07-10-獅子の呪縛──コラプス・メイオ砦

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《60秒後に戦闘を開始します》

《50秒》

《40秒》

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 扉の先にあったのは、バスケットコートの半分以上──思ったよりも広い部屋だった。


 多分藤間くんたちの扉の先には階段があって、屋上へと繋がっているのだろう。


 部屋の中は、紫によどんでいた。

 壁が紫に塗られているわけではない。コラプスの入り口で見たような紫の霧が立ち籠めているのだ。──きっと、これが瘴気。


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《30秒》

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 部屋の奥に突如現れた、四つの魔法陣。きっとあそこからモンスターが出現する。


 高木さんや鈴原さんの弓と違って、攻撃魔法は対象モンスターがいないうちから詠唱を開始しても効果が薄い。


 魔法はイメージ。

 力を借りる精霊の姿をイメージして、敵を穿つ姿をイメージして、敵が散ってゆく姿までイメージして効果が増幅する。脳内で描くあやふやな造形では意味がない。


 同じく魔法を扱う灯里さんもそれをわかっていて、ユニークスタッフを強く握るだけで、詠唱を開始しない。



 灯里、伶奈。

 藤間くんを、澪さんを──そして私を呪縛から解放してくれた、救済の天使。


─────


 両親不在のなか、七々扇家のチャイムを鳴らしたのは、二十代半ば~後半の、見目麗しい女性だった。

 仕立ての良いスーツに縁なしの眼鏡は、敏腕のOLというよりも、女教師を思わせる。


「なにもお話することはありません。お帰りください」

「大桑月乃に会いました。我々は藤間少年のことも、獅子王のことも朝比奈のことも知っています。──残るは、七々扇綾音さん。あなただけです」


 たった半年前──されど半年前の事件を、三船と名乗った女性は私よりも詳しく知っていた。


 藤間くんが犯したと伝えられている傷害事件。

 学校が管理していたうさぎさえ、藤間くんが死なせたと当時は噂されていた。



『やめろよっ! 綾音ちゃんは関係ないだろっ!』


 あの優しい藤間くんが、そんなことをするはずはないと、本当に勝手だけれど、そう信じていた。


 それでも、人は狂う。


 だから、心のどこかで──私のせいで、藤間くんがそんな変貌、そして凶行を──とも、疑ってしまっていた。



 三船さんの口からそうではなかったと知り、安堵と罪悪感がい交ぜになって押し寄せる。



「それで、私になにか……?」


 自室にて差し出したお茶を三船さんは流麗な動作で手に取り、口をつける前に私に応えてくれた。


「七々扇綾音さん。あなたは、獅子王龍牙に脅されているのではありませんか」


 私の動きが止まった。それを見て、三船さんは満足そうに音もなくお茶をすすると、


「先立って配下を四名、秋葉原──現在の藤間家の住居に配置しました。藤間少年の妹、みお氏の身体はいま、日本国で一番安全です」


 次はどこまで知っているのかという恐怖と、しかし悪夢から解放されるのかもしれないという希望が混ざりあい、そして今度は私が鼻をすする番だった。


「あなたはいったい、なにものなの……?」

「ただの家令です」


 三船さんは素知らぬ顔で湯呑み茶碗に口をつける。


 ただの家令にこんなことができるはずがない。藤間くんのことを調べ、獅子王のことも調べ、あの事件のことを調べ、大桑さんにまで会い、私のことも親より深く知っている。



「あなたは藤間少年に会いたがっている。──違いますか」

「……私には、そんな資格なんてないわ」


 本当にない。


『七々扇ぃ。お前、藤間の妹と仲いいんだって?』


 あの日、朝顔を踏み潰した相手に、膝をついて、頭を下げた私には。


 立ち上がることもせず、立ち向かうこともできず、ただ我慢という名の免罪符を掲げ、臆病になっただけの私には。



「あなたや獅子王のいる兼六高校は今年、アルカディアに選ばれた。そして高校の担当は、奇しくも藤間少年と同じエシュメルデ」


「っ……!? 藤間くんもエシュメルデにいるの!?」


 身を乗り出してからしまったと思った。心中をさらけだした己を恥じる私に、三船さんは何事もないように、


「エシュメルデは広いですから。──七々扇綾音さん。あなたに、お願いがあります」


 ここまでの言葉が真実ならば、三船さんは獅子王の呪縛から私を解放したということになる。

