07-27-白の倒錯

「ふぇぇ……ユーマしゃまぁ……」

「大丈夫だよ、ミーナ」


 指示のあったエシュメルデ中央広場に向かおうとする俺の背中を、ミーナが抱きしめて止めた。

 俺は振り返り、屈み込んでミーナに目線をあわせる。


「ここにいればきっと安全だから」

「うにゅ……でも、怖いでしゅ……。ユーマしゃまが死んでしまうのではないかって……」

「大丈夫だよ。俺たちは死んだって、何回でも蘇る」

「うそでしゅ……ミーナは知ってましゅ。死ぬ恐怖が強すぎて、勇者をやめてしまう人も多いって」


 ミーナと出会ったのは昨日。

 俺は彼女がどんな人生を歩んできたのか、まだ知らない。

 彼女がなぜそんなことを知っているのか。


 しかしそれは、間違いない事実だ。


 アルカディアで死んでも、二時間後に復活する。

 じゃあ死にたい放題かと問われると、それももちろん違う。


 死ぬほどの痛みを受け続けて、正常でいられる人間なんていない。

 手術において、医者から「非常に痛いけど、死ぬわけじゃないから麻酔はしないでおく」と言われて冷静でいられるわけがない。

 五体満足で蘇っても、胸を貫かれる、押しつぶされる、身体を裂かれる痛みはしっかりと脳が覚えている。

 あの痛みを受けてなお、ふたたび立ち向かう人間なんてまれ。


 だからじつは、アルカディアは脱落者が多い。恐怖のあまり、ギアのスイッチをオフにし、国へ返却してしまう人間が多いのだ。 


 

「ははっ……。困ったな……」


 どうしてミーナがそんなことを知っているのか。苦笑しながら頭を撫でてやると、躊躇なく抱きついてくる。


「ミーナ、そのへんで。ユーマさまが困っていらっしゃいますよ」

「ははは、さっきまで泣いていたのは誰だったかな」

「ぅ……ユーマさまは、ときどきいじわるです……」


 立ったまま困った顔を赤くしているのは、ミーナの姉のオルハ。ミーナと同じく、猫のように耳が尖っている。

 十歳のミーナとはやや歳が離れた姉であり、今年で十七になるらしい。ミーナと違い、発達した胸部がコモンシャツに豊かな丸みをつくっていて、多少、目のやりどころに困る。


「オルハ。ミーナを頼んだよ」

「はい。……ユーマさま、お気をつけて」


 無理矢理つくったのだろう、オルハの笑顔が弱々しい。


「ははっ……。ミーナ、オルハを頼んだよ」

「ぐしゅ……。はいでしゅ……」

「ゆ、ユーマさまはやっぱりいじわるですっ」


 俺はもう一度苦笑し、抱きしめて離そうとしないミーナを左手で抱え上げて立ち上がり、空いた右手でオルハの頭を撫でる。


「ぁ……ユーマさま……」


「じゃあ行くよ。万が一、ここにモンスターが現れたらすぐ逃げるように。ふたりとも死なないこと。これは命令だよ、いいね」


「はいでしゅ……」

「かしこまりました」


 俺たち三人にとって、命令とは特別なものだ。



 ──なぜなら、このふたりは俺の奴隷だから。


 なぜ俺が奴隷を購入したのか。


 俺が仮面を脱ぎ捨てたからなのか。

 奴隷ならば、この世界では所有物と捉えられ、開錠のためにパーティを組んでも経験値を分配しなくてもいいからか。


 いや──


『俺はどんな悪にでもなる。守るって、そういうことだろ』


 やはりきみを、見返したかったのかもしれない。


 目の前の悪から誰かを救うためには、悪になるしかなかった。


 きらびやかな格好をした奴隷商人から。

 身体目当てで姉妹を購入しようとする貴族から。


 悩んだ。

 迷った。

 懊悩した。


 そうして競りに勝利し、怯えた目を俺に向けてくるふたりを買い上げたとき、俺は金とともになにかを失った。


 得たものは、このふたりと、罪悪感。



 ──まだだ。



 ──まだ、きみには辿りつけない。



 俺には、罪悪感という弱さがある。

 きみには、藤間透が悪で何が悪い、と開き直ることのできる強さがある。



 俺は、きみに辿りついてみせる。


 のような悪を背負ってでも、きみに辿りつく。



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