手にはもうポーションは無いはずだ。

 俺が持つ、ひとつだけ。

 何人もが血を流して倒れているのに、ひとりしか救えない。


 祁答院も。

 七々扇も。

 鈴原も。

 高木も。

 海野も。

 三好伊織も。

 清十郎も。

 小山田も。

 小金井も倒れているのに──


 だれかを救えば、ほかの誰かが死ぬかもしれない。


 罪深い取捨選択。

 それはひとりを救う行為でありながら、

 ひとり以外を殺すに等しい行為。


『み、みんな、逃げて……!』


 しかし俺にはそんな時間すら残されてはいないと、脳に響く国見さんの声が教えてくれた。

 ジェリーの粘液を使って足止めした、ピピン四体を含むモンスターたちがやってくるのだ。


 逃げて?

 ……どこへだよ。


 モンスターは東の通路からやってきて、一心不乱に教室にある防衛ラインを目指す。

 西へ逃げて北上すれば、俺、アッシマー、コボたろうは助かるかもしれねえ。


 でも、残ったやつらはどうなる。

 モンスターの軍団に防衛ラインを突破させたら、どうなっちまう。


『逃げ……ない』


 脳に響く、祁答院の声。

 うつ伏せの祁答院は地面を掻き、草を握りしめるようにして、立ち上がり、ポーションを勢いよくあおった。


 海野も。七々扇も。

 高木も鈴原もアッシマーの手を借りて立ち上がる。

 視線の先で、何人かがポーションを口にして、虚ろな目に闘志を宿してゆく。


 傷口が塞がり、痛みは引いてゆく。

 しかし、疲労は消えない。

 失った血が急速に戻ることはない。

 ポーションの中毒症状なのか、頭がふらつく。



「「「ギャアァァァァアアアアアウ!」」」


 東から聴こえるモンスターの咆哮に応える者はない。

 

 逃げようとする者もいない。


 ただ、立ち上がり、武器を構える。



 きっと、それぞれの、想いを秘めて。



 こちらで立っているのは、

 俺、アッシマー、コボたろう。

 祁答院、七々扇、高木、鈴原、海野。


 前衛のコボたろう、祁答院、海野が部屋に飛び込もうとするモンスターの群れを、通路の入り口で塞いだ。

 俺がステッキに持ち替えると同時に、苦しそうな高木の声がした。


力の円陣マイティーパワー……っ!」


 作戦なんて、もう、残っていない。


損害増幅アンプリファイ・ダメージ……!」


 でも、絶望だってない。

 そう、決めたから。


「癒しの精霊よ、我が声に応えよ……」


 俺は、挑戦するって。

 そう、決めたから。


「があああぁぁっ!」

「下がって……! ふっ……!」

「海野、代われっ! うおおぉぉおおぁァアッ!」


 守ることも。

 立ち向かうことも。

 闘うことも。


 そう、決めたから──そんな糸のようにか細い理由で、茶色にもやがかった臆病のピピンに拳をぶつけてゆく。


治癒ヒーリング。氷の精霊よ、我が声に応えよ──」

「悠真、交代っ! おらぁぁあああああッッ!」

「くっ……! 光の精霊よ、我が声に応えよ──」


 七々扇がコボたろうを回復し、矢継ぎ早に氷矢アイスボルトの詠唱を開始する。

 高木と前衛を後退した祁答院は、ぼろぼろになりながらも落雷サンダーボルトの魔法を唱える。

 突破されないよう、前衛が代わるがわる裂帛れっぱくの声をあげながら、ピピンに立ち向かってゆく。


 ピピンの槍を紙一重でかわし、顔面に裏拳をぶち込むが、顔を歪めただけで、よろめかせるには至らない。

 蹴りの連撃に繋げることすらできない。目の前のピピンは怯むことなく槍を引き、攻撃態勢に入っているのだから。


 この槍に貫かれたら、きっと終わりだ。

 槍を回避するために構え直す。


 そんな俺の顎に衝撃──

 槍はフェイントで、俺はピピンのつま先で顎を蹴り上げられた──そう気づいたときには、俺はもう宙を舞っていた。


 ぐるんぐるんと、視界が回る。

 俺はきっと、きりもみ回転をしながら、宙を舞っているのだ。

 飛びそうな意識のなか、宙に浮いたまま、時間の流れが急速に緩やかになってゆく。


 ここで俺が死んだら、コボたろうも死んじまう。

 コボたろうが死んだら、きっと、みんな死んじまう。


 意識だけは手放さない。

 そのために大きく開いた視線の先で、コボたろうが俺を蹴り飛ばしたピピンの腹を槍で貫いている──


 背中に強い衝撃。


「がっ」


 きっと己にしか聞こえない俺の悲鳴は、あまりにもつまらなく戦場に消えてゆく。

 何度もバウンドし、仰向けの状態で衝撃は止んだ。


「ぐ……ぅ…………んぅぅう……んぅうぅぅ……!」


 しかし、顎を蹴られたことによるあまりの痛みに叫ぶことすらできない。


「……じまくんっ……ふ……まくんっ!」


 どれだけ痛くても、絶対に、意識だけは途切らせない。

 そうやってなんとか見開いたままの視界の先に、アッシマーが映った。

 仰向けの俺の頬に、俺のきらいな雫が落ちてくる。



 ……こいつ…………いっつも、泣いてんな…………。


「な……き、む……し…………」


 どうして顎の痛みにこらえながらようやく口にした言葉がこれなのか。

 俺はアッシマーに手を伸ばす。

 アッシマーが俺の右手を握ると、俺はその手を引っ張るようにして、どうにか立ち上がった。


 そうして目の前の泣き虫と向かい合ったところで──



 その、肩越しに、見えてしまった。



 コボたろうに貫かれたピピンが──



 苦悶の表情のまま、槍を振り上げて──



 俺たちへ向かって、それを投げ──



「ぼべっ(どけっ)!」

「ふぇ?」



 腕に力を込めても、アッシマーをどかすことなんてできなくて。



 ズドォッ、と音がした。


「ぁ」


 それだけ洩らしたアッシマーの身体が急に、俺に密着する。

 ぶつかるようにして俺に接近したアッシマーの左肩に、俺の顎が乗った。


「ぁ……ぁ……」


 あったのは、左耳に聞こえる小さなうめきと、あまりにも強烈な、腹と背中の痛み。


「ご……ぼっ……」


 灼熱と薄れゆく意識のなかで見えたのは、アッシマーの背中から突き出た槍のつか



 俺とアッシマーは抱き合うようにしながら、ピピンの投げた槍に貫かれていた。

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