08-05-When a Wonderer Becomes a Hero
空がシュウマツの渦内を映すモニターに変わったエシュメルデは、渦巻く熱気と逆巻く咆哮により、大地が揺れんばかりだった。
エシュメルデの至るところで拳が突き上げられ、空で闘う勇者たちに声援が送られている。広場や道路はもちろん、多くの家の窓が開いている。私財を守ろうと自宅に残った住民が、窓の中から勇者を応援しているのだ。
エリーゼとココナはとまり木の翡翠亭の前で、切れ長の眼と愛くるしい瞳を空に向けていた。
モニターのひとつでは、藤間透が呪いをかけたジェリーを、灯里伶奈や七々扇綾音、そして三好伊織の魔法が次々と緑の光に変えてゆく。
もう片方のモニターには、鈴原香菜がたった一射で三体のフォレストバットを撃ち落とし、祁答院悠真が目にも止まらぬ速さでコボルトを斬り伏せてゆく姿が映っている。
「おにーちゃんたち……あんなに強かったのかにゃ……」
弱々しく、それでいて驚いたような呟きを、
「でも、あの子たちは、強かったんじゃなくて、強くなったんだよ」
愛娘の頭を優しく撫でる。
「ついこないだまで黒パンを食べられるか食べられないかしていたのにさ」
「おにーちゃんはそんなに貧乏だったのかにゃ?」
エリーゼは思い出す。
ある朝、看板を出す前に、ボロ切れと悪臭を纏った藤間透が宿を訪れた日を。
──
宿の扉を開けた客は、まるで生ける屍だった。
たぶん、随分と若い。
たぶんというのは、汚れとやつれと覇気のない瞳が、目の前の男から若さを奪っているのか、それとも本当に歳相応──二十歳くらいなのかを朧にしているからだ。
『……ここ……いくらっすか……』
声も予想に違わず掠れている。
『あんちゃん、エシュメルデの人? ほかの街から来たのかい? それとも異世界勇者?』
質問に答える前に、アタシはそう返した。
いまは新春の月。新しい異世界勇者が現れる月だ。
アタシは、異世界勇者ってヤツがきらいだ。
死んでもソウルケージ不要で復活できるし、シュウマツで死んでも終わりじゃないし、ユニークスキルだかなんだか知らないけどアタシたちよりも強く、それをいいことに威張り散らす。
だというのに、七年前。
異世界勇者は、いっときの痛みに怯え、アタシたちを見殺しにした。
七年前だけじゃない。
その前も。その前の前も。
ありとあらゆるシュウマツで、異世界勇者ってやつは、いっときの苦痛とアタシたちの生命を天秤にかけ、いつだって己を優先した。
だから、あのとき、アンタは──
異世界勇者には目印なんてついていないし、黒髪や茶髪、金髪が多い人間だという情報しかない。アタシは質問に答える前に、鼻を
『異世界……ですけど、勇者じゃ、ない、っす』
『勇者じゃない? 異世界からきたのに? どういうことさ』
返答は、予想だにしないもの。
浮浪者のような少年は疲弊した瞳でこう言った。
『勇者ってのは、なにかを成し遂げた人間がそう呼ばれるものであって……俺は、まだ、なにも、成し遂げていないから』
目の前にいるふらふらの少年には、たしかに勇者らしさなんて微塵もなかった。
しかし、少年の瞳と口元に宿る諦観と、それに相反する諦めてたまるかという反骨……そして、アタシが抱く異世界勇者のイメージをひっくり返すような言葉。
異世界勇者はきらいだが、この薄汚れた少年は、忘れさせてくれるのではないか。
過去のシュウマツを。
ココナとアタシを未だに苦しめる、七年前の悲劇を。
まさにいま店の前に掲げようとしていた、ひとり部屋一泊40カッパーという看板を自らの背に隠して、
『20カッパー。先に言っとくけど、アタシは金にがめついから、1カッパーたりとてまけないよ』
──
「急に値下げしたのは、ずっとお客さんがこにゃいからだと思ってたにゃ……」
「ま、それもあるけどね。でも食事代を30カッパーから50カッパーに値上げしたから、損はしてないよ」
「さすがココにゃんのママにゃ!」
「だろ?」
エリーゼがもう一度娘の頭を撫でると、ココナはくすぐったそうに目を細める。エリーゼはそんな愛娘を見て口の端をふっと緩めた後、空を見上げた。
『いくぞっ!』
『ふっ……!』
『おらああああっ!』
『行くぞコボたろう、はねたろう!』
まだなにも成し遂げていないから勇者ではない──そう自らを評した藤間透が、召喚モンスターを従えて、自らも拳ひとつでコボルトへと向かってゆく。
「まったく、駆け足で強くなったもんだよ。すっかり男の
すでに第二ウェーブの初戦を終え、舞台は中央の部屋へ。一画面に藤間透も祁答院悠真も映し出され、同じモンスターのグループと戦闘している。
異世界勇者たちがあっさりとモンスターを片づけると、街じゅうで歓声があがった。
「やったにゃ! やったにゃ……!」
よくやった、と気持ちが溢れたのだろうか。
それとも、街の熱気にあてられたのだろうか。
「頼むよッ! 異世界勇者たちッ!」
ココナもエリーゼも、いつしか揃って拳を天上に突き上げていた。
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