08-19-The Born Hatred, The Love That was Lighted

 紫に染まる街。

 いくつもの拳が突き上げられ、いくつもの顔が天を見上げている。


 商業都市エシュメルデの中央広場はむせ返るような熱気に包まれ、喧騒と声援は天高く映し出されるモニターに届かんばかりだ。


 住民の顔には鬼気迫るものがある。

 それも当然、天上に映し出されるシュウマツは、国会中継でもサッカーの試合でもない。


 シュウマツはエシュメルデの人々にとって、生死を分かつ分水嶺ぶんすいれい。勇者たちが倒されれば、街のありとあらゆるところからモンスターが現れ、殺戮を行なうのだから。



「おいおい、今回マジでいけるんじゃないか?」


 喧騒のなか、白銀の装備に身を包んだ屈強そうな若い男がなにげなく口を開いた。


「第五ウェーブまで追放者も犠牲者もいないだなんてはじめてだよな」


 それに応えるのは黒い鎧に見を包んだ壮年の男性。

 ふたりは友人どころか顔見知りですらなかったが、この後の展望などを語り合う。


「しかし驚いたな。召喚モンスターが主人を殴るなんて」

「おー、あの暗そうな兄ちゃんな。どういうことなんだろうな。召喚モンスターってこういっちゃあれだけど、下僕だろ?」


「下僕っていうか、壁な。魔法を発動するための時間稼ぎっつーか、盾みたいなもんだよな」

「そんなやつに殴られて大人しくなるってどういうことなんだろうな」


 彼らの言葉はおろか、心にも一切の悪意はない。

 ただ純粋な疑問として発せられた言葉は、アルカディアにおける召喚モンスターの立ち位置を如実に表層化していた。


 偶然、男たちの隣でその言葉を聞いた男性は、渦に向かって突き上げていた拳をそっと下ろし、ふたりの会話に耳を傾ける。


「なあ、この先どうなると思う?」  

「あとウェーブはふたつだろ。もしかしたらいけるんじゃねえか、って思ってる」


「でもあとふたつって言っても、特にラストはいつも別格なんだろ? ……俺は以前のシュウマツのことは知らないけど、そう聞いてる」

「普段ならこの辺で、勇者たちはもう仲間割れしてるところなんだよ。俺が見てきたいくつものシュウマツでは、みんなそうだった。そんでみんな仲良く渦で”バラバラ”にされちまう」


「そんなもんかねぇ」

「そんなもんだよ。このまま犠牲が出なけりゃ崩れねえんじゃねえかなって思う」


 このまま犠牲が出なければ。

 その言葉に、隣で話を聞いていた男性に、言葉にしがたい哀しみが押し寄せてきた。


 ……だったら、あの召喚モンスターの犠牲はなんだったのか。

 つい先ほどまで熱くたぎっていた拳が、男性の腰元でわなわなと震えだす。


「あとどれだけいるんだ。……コボルトが三体か」

「あの兄ちゃん、上手いこと多くの敵を巻き込んで爆発させてくれりゃいいけど」


 ふたりに悪意はない。

 隣で聞いていた男にも、それはわかっている。

 そういうものなのだ、と。


 しかし。


「お前さんがたには、わからんのか……!」


 男性は怒りに震える声で、男ふたりに向き合った。


「…………なんだホビットのオッサン」

「闘えねえホビットはいても邪魔なだけだ。帰って風呂でも入ってろ」


 そういうもの、なのだ。


 召喚モンスターの不遇も。

 そして、ホビットの不遇も。


「透が、己の意思でモンスターを爆発させたと。そしてその犠牲は、犠牲ではないと、そう言うのかッ!」


 それでも、ダンベンジリは言わずにはいられなかった。

 透の哀しみを、無感情に指をさして数える男たちが許せなかった。


「いやだって、召喚モンスターだろ?」


 召喚モンスターだから。

 ホビットだから。

 そのひとことで片づけられてしまうこの世界が。

 そして、これだから人間はきらいだ、異世界勇者は嫌いなんだと大まかに区切ってしまう自分も。


「召喚モンスターだったら犠牲じゃないのか。ホビットだったら応援しちゃいかんのかッ!」


「お、おい、やめておけダンベンジリ……!」


 いまにもふたりの男に掴みかかりそうなダンベンジリの身体をサンダンバラが抑える。ダンベンジリの怒りは収まらず、ほかのホビットもすわ一大事と駆けてきて、やっとのことで取り押さえた。

