08-12-A Flower of Hope

 くらっとした。


「んあー……? はねたろうってだれだよ。お前らの知り合い?」


 藤間くんの言葉は、頭を鈍器で殴られたような目眩と、体育で長時間走ったあとの脚の震え、そして深い哀しみを私に……私たちにもたらした。


 綾音ちゃんと顔を見合わせる。そこには驚愕と唖然があって、きっと私も同じ顔をしているんだと教えてくれている。


 ガシャンとなにかが落ちる音がして、木箱からのアイテムを取り落とした香菜ちゃんとしーちゃんがほうけた顔を藤間くんに向けていた。


「ちょ……ちょ、あんたなに言ってんの?」


 亜沙美ちゃんがぷりたろうから慌てて離れ、駆け寄ってくる。


「んあ……? なんだよお前ら……」


 しーちゃんも香菜ちゃんも祁答院くんも集まって、藤間くんは胡乱うろんげな視線を彷徨わせた。


「これはいったい……なんの冗談なのかしら」


 綾音ちゃんのぽつりとした言葉とむりやりの笑顔は、これが藤間くんの冗談でないことを感じていて、冗談であればいいのに、という淡い期待を秘めているように響いた。


「藤間くん、な、なに言ってるんですか? はねたろうですよぅ。こうもりの。ほ、ほら、今朝からずっと藤間くんの肩に乗っていたじゃないですかぁ」

「……アンタ、ずっと可愛がっていたじゃない」


 しーちゃんの哀願するような顔も、三好さんのちらちらと窺うような視線にも、藤間くんは反応しない。


「肩に? コウモリを? 可愛がる? ……お前らのなかで俺はいったい何使いなんだよ……」

「なに言ってんだって! はねたろうのこと! あんたの召喚モンスターの!」

「はあぁ……?」


 きっともう、この場にいる誰もがわかっている。


 これが、藤間くんの演技ではないことを。

 これが、藤間くんの冗談ではないことを。


「コボたろうー、ぷりたろうー。ふたりは知ってるよねー?」


 慌てたような香菜ちゃんの質問に、コボたろうが首肯で、ぷりたろうが一度だけ跳んで応える。

 しかしコボたろうの表情と、ぷりたろうの寂しげなたたずまいが「知っている。……でも」と、私たちを前向きに考えさせてくれない。


「国見さんはなにかご存じですか?」


 祁答院くんが国見さんを振り返る。いくつもの視線がそちらを向いて、国見さんは寂しげに視線を床へ落とした。


「う、うん。コボルトたちと闘っているとき、前の扉から10体ほどのコウモリが防衛ラインを目指して飛び込んできたんだ」


 前の扉ということは、私たちのいた、西側。


「はねたろうは翼に矢が刺さったまま、それを阻止しようと突っ込んで……爆発して…………」

「ば、爆発……?」


 爆発とは、どういうことなのだろうか。

 私たちは、召喚モンスターが戦闘不能になる瞬間を見たことがない。

 だからいままで、戦闘不能の際は私たちやモンスターと同じように緑の光に包まれる……そういうものだと思っていたし、藤間くんだって、召喚モンスターも120分後に復活すると言っていた。


