08-24-The Flames That Paint Despair

 シュウマツの渦の下、熱気に包まれたエシュメルデ。

 貧困街に近い寂れた町並みを抜け、中央広場へ向かって南下する母子の姿があった。


 水を高々と湧き上げる噴水が見えてくると、娘は嬉しそうに、反して母親はうんざりしたような顔をして、愛娘の手を引いて歩みを止めた。


「ねえココナ、やめておかないかい? アタシあんまり人混みが好きじゃないの、知ってるでしょ?」


 広場は想像通り──むしろ想像以上の喧騒と混雑。中央の噴水を取り囲むようにたくさんの人間が、そしてさらにそれを取り囲むように、この状況すらビジネスチャンスに変えようとする、商魂たくましい者による食べ物の屋台が並んでいる。


「なにを言ってるにゃん! 広場に来て、ってココにゃんたちはリディにゃんに頭を下げられたにゃん! おにーちゃんたちに万が一のことがあっても、広場にいればリディにゃんが守ってくれるにゃん!」

「だけどさ……。宿を守らないと……」

「あーもう、じれったいにゃん!」


 娘は母親に手を引かれたまま、広場へと駆け出した。

 腕力では母親のほうが遥かに上であるが、娘を溺愛する母親はこうすれば自分に逆らわないことを、娘はじゅうぶんに知っていて、母親も娘がそう考えるであろうことを知っていた。

 真っ赤なショートヘアに続いて、唐紅からくれないのポニーテールが苦笑して揺れた。 


「エリーゼ。ココナ。こっち」


 喧騒のなかにあっても、どこかぬぼっとした、しかし透明感のある声は不思議と母子に響いた。ふたりがそちらを向くと、よく知った、白銀の長い髪を持つ美女の姿。


「リディア」

「リディにゃん!」


 母子──エリーゼとココナが人波をかき分け、やっとの思いで彼女の近くに辿りつくと、どういうわけかリディアのそばにはふたりぶんのスペースがぽっかりと空いており、ふたりはそこへ身体を滑り込ませた。


「リディにゃーん! おまたせにゃんにゃん!」

「まっていた」


 絶世の美女に飛びつく愛娘の様子に、エリーゼは笑いを誤魔化すように肩をすくめてみせる。


「……おや」


 エリーゼはリディアの奥で、彼女と愛娘の様子を微笑ましげに眺めている集団を目にする。


 ホビットじゃないか。これだけニンゲンが集まる場所に珍しい──と、そこまで考えておいて、自分にもケットシーの血が半分流れているではないか、と苦笑する。



 ホビットもケットシーも、純正のニンゲンが嫌いだ。

 

 理由は簡単。

 人種が違うからと、自分たちをおとしめるから。


 ホビットに対しては、背が低く、戦闘能力をほぼ持たないから。

 ケットシーに対しては、そもそもがニンゲンでなく、妖精猫人だから。ニンゲンとは違う耳の形をしているから。


 それだけで、見下す。

 相手が格上ならば媚びへつらうくせに、自分よりも相手が格下であることを求める。


 自分たちがマジョリティ多きものであることを確認すると、マイノリティ少なきものを見下す……それがニンゲンだ。


 やがて、ホビットもケットシーも、同族を敬愛し、異種を嫌悪する──そんな思想がうまれた。

 ホビットはホビットで、ケットシーはケットシーで群れ、ニンゲンと距離を置くことが一般的となって久しい。


「あっ、ダンベンジリのおっちゃんにゃ! サンダンバラもデンベンアシもこんばんにゃー!」

「よう! ココナお前さん、リディアと知り合いだったのか!」

「リディにゃんとはおともだちだにゃー♪」

「おともだち。なかよし」

「そりゃいい! ガハハハハ!」


 エリーゼは娘がホビットと仲良くしている姿を見て、開いた口が塞がらなかった。

 自分もハーフだが、ココナはクォーター。ケットシーの血が薄くなっているから、異種嫌悪の意識が低いのだろうか。


「おっちゃんたちは採取ともだちだにゃー♪ ねー♪」

「「「ガハハハハ!」」」


 それとも、娘の父が──七年前にうしなった、自分が唯一愛した異性が、ニンゲンだったからなのだろうか。


「ココナどののご母堂君ぼどうぎみか。ワシはダンベンジリと申す」

「ココナどのにはいつもお世話になっておりますぞ! 儂はダンブンヒザ!」

「ほっほ、儂はサンダンバラと申します。ココナどのにはスキルブックでも世話になっており申す」


 ホビットたちがケットシーの自分に、陽気に声をかけてくる。その事実にエリーゼは面食らって、


「え、あ……エリーゼです。宿を営んでおります。その、娘がいつもお世話になって──」

「ごめんにゃー。ママは優しくて強くてかっこいいけど、少し人見知りにゃー」

「「「ガハハハハ!」」」


 普段の様子からは想像もできないほど口ごもったエリーゼだったが、赤面には至らない。

 豪胆な性格ゆえ──ではなく、ケットシーとホビットが、ニンゲンであろうリディアを挟んで朗らかに会話をしているこの状況が、いまだに信じられず、羞恥心よりも驚きが勝っていた。



