07-20-紫空(しくう)

 夜空が、紫に染まってゆく。



──



「やっべ、もう食えない。これ太るやつ」

「あははー。ウチももうお腹いっぱいー。ごちそうさまでしたー」


 女将のつくる大量の夕食を終え、食堂で怠惰をむさぼる。いつも食ったら動けなくなるほどの量が出てくるため、食後二十分は食堂でだらだらするのが日課のようになっていた。


 そうだ。これは日課だ。

 だから俺はなにひとつ気兼ねせずだらだらする。


 だらだら。だらだら。

 ごろごろ。ごろごろ。


 こんなとき、七々扇なんかが「皆、行儀が悪いわよ」なんて言い出しそうなものなのだが、彼女に視線をやると、元が少食なのだろう、許容量を大幅に超える量を食べてしまったからか、リディアと一緒に白目をむいてアヘ顔みたいになっていた。美人ふたりが見事に台無しである。


「あー幸せ。ごろごろしてるときが一番幸せだよねー」

「あ、亜沙美ちゃん……! 下着みえちゃうから……!」


 椅子から降り、リビングの絨毯じゅうたんでだらしなく横になる高木に灯里がそっと耳打ちするが、長年ぼっちだった俺はひそひそ話に敏感だ。しっかりばっちりくっきり聞こえている。つーかそのコモンパンツの下ってボロギレなんじゃないの? ちゃんと下着つけてんの?


「へーきへーき。見られて困るヤツなんていないっしょ。なんなら藤木、気絶させてあげよっか?」

「お前の言う藤木ってのがもしも俺のことなら結構だ。つーかアイテムボックスからハンマー取り出してんじゃねえよ。マジで怖いから」


 悪びれず、にししーとこちらに白い歯を見せてくる高木。己を省みることなく、このなかで唯一の男である俺を排除することで問題を解決しようとしているところが怖い。どこの董卓とうたくだよ。


 こんなバカみたいなやり取りを、こいつとすることになるなんて、夢にも思わなかった。

 ほんの一週間ほど前は俺はこいつをゲロクソビッチと呼んでいたし、高木は俺を虫みたいとかキモいとか言いたい放題だったもんな。


 それがいまじゃ、一緒にいても苦痛じゃない。


 灯里も、鈴原も、高木も。


『二度と話しかけんなパリピ』


 そう言い捨てたエシュメルデの夜を、俺は後悔しているだろうか。


『俺に話しかけんな』


 そう吐き棄てた通学路を。こいつらを拒絶し続けた日々を。


 ──いや。

 都合のいい話だが、あの日の拒絶があって、こいつらの歩み寄りがあって────だからいまこうしていられるんだ。


 俺は、そう思う。


 だからこそ、この日々を守りたい。


 認める。

 俺はいま、このときに、安寧やすらぎを感じていると。



 根暗で陰キャな俺に、歩み寄ってくれたこいつらを、俺は──



「ママー! なんだかお外がおかしいにゃん!」


 そのとき、食事が終わるなりスキルブックショップに戻ったココナが、猫耳を揺らしながら慌てて駆け込んできた。


「どうしたのさ」

「ちょっと見てほしいにゃん! 空が──空が、おかしいにゃ!」


 すわ一大事とエリーゼ──女将がぱたぱたと外へ駆けてゆく。つられるように俺たちも外へ出た。



「なんだい、これ…………! まさか…………!」



 異変にすぐ気づいた。



 空が。



 夜空が、紫に染まってゆく。



 近くにいたマナフライが紫に吸い込まれるように、天高く舞い上がってゆく。



「これは…………瘴気かしら…………」


 七々扇がぽしゃりと呟いた。……たしかにこの色……煙のような気色悪い紫の光は、コラプスの入り口から立ち上る瘴気──そして、臆病のピピンと闘ったメイオ砦屋上の空だった。


 紫の煙は雲のように夜空からエシュメルデを覆い隠す。遥か上空に集まったマナフライが煙を光線に変え、エシュメルデの家も門も地面も、そして俺たちの姿をも紫に染めている。