 だから、私たちの哀しみは本来、120分後に復活するはねたろうが受けた、その痛みに対してのものだった。


 しかし。


 爆発という単語、そしてシュウマツのルール、



─────

・シュウマツの渦の最中に戦闘不能になった者は、翌朝現実で目覚める。

─────



 現実には存在しないはねたろうは、どうなるのか。



─────

・シュウマツで現れたモンスターにより殺害されたエシュメルデの民は、その生命を永久に失う。

─────



 はねたろうは、藤間くんの召喚モンスターだ。

 しかし、エシュメルデの民という記述が、異世界勇者ではない者という括りであるとすれば………………。



 はねたろうは、



 その生命を、



 永久に────



「いやちょっと待てし! 爆発ってなに!? はねたろうはどうなったわけ!?」

「ば、爆発って……なんでそんなこと知ってるんだよ」



 …………私は、知っている。


 最近、藤間くんがかたくなに、自分のステータスを私たちに見せようとしなかったことを。



 …………私には、心当たりがある。


 藤間くんがどうして、はねたろうのことを忘れているのかを。



 …………私は、知っている。


 藤間くんが半年前、哀しみのあまり、自己防衛本能による記憶障害を罹患りかんしたことを。



「藤……間、くん」



 …………私は、知っている。



 そのとき藤間くんは、愛しいものの生命を、永久にうしなったことを。



「ぅ……」


 泣くな。

 泣くな、灯里伶奈。


 はねたろうのことを思うと。

 あの愛らしい姿を、声を、思うと。

 そして、藤間くんの心中を想うと。



「ぐ…………ぅ……っ……!」


「お、おい、灯里……?」

「は? 伶奈、どーしたん?」


 藤間くんと海野くんが、呻きながら唇を噛む私に近づいてくる。


「だ、大丈夫だから……!」


 自分以外のなにかのために悪になれる藤間くんを、私はすごいと思った。


 かっこいいと。

 眩しいと。

 尊いと。


 でも、大切な存在を忘れるという罪深い行為。もしもだれかがそれを悪と呼ぶのなら。



 こんな、哀しいことって、ない。



「灯里お前、なんで、泣いて……」

「泣いてないっ……!」


「藤間テメェ、伶奈になんかしたんじゃねーだろうな」


 突っかかる海野くんに戸惑う藤間くん。


「なにもしてないっ!」


 それを私の悲鳴がつんざいた。


 藤間くんは、泣いていない。

 いちばん辛い藤間くんが泣いていないのなら、私が泣くのはお門違いだ。


 ──だから、


「悲しいくらいなにもされてない!」


 僅かに瞳を濡らす哀しみの理由をかき消すように、そして無理やりすり替えるように吼えた。


 唖然とする藤間くんと海野くん。私は藤間くんの手を引いて、


「いままで黙っていたけど、こんどこそ見せてもらうから。第五ウェーブが始まる前に、藤間くんのステータスを見せて」


 無理やりステータスモノリスの前に連れていく。


「え、あ、お、おい、なんだよ急に」


 そうして藤間くんの手のひらをモノリスにかざそうとすると、藤間くんは私が掴んでいる腕に力を入れて抵抗をはじめる。


 本気で抵抗すれば、男女の力量差で、私が勝つことはまず有り得ない。

 でも優しい藤間くんは、私に腕力を振るわない。

 だから、その手はぎりぎりのところで拮抗し、


「早くしろっつの」


 亜沙美ちゃん、香菜ちゃん、綾音ちゃん、そして三好さんが藤間くんを身体ごと押しだして、ついにモノリスにステータスが表示された。



 HPやMPといった表示の下にある、スキル群。

 パッシブスキル──自動発動スキルのなかに、それはあった。



召喚爆破サーモニック・エクスプロード】。



 藤間くんが、最後まで私たちにステータス画面を見せることを渋った理由はこれだった。


「あんた、なんでこーゆーこと先に言わないわけ?」


 亜沙美ちゃんは怒りを隠そうともしない。


「言えるわけ、ねえだろ。お前らにも、コボたろうたちにも」


 たぶん、亜沙美ちゃんも理解している。

 藤間くんがそんなこと、打ち明けるはずがないって。


「それでもっ……! 知ってたら、なんとかできたかもしれないじゃん……! こ、こんなの……! あんたにひとりで戻れっていったあたしが……!」


「なんとかするっつの。……絶対にこのスキルは発動させない」

「藤間っ……!」


 それでもなにかを言わずにはいられない亜沙美ちゃんと、すでに起こったことをなかったことにして自分の心を守ろうとする藤間くんの、理解しあえることのないやりとり。永遠の水掛論。


 藤間くんのステータスウィンドウには召喚モンスターのリストがあって、コボたろう、コボじろう、コボさぶろう、ぷりたろうの名前が書いてあるのに、はねたろうの名前が見つからない。


「コボたろう、あんたらはこのこと知ってたわけ?」


 矛先が向けられたコボたろうはまっすぐと亜沙美ちゃんの目を見返して、やがてふっと顔を逸らす。

 ……それは誰の目から見ても、肯定にほかならなかった。


「大丈夫だコボたろう、ぷりたろう。そんなこと、させねえから」


「もうそんなことになってんだって! なんであんたは忘れてんの!? 朝からあんなに可愛がってたじゃん! あたし、あんたのこと陰キャとか暗いやつだとか思ったことはあるけど、そんな冷たいやつだなんて思ったこと──」


