07-23-藤間透が立ち上がって何が悪い

 昼食のスティックパン(ミルクティー)をはむはむし、午後の授業に突入する。金曜の午後の二コマは、すべてLHRロングホームルームに充てられている。


 おおとり学園高校は他校と比較し、LHRの授業が圧倒的に多い。週に三日はLHRがあり、金曜なんてこうして二時間も使っている。


 そこには決して他校よりも道徳を重んじ、社交性を育もうという学校の意図などは含まれておらず、鳳学園高校はアルカディアと現実のリンク、そのいしずえを築いた高校であることから、LHRの時間でアルカディアについての話し合いをすることがあるかららしい。

 ちなみに昨日はアルカディアと現実の関係についての作文を書かされた。俺の作文をチョイスし読み上げた担任の西郷を、俺は許さない。



「さて諸君。大変なことになったな。シュウマツの渦が現れるのはじつに七年ぶりだ」


 LHRが始まり、西郷が教壇で俺たちの顔を見回しながらそう口にすると、教室にはざわめきが生まれた。

 シュウマツのことを知っているということは、西郷もアルカディアで生活をしている、あるいはしていたということになる。そして、シュウマツのことを知っているということになる。


 しかし西郷は首を横に振り、


「諸君には申しわけないが、私の口からシュウマツとはなんなのか……? という仕組みを説明することはできない。しかしシュウマツの渦がどのような流れで行われるかを説明することはできる」


「先生。シュウマツの仕組みを説明できないのはなぜですか」


 挙手し、立ち上がらぬまま声をあげたのは祁答院だった。西郷はうむ、と小さく頷いて、


「なにが真実なのか、私にもわからないからだ。アルカディアに関して、現実ではデマがはびこっている。諸君のなかにはアルカディアの攻略情報やwikiを参照したものもいるだろう。しかしそのどれもが信用できない。それがなぜかわかるかね。……そうだな、仁尾にお、答えたまえ」


 ……たしかに、俺はよくアルカディアのwikiで情報を得ていたこともあった。しかし実際アルカディアで生活してみると、wikiの情報は的外れだったため、見ることをやめたのだ。


「えっと……」


 俺の左に座る仁尾という女子は、自分に振られることなど予期していなかったのだろう。わかりやすく狼狽うろたえて、絞り出すように、


「適当に、情報を、書いている、とか」


「うむ。それもあるだろうな」


 西郷は小さく頷いて仁尾を座らせ、教室内に視線を巡らせてから灯里を指名した。


「はい。一部の人々が、他者の力をぐため、あるいは力をつけることを阻害するため、わざと嘘の情報を流しているのではないでしょうか」


 外見も成績も優等生の灯里から物騒な意見が飛び出し、教室はどよめいた。



「ふむ。興味深いな。次は……藤間」


 げえっ……俺かよ…!

 最近当てられることが多い不運を嘆きながら、やむを得ず立ち上がる。


「あ、その。イメージスフィアってあるじゃないすか。その、家のテレビで見たり、シアターで見て、要するに安全な場所から危険な戦闘を見て、楽しんでるってよく聞くんすけど」


「ふむ、その通りだな。続けたまえ」


「いや、デマ情報を流して、わざと俺たちを危険な状態にすることで、そんな姿を画面越しに見て喜ぶやつの仕業なんじゃないかなって……」


 暗い。我ながら、あまりにも暗すぎる意見。

 西郷は大変興味深いと大きな身体を揺らしたが、ぶっちゃけ生徒たちは陰キャすぎる俺の意見にドン引きだった。


「いま仁尾、灯里、そして藤間──三者三様の意見が出たが、どれが正しいかなんて誰にもわからないし、全員違っている可能性も、全員が正解の可能性もある」


 西郷はもう一度俺たちを見回して、最初の問いかけ──その主である祁答院に顔を向け、


「このように、私にもなにが真実なのかわからない。同じように、シュウマツの仕組みも諸説──それこそ無数に存在する。そのなかのどれが正しいのかもわからないまま、諸君に説明することはできない。万が一、私が話した情報が間違いならば、そのせいで諸君が辛い思いをする可能性だってあるからだ」


 つまり、こういうことだ。

 良く言えば、信じる情報は自分で選べ。

 悪く言えば、自分で見た情報以外は信用するな、と。



「話を戻そう。私は──学校側は諸君に、シュウマツの仕組みやアルカディアの仕組みを説明することはできない。しかし、過去に起こったことの説明をすることはできる。すなわち、過去に起こったシュウマツの流れを話そう。だがその前に──ふむ、そろそろ時間だな」


 西郷が振り返った時計の針は、そろそろ十四時を指す頃だった。


「選ばれた異世界勇者は、シュウマツの渦内に突入し、命を賭してモンスターの大群から防衛ラインを死守しなければならない。選ばれなかった異世界勇者は、防衛ラインを突破したモンスターを殲滅しなければならない。過去の経験上、渦内にいる勇者は全滅し、街中は大抵モンスターで溢れる」