「ま、ママ……怖いにゃ……」

「ココナ……! なんて……ことだい……!」


 肩を震わせて抱き合うふたり。普段は溌剌はつらつなふたりが、こんなに怯えている。


「なあ、なんか知ってるのか? これはいったいなにが起きてるんだ?」


 ココナは女将の胸に顔を埋め、女将はふるふると首を横に振る。


 なんだよ、これ。いったいマジでなんなんだよ。


 そして女将は、その言葉を口にもしたくない様子で、この世の無惨、悲劇、苦悶をすべてい交ぜにしたようなこえで、ついにその言葉を口にした。



「…………シュウマツ」

「え」



 それって、エヴァが口にしていた──



 そのとき。


 空に、空よりも濃い紫の渦が現れた。


 同時に響きわたる、嘆きの声。


 周りにいた住民たちが揃って呻き、泣きわめく。 



 渦の出現が、シュウマツの到来を確定づけるかのように。



 エシュメルデの街が、哀哭あいこくしていた。



 渦の左右──紫の空に現れる、巨大なメッセージウィンドウ。



──────────

《シュウマツの渦》

──────────


・明晩、金の曜、22:00から第一次シュウマツの渦を開始する。


・選ばれた異世界勇者はシュウマツの渦に参加しなければならない。不参加の場合、アルカディアから永久に追放される。


・参加者は渦のなかで拠点を防衛しなければならない。防衛ラインを突破したモンスターは防備を無視してエシュメルデを急襲し、殺戮を行なう。


・シュウマツで現れたモンスターにより殺害されたエシュメルデの民は、その生命を永久に失う。


──────────



 なん、だよ、これ。



 なんだよ、シュウマツの渦って。



 選ばれた異世界勇者は強制参加。拒否すれば、アルカディアから永久に追放……?

 防衛ままならず、突破された場合、エシュメルデの防備を無視して殺戮……?


 そして、シュウマツで現れたモンスターに殺されたエシュメルデの民は、ソウルケージに入ることもできず、



 永久に、



 生命を、



 失う。



 なん、だよ、それ。



「ざけんなァァッッ!!」


 思わず紫の渦にえていた。

 しかし気色悪い空の下、俺の叫びはあまりにもちっぽけで、エシュメルデの慟哭どうこく──その一部となって消えてゆく。


 なんだよ、全部魔力なんじゃねえのかよ。ソウルケージを持っていれば大丈夫なんじゃねえのかよ……!


 睨みつける空。渦を挟んでもう一枚、巨大なウィンドウが表示された。



──────────

《第一次シュウマツの渦》

──────────


【規模】

Vortex LV:1

Wave数:7

Costs:700~1000


【期間】

明晩、金の曜22:00~24:00


─────


【参加条件】

・異世界勇者であること

・エシュメルデに拠点を置いていること

・アルカディアでの生活が一ヶ月未満であること


【勝利条件】

・渦より出現するモンスターの全滅

・防衛ラインを突破したモンスターの全滅


【敗北条件】

・商業都市エシュメルデの壊滅


【補足】

・戦闘不能になった異世界勇者は120分後ではなく、翌朝復活する。


──────────



 なんだよ、それ。

 エシュメルデに拠点を置いていて、アルカディア歴一ヶ月未満って……。


 それって、俺たちのことじゃねえか。


 いや待てよ。それって何人いるんだよ。

 一万人? 千人?


 ……ぜんっぜんわからねえ。


「Vortexってなんですか……? どうして急に英語表記なんですかぁ……」

「ヴォルテックス、あるいはヴォーテックス。……渦のことよ。Waveは波、Costは価格、費用などの意味合いで使われるけれど……」


 ゲームに精通した俺にはなんとなくわかる。

 渦のレベルが1。

 Wave……波とは、タワーディフェンスゲームでよく使われる書きかたで、七回モンスターが押し寄せるって意味だ。

 コストってのはカードゲームなんかでよく聞く言葉で、それと同じであれば、モンスター陣営はシュウマツの渦で700~1000のコストを支払うってことだ。


 たとえばマイナーコボルトがコスト10、ロウアーコボルトが20、マイナージェリーが30なら、モンスター陣営は700~1000コストを七つの波に分け、モンスターをチョイスして攻めてくる。


 マイナーコボルトを70~100体か。

 あるいはいろいろと組み合わせてくるのか。


 しかしそんなことがわかってもどうしようもない。モンスターそれぞれのコストが分からなければ、敵の量を知ることすらできないのだから。



 なんだよ、シュウマツって。

 アルカディアが発見されて長い時が経過してるんだろ?


 なんで誰も口にしなかったんだよ。

 なんでネットとかに載ってねえんだよ。


 それなのに、なんで女将とココナはシュウマツを知っているかのように震えてるんだよ。



 紫空しくうを睨みつける。

 俺を殺すモンスターにすら抱かなかった憎しみが、内側から俺を焦がしてゆく。



 そのとき、渦が、閉じはじめた。



 俺の憎悪など、なんでもないように。



 街を恐怖に染め、満足したとでも言うように。



 決してシュウマツからは逃れられないとでも言うように、もう一度だけぎちぎちと紫よりも濃い紫を見せつけて、ようやく消えていった。



 そしてエシュメルデは、夜空を取り戻す。

 天高く舞い上がったマナフライはまるで決まった席があるように降りてきて、何事もなかったかのようにぽうぽうと周囲を照らし出す。



 渦は消えた。

 紫も消えた。



 なのに。



「ママ……ママぁ…………!」

「ココナ……! 大丈夫だよ……。ぐすっ、アンタは、アタシが、命を懸けても守るから……!」



 エシュメルデのなげきが……消えない。

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