 言い終わる前に、私は亜沙美ちゃんの身体をそっと抱きしめた。

 華奢な身体がぴくりと跳ねて、亜沙美ちゃんは私の肩に顔をうずめて嗚咽を漏らす。


「なんなわけ……? こ、こんなの、信じらんないって! はねたろうが……なんでこいつ、平気な顔をしてるわけ……? ぅ……うう~~……!」


 亜沙美ちゃんは、すごく優しい。

 自分のためじゃなくて、誰かのために泣ける亜沙美ちゃんは、とても優しい。


 だけど、いまは、それが辛かった。


「…………」


 ──私まで、泣いてしまいそうだったから。


 なにも言わずに、さらさらな金の髪と、細い背中を撫でる。





「ふんふんふーん♪」


 そんなとき、穏やかな鼻歌が聴こえてきた。


「しーちゃん……」


 それは、教卓の代わりのように置かれた作業台で調合をするしーちゃんだった。


「しー子、あんたこんなときに……!」

「ふんふんふーん♪」


 作業台の上にはすでにいくつかのポーションが載っていて、いままでしーちゃんの声が聞こえなかったのは、亜沙美ちゃんがずっと喋っていたからだったのだと知る。


「できましたっ」


 どうやら作業は終わったようだ。鼻歌はやみ、しーちゃんは藤間くんにとててと駆け寄ると、


「藤間くんはいまポーションいくつですかっ」

「ん、あれ、俺と国見さんで一個ずつ使っただけだと思ったんだけど、みっつ全部使っちまったみたいだわ」


「じゃあみっつ渡しておきますねっ。コボたろうもふたつ持っておいてくださいっ」

「がうっ!」


「みなさん、ポーション要りませんかっ。あと五つあるですよーっ」


 しーちゃんは不自然なくらい元気な声でふんすと胸を張り、ポーションを配ってゆく。


「け、祁答院、くんもいかがですかっ。う、うんの、くんも」


 祁答院くんも海野くんも面食らった様子で顔を見合わせ、


「うん、ありがとう。助かるよ、足柄山さん」

「お、俺も? じゃあ……あ、さ、サンキュ地味子」

「はいですっ」


 祁答院くんが笑顔を見せて、海野くんがためらいがちに赤い液体の入ったビンを受け取ると、しーちゃんは眩しく笑ってみせた。



「しー子、あんた……」

「泣くのは全部が終わったときにするですっ。藤間くんはそのつもりですっ」


 亜沙美ちゃんのいぶかるような声を、しーちゃんはふたたびふんすと胸を張って返した。

 そして大きな瞳に一度だけ哀しみを宿して、


「考えちゃうと、どこまでも落ちちゃいますし。そもそもわたしがシュウマツに選ばれなければとか、こんなに苦しい思いをするくらいなら、とか」


 もういちど胸の前で両こぶしを握りしめる。


「でもでもきっと、はねたろうは自分の意志で選んだことだと思うんです。わたしにはすこし、わかる気がします」


 そして、藤間くんをちらと見やり、


「はねたろうも、ご主人さまに似ちゃったんですよぅ。自分がこれから死ぬってときに、目の前にいる女子の涙を拭うようなご主人さまに」


 すこし照れるように笑った。藤間くんはなんのことだと首をかしげているし、私たちにもなんのことかはわからない。


「でも、はねたろうはもう……」

「『もう』? 『もう』ってなんですか? はねたろうとは『また』の聞き間違いですよね?」


 私の腕から抜け出た亜沙美ちゃんは「ぇ……?」とすっかり泣き腫らした目をしーちゃんに泳がせる。

 私も綾音ちゃんも、香菜ちゃんも祁答院くんも、はっとしてしーちゃんへと視線を合わせた。


「何回やられちゃっても……。槍で刺されても、矢がたくさん刺さっても、口では痛いのいやだとか言っておきながら、ぜんっぜん懲りずにみんなをかばって死んじゃうような人の召喚モンスターですよぅ?」


 藤間くんはきっと、はねたろうがいなくなったことに心を痛め、記憶からはねたろうを消した。

 私たちは藤間くんの様子とステータス画面、そして【召喚爆破サーモニック・エクスプロード】という単語から、はねたろうとはもう会えないと思っていた。



「だから、はねたろうもぜーんぜん懲りてません。ぜーったい、いなくなったりしませんっ」


 それはまるで、湯葉ゆばのように薄い根拠。

 蜘蛛糸のようにか細く、風が吹けば飛ぶ塵芥ちりあくたのように小さな理由。


 それでも、この絶望の坩堝るつぼにたった一輪、咲いた気がした。


 はねたろうにはもう会えないと慟哭する教室に、はねたろうにはまた会えるという、希望が。



「えへへぇ……」


 みんなの表情が変わったことを確認すると、しーちゃんは嬉しそうにはにかんでみせる。



 失礼ながら、驚いているのは、果たして私だけなのだろうか。



 こんなに。



 しーちゃんは、こんなにも大きかったのか。



 そして、驚きの感情──そのなかに、空気を変えてくれたことに対してありがたいと思いつつ、悔しさが含まれているのは。



「……来た。第五ウェーブだ」


 藤間くんの声で、みながモニターに顔を向ける。


 ──言葉に意味なんてないのではなかったのか。


 なのに、しーちゃんの言葉は、


「……っし、あたし復活! あんたら、絶対に勝つよ!」

「うん、みんな頑張ろうねー!」

「編成はどうする? さっきのような奇襲に備えて、教室にも戦力を残しておくかい?」

「んなこといってもよー。敵が多すぎて、全員でいかねーと勝てねーべ」

「国見さん、悪いけどまた教室は任せるっす」

「うん、なにかあったらすぐ知らせるからね!」


 紫色の教室に、希望の花を咲かせたではないか。


「行きましょう。……? 灯里さん?」


 残念ながら、いまの私では、まだしーちゃんに勝てないのかもしれない。



 ──それが、なんだ。



 私は相手が誰であろうと──



「絶対に負けないっ……!」



 この手が、この想いが、あなたに届くまで。

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