08-30-It's Called "Realize"

 灯里は虚ろな目に光を宿し、唇を弱々しく動かした。



「私は、シュウマツを──」



───



 最初は、変な女、って印象だった。

 入学式のときからちらちらとこっちを見てくるような気がするし、教室でも窓際に目をやれば、慌てて顔を逸らす。


 灯里が──そのときは名前も知らなかったが、彼女があのときチンピラから助けた女子だったんじゃないか、って思ったのは、入学二日目、チンピラにやられた肩の包帯を交換したときだった。


 あ……そういや顔似てるな。でも私服と制服じゃ随分印象変わるよな、って。


 あの日、放課後に呼び出されるまでは、それだけの印象だった。


「好きです。私とつきあってもらえませんか?」


 あー、なんだ、こいつもあいつらと一緒かよ。

 そうやって俺は、あの日の告白を罰ゲームだと決めつけて、赤面を夕焼けのせいにして、たどたどしい灯里の緊張すら、笑いをこらえていると吐き捨てた。


 なにやってるんだよ俺のアホ。

 ちゃんと見ろよ藤間透。


 彼女の震える肩を。

 彼女が握った拳を。


 お前の目の前にいる女の子は、好きでどうしようもなくなって、お前に告白しちゃったんだよ。


 ──こんな、俺を。


「どうすれば、信じて、くれるの?」


 ──違うんだよ、灯里。

 お前がどうすれば、じゃないんだ。


 俺が、弱すぎただけなんだ。

 それなのに俺は、通学路で高木に言い返せない灯里の弱さだけに責任を押しつけて、忌々しげに舌を打った。


 ──ああ、馬鹿馬鹿。

 弱いのは俺だろ? なんで俺がそんなことしちゃうんだよ。


「ふふっ、本当は声、大きいんだなって」

「お、おはようっ」


 それどころか、灯里はめちゃくちゃ強いじゃねえか。

 話しかけれは悪態をついて理不尽に遠ざける俺に、話しかけてきてくれたんだ。


 ──ああほら見ろよ。

 このときも。あのときも。


 俺に話しかけるとき、灯里は深呼吸して、拳を握って、勇気を振り絞っているじゃねえか。



「歩道側、譲ってもらうの、はじめて。うれしい、な」



 こんな普通のことで喜んで。



「ま、待ち合わせ、して、みたい、な」



 こんなことで赤くなって。



「藤間くんはそんな人じゃないよ、藤間くんは優しくて──」



 こんなことで怒って。



「どうして藤間くんが謝るの? 藤間くんは最低なんかじゃないよ……!」



 こんなことで泣いて。



「好きだよ、藤間くん。大好き」



 これでもまだ信じられない?

 こんな可愛い子が俺なんかを?

 俺は惚れてるわけじゃない?


 誰だよそんなこと言ってるあんぽんたん。ここに連れてこいよ。殴ってやるから。


 これがもしも恋なら、アッシマーにも惚れてる?

 アッシマーにも惚れてるなら、灯里にも惚れてる?

 一寸違わず横並びだから、応えられない?

 もっともらしいこと言って、カッコつけてんじゃねえよ。


 違うだろ?



 クソダセェ自分が、灯里と並び立てるだけの人間だとは到底思えなかっただけだろ?



 それなのに、プライドだけは一端いっぱしで。



「灯里を守るのは、俺だッ!!」



 そんなことを言っておきながら、



「黙れ、獅子王龍牙」



 灯里に庇われて。



「私は私の強さを、藤間くんからもらったから!」



 居場所を守ってもらったのは、俺だった。



 ダサっ。



 ヤバいな、俺。



 いつかの、こんどこそふたりともが真っ赤になった砂浜で、灯里は言った。


「私、藤間くんのこと、もっと知りたい。私のことも、もっと知ってほしい」


 俺は、灯里のことを、ちゃんと知れたのかな。

 灯里は、俺のことを、ちゃんと知れたのかな。


 こんなことなら、ゆっくりと言わず、もっと知っておけばよかった──




──




 足りねえよ。


 まだまだ、知り足りねえ。


 好きな食いもんも知らねえし、趣味すら知らねえ。もしかしたら、じつはこっそり、いたーいポエムをつづっているかもしれねえ。


 そんなことすら、知らねえ。



 足りねえ、って言葉じゃ、それこそ足りねえ。



 しりたい。

 灯里がいつか願ったように、俺は、灯里伶奈という人間を、もっとしりたい。


 それは無理矢理知ったり、こそこそと調べたりするんじゃなくて、


 嬉しいときも。

 怒ったときも。

 哀しいときも。

 楽しいときも。


 どんなときにどんな声を出して、どんな表情をするのか──そうやって、ひとつずつ、隣で、


 俺は、灯里を、"りたい"。


 助けたいじゃない。

 知りたいじゃない。

 覚えて、培って、育んで、識りたい。


 俺は、灯里のことを、もっと識りたい。

 灯里に、俺のことを、もっと識ってほしい。


 ダセぇとこばっかり見せてきたけど、きっとどこかにある、俺のいいところを、すこしくらいは見せてやりてえ。


 そう、思っちまった。


 なら、現実だけじゃ足りない。

 アルカディアから追放させちまったら、識ることが減っちまう。


 まず最初に識りたいのは、このシュウマツを無事に終えたとき、灯里が果たしてどんなふうに笑ってくれるのかだった。



「私は、シュウマツを、きょ──っ! …………!?」



 終わらせない──



 俺は、両手と両膝を地面につけたままでできるおそらく唯一の方法で、仰向けになった灯里の唇を、そっと塞いだ。

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