08-10-The Floating Eden That Commands a Bird's Eye View of the Vortex

 紫の空。

 地上からは肉眼で見ることなど到底叶わないような遥か天空に、島が浮いている。

 浮遊島から見える景色はやはり紫。しかし島の縁から地上を俯瞰ふかんしようとすれば、目に映るのは紫でも大地でもなく、巨大なモニターだった。


『はねたろう、はねたろうっ……!』


 エシュメルデのはるか上空に浮かぶこの島の下には、モンスターによる防衛ラインの突破をギリギリのところで阻止し、しかし召喚モンスターの喪失そうしつ慟哭どうこくするひとりの少年が映し出されていた。


「……いまの技はなんだ?【屍体爆発コープス・エクスプロード】か?」


 独り言のように呟くのは、2メートルほどの長身、屈強な肉体、黒ずくめの服装、そして身長ほどの長い漆黒の髪を持つ偉丈夫いじょうふ

 外見から予想できる年齢は幅広く、いっさいのしわや髭がない凛々しい顔つきは二十歳前にも見えるし、厳つくも精悍な表情、そして肉体は歴戦を潜り抜けた四十路よそじの戦士にも見え、目つきの悪い、しかし哀しさをたたえた瞳は世を憂いて隠居した老者ろうしゃのそれである。


「……ふん。エンデともあろうものが耄碌もうろくしたものよの。わらわにははっきりと見えたわ。あれは【召喚爆破サーモニック・エクスプロード】じゃ」


 豪奢な椅子から赤いワインを片手に、偉丈夫──エンデの独り言を拾い上げた女性は少し上機嫌そうに続ける。


たのしませてくれるではないか、ニンゲンめ」


 底意地の悪い奇襲。

 第三ウェーブの、参加者を閉じ込めるような渦の移動も。

 第四ウェーブの、参加者やエシュメルデに絶望を与えるような渦の出現も。


 それをことごとく阻止され、きらびやかな椅子の背もたれで、血のように真っ赤なウェーブがかったロングヘアと、紅蓮に煌めく瞳が楽しそうにくつくつと揺れた。


「ディアドラ。話は変わるが──」


 エンデは彼女の横で屹立きつりつしたまま、彼女の姿にちらと目をやり、すぐに逸らした。そうしておいて、言葉だけは彼女に届ける。


「その格好、なんとかならんのか。……その……ぐむ、なんだ、目のやりどころに困る」


 胸元が大きく開いた意外なほどシンプルな黒のドレスからは男を魅了して止まぬ深い谷。たけも短く、程よく肉づいた長い脚を組みかえるたび、その深淵から妖艶ようえん色香いろかが漂ってくるようだ。


 しかしディアドラは美しすぎる顔に唖然を宿し、やがて子供のように無邪気に笑ってみせる。


「……ぷっ……ククク。女など抱き飽きておろうに。わらわにまで情欲をもよおすか。血は争えんの」


 そしてまるで己の見せた無垢むくをなかったことにするかのように、ディアドラは口のを妖しく緩ませた。


 「わらわにまで」という言葉の意味を、エンデは当然のように知っている。

 それは、ディアドラの頭にある紫の二本角にほかならない。

 しかしエンデは角をほんの一瞥いちべつするにとどめ、ほかは自分と同じ人間の姿をする美しさに目を一度走らせた。


「人間の姿をしているんだから、仕方がないだろう。あと情欲とか言うな。ただ恥ずかしいだけだ」

「ククッ……恥ずかしい、か。わらわには無縁の情動じょうどうよの」

「ディアドラにもあるぞ。気づいていないだけでな」


 エンデの言い方にディアドラは調子を狂わされ、自分の意思とは無関係に顔を背けた。

 モンスターの主──魔王と呼ばれるディアドラに、こんなことを口にできるのはエンデくらいであろう。


「それで、追放者はまだか。エシュメルデの立会人はそなたぞ」

「まだもなにも、このなかで追放する必要のある人間なんていないだろう」


「立会人とは、平等でなければならぬ。そなたはいささか人間に寄りすぎるわ」

「ディアドラがモンスター側だからそう感じるだけだ」


「そなたが人間であるからだ。立会人が我が配下ならばすでに全員バラバラじゃ」

「それだと立会人の意味がないだろ……」


 そうしてふたりは眼下のモニターに視線を落としてゆく。


「藤間というわらべ、立ち上がりよったか。負の感情に呑まれるままならよかったものを」

「ふむ。涙をこらえたか。……しかし、召喚モンスターにあれほどの執着をみせる人間を久しぶりに見た」

「……ふん。ニンゲンにとって、わらわ共は災厄さいやく。なればこそ、わらわもニンゲンを蟲螻むしけらさげすむのではないか」


 ディアドラの言葉を聞いて、エンデは厳つくも端正な表情に淋しさを刻んだ。

 しかしこれは百年以上にわたり水掛論みずかけろんとなってきた『鶏が先か、卵が先か』という話なのである。

 こんなところで言い合いをして決着する話ではない。エンデはため息をひとつつき、拳を振るう少年の映る眼下へと視線を落とした。


「果敢なのはいいが、空手という型にとらわれすぎている。いま正拳突きを放ったが、相手の首に指を差し込めばトドメだったぞ」

「相変わらずそなたは戦闘狂よの。ニンゲンは脆弱ぜいじゃくないきものよ。そなたのような者はまれじゃ。……ほれほれ、早く童を殺してしまわぬか。よし、噛み付くのじゃ! ぬあ、下がってどうする! 槍で殺そうとするからこうなるのじゃ!」