「おいみんな見てくれよ! あいつらの装備、俺の店で買ってくれたんだぜ!」


 そういって空のモニターを指差すのは、スキンヘッドのドワーフ。


「お前さんの店で? ガッハッハ、異世界勇者さまがお前んトコのボロ店に立ち寄るわけねえだろ!」

「愛想もねえしなぁ!」

「いや本当なんだよ! 信じてくれよ!」


 ホビットが。ケットシーが。ドワーフが。ニンゲンが。

 差別の果てに閉ざされたと思っていた異種間交流が、すべてを奪いさる紫の空の下で行われているとは、なんという皮肉なのだろうか。


 天を見上げると、モニターにはエリーゼのよく知った目つきの悪い少年が、数人に指示を出している。



『あ……その前に、あと数分しかねえけど、これ、食わねえか』


 藤間少年がアイテムボックスから取り出したのは──


「あー! ママ! あれってママとココにゃんが渡したやつにゃん!」


 それは、いくつかの包みだった。少年ががさごそと開いてゆくと、エリーゼとココナのよく知る、白と黒のコントラスト。


『おにぎりじゃないか。もらっていいのかい?』

『うお、この世界にもコメってあったんだな……。え、お、俺にもかよ? あ、その、もらうぜ』


 透はそれを手早くひとりひとりに渡してゆく。全員に行き渡ったところで、異世界勇者たちは一斉におにぎりを頬張った。


『うわぁ……藤間くん、本当におにぎりだよ! おいしい!』

『こんなところでおにぎりなんて、変な感じがするわね』


 双子の姉弟もおいしそうに口をつけ、あっという間に全員が食べ終わると、透は口を開いた。


『……全員食ったな。あーその、じつはこれ、宿の女将とその娘さんにもらったものなんだよな。んでまあ、その女将さんってのがめっちゃ怖くてだな』


 あと数分で中央に最終ウェーブの渦が出現するというのに、透は柄にもなく、のんきに語りだす。

 ガハハというホビットの笑い声が聞こえ、エリーゼは今度こそ顔を赤くした。


『絶対負けるな。負けたら、今度はあんたをにぎり殺すよ、って言われてる。このおにぎりにはそういう意味が込められている』

「おにーちゃん、言いたい放題だにゃ……」


 そんなこと言ってねーよ! と、エリーゼは真っ赤な顔を震わせる。


『お前らも全員、そんな思いのおにぎりを食ったろ? これで負けたら全員、女将に殺される。そんなの、少なくとも俺はいやだ』


 エリーゼにとっては理不尽な透の言葉。街の笑いに混じり、後ろにいるニンゲンたちの声が聞こえる。


「そんな宿があるのかよ……」

「怖っ。きっと女将はオーガかトロールか魔族だな……」


 エリーゼはいますぐここから逃げ出したい気持ちになった。


『それに、一匹でもモンスターを通せば、そのモンスターが女将を殺すかもしれねえ。そうなったら、このおにぎりをつくってくれた女将と娘さんにお礼を言えなくなっちまう。それは──もっといやだ。……あー、だからその、だな……』


 そうして羞恥をこらえながら、睨むように見上げたモニターでは、似合わないことを言う少年が、やはり似合ったようにごにょごにょと口ごもっていて、


『藤間くん、頑張って』


 モニターの中で優しく微笑む灯里伶奈の声に頷く。



『だから──勝つ。相手がだれだったら勝てるとか、だれだったら勝てないとか関係ねえ。──ただ、勝つ』



 透の声は、街へ向けてではなく、渦の中にいる十二人へ──あるいは自分を含めた十三人へ向けてのものだったに違いない。

 渦のなかにいる少年少女たちは強く頷きあうだけだった。彼らにはすでに、静かに燃える青い炎が灯っているのだろう。



 ──わぁぁああああっ!


 少年にとって精一杯の熱弁は、その代わりのように、エシュメルデを赤く燃え上がらせた。


 頷いて手を叩く者。

 叫びながら拳を突き上げる者。

 両手で口を挟むように押さえ、声援を送る者。


 すべてが燃えあがり、大火となって、街を、空を震わせている。



 ──誰だったら勝てるとか、誰だったら勝てないとか、関係ない。

 ニンゲンとか、ホビットとか、ケットシーとかドワーフとか関係なく、一斉に突き上げられる拳。



 商業都市、エシュメルデ。

 君主を持たず、制限民主制のこの国家は、権利が分散するからこそ、民心も一枚岩になることがない。


 しかし、というべきか。

 だからこそ、というべきか。


「坊主たち、頑張れよー!」

「勇者さま、お願いします!」

「シュウマツをぶっ飛ばしてくれ!」


 突き上げた拳に、力が宿る。

 燃えあがる想いが、街を揺らす。

 吼える声が、天をく。


 みなに希望を与え、一時的とは言え、種族間の差別による軋轢あつれきをも取り除いてしまう。



 ──あんな子たちが、この街を治めてくれたら、どれだけ幸福だろうか。



 渦の中の、青い炎。

 渦の下の、赤い炎。


 絶望を象徴するような紫は、いま、ふたつの炎が混じり合った紫に塗り替えられたのかもしれない。



「あんたら! 勝っておいで! 負けたら本当に、にぎりつぶすからね!」



 周りのぎょっとした視線に気づくこともなく、エリーゼは唐紅からくれないを揺らし、天に拳を突き上げるのだった。

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