 ふたりの男サイドには仲間だろうか、屈強そうな男たちがなんだなんだと集まってくる。


「なんだ、ホビットか」

「なんだとはなんだッ!」


 まるでつまらないものを見るような言い方に、ダンベンジリがまたも激昂すると、人間側も格下に噛みつかれたような思いで見下す。


「やめておけ、ダンベンジリ、儂らが謝るべきだ……!」

「ダンブンヒザ! お前はそれでいいのかっ!」


 召喚モンスターを巡る言いあいは、ホビットを巡る言いあいに発展し、収集がつかないと思われたが──



「なに、してるの」


 それを止めたのは、護衛の兵でも野次馬でもなく、長い銀髪を持つ美しさだった。


「う、お……」


 若い男も壮年の男性も、リディアの美貌に息を呑む。そしてその隣には美しき銀狼──リアムレアムの姿もあった。


「召喚モンスターが、どうしたの」


 リディアが男たちを振り返ると、リアムレアムは獰猛な眼光で睨みつけ、鋭い牙を光らせて威嚇する。


「い、"いやしのたみ"……!」


 男たちの誰かが呟いた言葉に、リディアの肩がぴくりと反応した。


「あ、いや、べつに俺たちは」

「ならいい」


 リディアの言葉とは裏腹に、リアムレアムは男たちへ警戒の姿勢を崩さない。

 男たちはリディアとお近づきになりたいという下心よりも、リアムレアムに対する恐怖が上回ったらしい。そそくさとその場を後にした。



「リディアどの! 透は! ぷりたろうとはねたろうは大丈夫なのか!」


 ダンベンジリは彼らの背中を見ることもせず、仲間に押さえつけられたままリディアに大声で問いかける。


「過去のシュウマツじゃ、渦のなかで死んじまった異世界勇者の召喚モンスターは次の日に復活したはずだ! 今回はどうなんだ……!」

「わからない」


 リディアにもわからない。

 召喚爆破サーモニック・エクスプロードのことについて、透から聞かされていたわけでもなく、過去に見たこともない。


「…………そう、か。悪かったな、大きな声を出してしまって」

「かまわない」


 ようやく立ち上がったダンベンジリはリディアを見上げるようにして、


「助けてもらっちまった。ホビットは必ず礼をする。なにか──」

「いい。おれいならもう、もらったから」


 リディアはぬぼっとした表情、その口の端をすこし柔らかく緩めて、リアムレアムの頭を撫でた。


「うれしかった、から」

「…………?」


 ダンベンジリはなんのことかわからずに首をかしげる。リディアの顔には拒絶はなく、満足があった。だから諦めるようにして、天上で繰り広げられている戦火を見上げ、


「リディアどのは、どう思う。この先」

「ん」


 リディアにしては珍しい顔をした。

 言葉を選ばないリディアが、まるで言葉を探しているような顔をして──


「きずつきすぎる前に、おわってくれればいいとおもう」

「傷つきすぎる前に? ……どういう意味だ?」


「みんな──とくに透は、やさしすぎる、から」


 ダンベンジリはリディアの言葉の意味を、身をもって知っている。

 皆が見下すホビットを、己の犠牲をもって助けてくれたことを忘れていないし、生涯忘れることはないだろう。

 本人が認めることはないだろうが、透は優しすぎる──それはリディアもダンベンジリもよく知るところだった。


 優しい人間は、それだけ傷つきやすい。

 誰かが犠牲になったことに対する責任を、自分に求める。


 はねたろうのことも。

 ぷりたろうのことも。


 そしてこれから先、起こりうる犠牲のことも、その責任を自分に強いてしまうだろう。


 だからこそ──身を呈して、庇ってしまうのだ。


 ──己を犠牲にして。



 それが、優しさは弱さだといわれる所以ゆえんなのかもしれない。



「だから、おわってほしい。エシュメルデの運命が、ぎせいにかわるまえに」


 選ばれた異世界の人間が、エシュメルデの代わりに渦のなかで闘っていることを考えると、いま必死に闘っている勇者たちは、シュウマツの生贄いけにえと呼べるだろう。


 ダンベンジリもリディアも、シュウマツのことを当然知っていた。

 しかしそれを透たちに言わなかったことには、当然理由がある。

 その理由について、誰も口にしない。訊かれていないから、と答えればそれまでだが、ダンベンジリにもリディアにも、それぞれ自ら口にしない理由はあった。


 ダンベンジリはリディアの言葉から己の弱さを痛感し、そういえば、と話を逸らす。


「それにしても、ただ者ではないと思ってはおったが……。リディアどのは、癒しの民、だったのか」


 ダンベンジリはモニターで闘う戦士たちから視線をリディアにもう一度移す。


「……うむ? それにしては……」


 さっ、とリディアはダンベンジリの視線を避けるように身をよじらせた。


「わたしは……ちがう」

「ぬ……あいや、すまんかった。ワシはべつに……」


 癒しの民。

 それはアルカディアにとって、異世界勇者に次ぐ希望の光。


 ダンベンジリには、リディアがそれを誇りこそすれ、隠す理由がまったく思い浮かばない。それどころか、まるでその名を嫌うような態度に戸惑う。


「わたしは……」


 そうしてリディアは、自らをあざけるように美しい表情を歪めた。



「わたしは、おちこぼれ、だから」



 空では激しい戦闘が繰り広げられている。



 揺れるような街の咆哮ほうこうのなかにあっても、ダンベンジリには、リディアの自嘲じちょうだけがやけに大きく響いた。

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