 ……まあ、わかってた。


 全滅。

 それって、翌朝復活できるけど、死ぬ、ってことだよな。


 大量のモンスターに。


 何本もの槍で貫かれて。

 身体じゅうに矢が突き立ち、ハリネズミみたいにされて。

 よくわからない緑の物体に押しつぶされて。


 あの、悪趣味な渦のなかで。



 そんなの、誰だっていやだ。

 誰もが、せめて、街の防衛にまわりたいって思う。



「選ばれる異世界勇者には二種類いる。自主的にシュウマツの渦へ突入する剛の者。そして────」



 ブブブブブ──



 どこかで、つまらないバイブ音が鳴った。



「シュウマツに選ばれた者。十四時になったな。みな、ギアを確認したまえ。選ばれたものには連絡が入っているはずだ。拒否すれば、アルカディアから永久に追放される」



 なん、だよ。


 そんなの、誰だって、いやだろ。


 自主的に参加するやつなんていないだろ。


 選ばれたって、なんだよ。


 追放って、なんだよ。


 ギアに連絡って、なんだよ。



──────────

通知はありません

──────────



 自身のギアを確認し、思わず肺から大量の息を吐き出した。



 問題は。



 頼む。



 なぁ、頼むよ。







「はわわわわ……」




 なんで、なんだよ。


 なんで、よりによってお前なんだよ。


 アッシマーは両手に持ったギアを見つめ、青ざめていた。



「なんとかしてやりたいのは山々だが、こればかりは私たちにはどうにもならん。……いないとは思うが、自主的に渦へ突入する者はいるかね、まあ、これから過去のシュウマツについて話をするから、それが終わったときにでも──」


 そんなやつ、いねえよ。


 だれが好きこのんで死ぬんだよ。


 じゃあ、なんでだよ。



 なんで俺は、立ち上がっているんだよ。



「藤間、どうした」



 なんだよ、それ。


 どうしたって、なんだよ。



 藤間透が立ち上がって何が悪いんだよ。



 自分が可愛くて仕方ない俺が、立ち上がったのはなんでなんだよ。

 死ぬのが怖くてしょうがない俺が、立ち上がったのはなぜだ。


 そんなの、もう、とっくにわかってる。



「参加、します。渦に」



 ああ、そうだよ。可愛くてしょうがねえよ。



「お、おい。藤間。怖くないのか? 街にも仕事はある。無理しないで街の防衛を──」



 怖くないのかだって?



 怖いに決まってんだろ。



 ──でも、はるかに上回っちまったから。



 自分可愛さよりも。

 無惨に殺される恐怖よりも。

 あの紫の空よりも。



「もっと、怖いことが、あるから」



 自分可愛さで立ち上がったりしねえよ。

 耳目が集まるなか、立ち上がったりしねえよ。



『き、キモくない、です』



 あのとき、いくつもの冷たい視線が俺に突き刺さるなか、俺だけのために身体を震わせて立ち上がったお前の背中が、ずっとずっと離れねえよ。



「ふ、藤間くん、だめですよぅ……」



 なにがだめなんだよ。



 ふざけんなよ。



 こんなにも俺の胸を掻きむしっておいて。



 こんなにも俺の心をひたひたにみさせておいて。



 教室。数人の生徒をあいだに挟んでいるというのに、アッシマーの大きな瞳に嫌いな水たまりができてゆく光景しか俺には映っていない。



 それを、どうしてもとめたくて。



 それを、涙なんて悲しい雫にしてほしくなくて。



「だいじょうぶ。こんどこそ、俺が、お前を守るから」



 安心させようと声をかけたのに、雫はややまるっこい頬にわだちをつくって涙へと変わってゆく。


 彼女の前に座る灯里が、アッシマーの頬をハンカチで拭った。俺が安心したのも束の間、


「先生、私も参加します」

「あたしも」

「ウチも参加しますー」


 灯里、高木、鈴原の手が同時に挙がり、


「俺も参加します」


 祁答院までもが立ち上がっている。


 もう一度灯里が振り返ると、アッシマーは灯里に身体を伸ばして泣きついた。高木と鈴原が仮にも授業中だというのに、遠慮なくアッシマーの近くに移動して、肩に手を置いたり頭を撫でたりしていた。



 困惑する教室。西郷も口を開けている。

 外は晴れているというのに、雷が鳴った。それが引き金となったかのように驟雨しゅううがやってきた。


 しかし誰も気に留めない。

 いまのやり取りに唖然とし、あるいは西郷の口からどのような情報がもたらされるのかを気にしている。



 俺も外の天気なんて気にならない。




 教室に切なく降る雨が、ただただ止んでほしかった。



(了)

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