 ふたりはしばらくモニターに映る教室や、北西、あるいは北東の激戦を、口を挟みながら睥睨へいげいし、人間がたったひとりの犠牲も出ぬままモンスターの数が少なくなってくると、ディアドラはつまらなそうに座り直した。


「ディアドラ。今回は【臆病】を出すのか?」

「無論よ。雑魚ばかりではきゃつらもつまらなかろ。【天泣てんきゅう】まで考えておる」


「お前……シュウマツの趣旨を取り違えていないか? 全滅させる気だろう」

「シュウマツの本意を知るものなど我らのほかにおらぬわ。それにコストオーバーはしておらぬ。これはそなたが決めたルールぞ」


「いま魔力を食い尽くしていいのか? せっかく七年も待ったんだろう」

「ここで折っておかねばならぬニンゲンがふたりおる」


 ディアドラの、ルビーのような瞳が妖しく光る。


「まずはこの生意気そうな目をした童……。そういえば、どことなくそなたに似ておるの」

「俺なら拳の風圧だけでこの渦ごと吹き飛ばすぞ」

「阿呆めが。なんでも拳で語るはそなたの悪い癖ぞ。この目──そなたに似ているとは思わぬか」


 ディアドラは眼下と隣に立つ偉丈夫を比べるように見て、意地悪そうに笑って見せた。


「……目つきが悪い人間は全部俺に似ていると言うつもりじゃないだろうな」


 そんな様子にエンデはつまらなそうに口を尖らせた。

 ディアドラはそれをも楽しげに見やった後、腕を伸ばし、


「そして、こやつじゃ。……こやつは、きゃつと同じ目をしておる」


 しなやかな指が、モニターに映る一人の少年を指す。


「ああ、俺も気になっていた。このなかじゃ間違いなく一番強いな。ダントツだ」


 茶色の髪に、整った顔。

 エンデが気になったのは、外見でなく、闘いかただ。


 盾で防ぎ、剣で斬る。そんなスタンダードを踏襲とうしゅうしつつ、


『はああああああっ!』


 繰り出される槍を回転してひらりとかわし、剣を握ったままの手で裏拳をコボルトの側頭部にぶつける。

 よろめいたコボルトに左手の盾を押しつけてそのまま前進、コボルトはたたらを踏んだまま押し込まれ、やがて背後の木に背がぶつかり、短い悲鳴をあげるころ、首には少年の剣が突き刺さっていた。


「槍をかわした時点で剣を振るえば避けられていた。このあたりの選択がじつにいい。アルカディアに来てまだ二週間くらいだろうに、相当戦闘をこなしているぞ」


 楽しそうに祁答院を眺めるエンデにディアドラはつまらなそうな顔をして、


「阿呆めが。わらわはかようなこと問題にしておらぬわ。このニンゲン、きゃつに似て──」


 そこまでで口をつぐんだ。


 高い鼻をすんすんと鳴らして「におうな」と椅子から立ち上がり、背後に身体を向ける。

 紅蓮のロングウェーブが、一瞬遅れて二本角の下でたなびいた。


 振り返ったディアドラの視界には、赤と黒に統一された宮殿がそびえている。紫の空に彩られ、魔王の住処は寧悪ねいあくそのものだ。

 ディアドラの宮殿からふたりの足下には石畳が敷かれていて、見慣れたはずの光景に、大きな魔法陣が現れた。


「来たか」


 エンデのつぶやきに、ディアドラが舌打ちを返す。


 そうして魔法陣から現れたのは、純白のドレスを身にまとった、長いブロンドを持つ女性だった。


 外見だけでいえば、ディアドラと同じく二十歳前後であろうか。ただディアドラが悪魔で魔王ならば、この女性は天使で女神だった。

 ディアドラが深淵に咲く黒薔薇ならば、いま現れた女性は高原にひっそりと咲くエーデルワイスであった。


 エメラルドの瞳は優しさに満ちていて、柔和な表情。口許は穏やかに微笑んでいる。


「エンデさまっ!」


 女性はこの場所に降り立つなり、両手を広げてエンデの身体へと飛びついていった。


「お、おい、リーン……ぐむ……」

「ふふっ……エンデさま、おひさしゅう」


 両腕でエンデの右腕を抱き、顔を隆々とした肩に擦りつけてゆく。

 リーンの胸元もディアドラと同じように大きく開かれており、思惑の有無は不明だが、ディアドラにも負けぬ双丘そうきゅうをエンデの腕に押しつけている。


「貴様……ここはわらわの庭ぞ」


 それを見たディアドラは低い声とともに、自らに漆黒のもやを纏わせる。


「あら、ディアドラさま。ごきげんよう」


 対してリーンはエンデの腕に絡みついたまま、涼しげな顔をディアドラに向け、エンデに対するものとは明らかに違う笑みを見せた。



「今宵こそ亡きものにしてくれる。──深淵の九頭蛇ハイドリオン・アビス

「うふふ……貴女にできますかしら? ──聖なる断罪エクスキュリオ



 ディアドラの背後からは大きな無数の漆黒蛇が。

 リーンの掲げた手──その天上からはさらに巨大な一振の剣がディアドラに剣先を向けている。



 そんななか、エンデはまた始まったか、とため息をついて、大勢の決まった眼下のモニターへと視線を落としていった。

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