 半信半疑ではあったが、恐ろしいほど真相を知っているこの人を簡単に信じられない『いくじの無さ』よりも、信じたいという希望が勝った。


「明後日の夜、獅子王と朝比奈を連れて、エシュメルデの市場に向かってください。時間は追って連絡します」


 そして、この人が真実を語っているのであれば、私に断ることなどできなかった。


「……私はそこに向かうだけでいいのかしら」


「いいえ、違います。そこには藤間少年と一緒に灯里伶奈という愛らしい少女がともに訪れます。愛らしいといっても、あなたと同学年ですが」


「ふ、藤間くんが? 灯里伶奈……?」


 聞いたことのない名前だった。三船さんは私が考えているあいだにどこからかポータブルモニターを取り出し、イメージスフィアをセットする。


「これは……? ……っ!」


 夜の町並み。見慣れない場所だが、マナフライがぽうぽうと浮いていることから、アルカディアだと確信できる。



『今度は話しかけるだけで罰ゲームかよ』



「藤間くん……!」


 そこには、もう会うことはおろか、姿を見ることも叶わないと思っていた初恋の人がいた。

 目つきが悪く、もう誰も信じないとでも言うような表情の彼が──


『二度と話しかけんなパリピ』

『違う……違うっ! 藤間くんお願い、聞いて……!』



 胸が締め付けられた。

 藤間くんはいま、こんな顔で、こんな声で──



『パリピも陰キャに迷惑かけんなよバーーーーカ』



 うずくまる女の子を冷酷な瞳で見下ろし、唾を吐き捨てるように毒を吐き捨てて、彼女を置き捨てて──



「彼女が灯里伶奈です。……胸が、痛みますか」

「……ええ。……私の、せい、ね」


 『今度は話しかけるだけで罰ゲームかよ』という藤間くんの言葉は、モニター越しに私の胸をえぐった。

 自分の想いを罰ゲームにさせられた悔しさよりも、遠くに引っ越してもなお彼を苛んでいることがどうしようもなく悲しかった。


「謙虚と自責は日本人の美徳ですが、本質を取り違えてはいけない。藤間少年を取り巻く過去──悪の根源は、獅子王龍牙」

「違うっ……! 違う! 私がもっと強ければ……!」


 そうだ。

 私があのときもっと強ければ、誰かに相談したり、藤間くんのご両親に伝えて、──いいえ、私が強ければ、私が獅子王から澪さんを守ることだって……!



 ──罰ゲームじゃない! 私は藤間くんが本当に好きっ! 朝顔を踏んだのも獅子王です!


 あのときに言えなかった弱さが、いまも彼をむしばんでいる。


「……なるほど。そのようにお考えならばなおさら都合がいい。──話を戻します。あなたは獅子王、朝比奈を連れ、夜の市場で藤間少年、灯里伶奈と出会う。きっと、場は荒れるでしょう。──そこで、見極めてほしいのです」

「見極め、る……?」


 湯飲みを音も立てず机に置いた三船さんの、眼鏡の奥が妖しく光った。


「灯里伶奈が立ち向かうかどうかを」


「灯里さんが? 藤間くん……ではなくて?」


「はい。藤間少年が独力で立ち向かうならそれでよし。そこからはあなたの好きになさってください」


 好きに……? どういうこと?


「もしも藤間少年と灯里伶奈が立ち向かえず、膝を折るようならば、藤間少年を連れて逃げ、真実を伝えてください。大丈夫。もう龍の牙は折れています」


「連れて、逃げる……? その後は?」


「その場合、藤間少年はもう灯里伶奈のもとに戻ることはないでしょう。今度こそあなたが藤間少年を支えてあげてください」


 わからない。

 三船さんはどこまで知っているのか。

 そして、どこまで見通しているのか。


「そして、灯里伶奈が立ち向かったときは──もっと大きな、わたくしなど及びもつかぬ強大な力に、獅子王は龍の牙はおろか、獅子のたてがみすらむしり取られ、ただひとりの高校一年生となっている。それに気づいていないのは彼と彼の周りだけ。その場合もあなたは好きにしてかまいません」


 まとめると、こうだ。

 私は獅子王と朝比奈さんを市場へ連れてゆく。

 そこには藤間くんと灯里伶奈が来る。


 当然ひと悶着起こる。

 藤間くんか灯里伶奈、どちらかが立ち上がれば、私は好きにすればいい。

 どちらも立ち上がらなければ、私は藤間くんの手を引いて逃げる。そして、彼の支えになる。



「……藤間くんはこのことを知っているの?」


「いいえ、知りません。わたくしの口から申し上げても、彼は信じないでしょうし。──あなたでさえ、半信半疑なのだから」


 なにもかも、見透かされている。

 目に見えるものでなく、目に見えないものまで。

 あらゆる有象無象が眼鏡越しの切れ長に映りこんでいるような気がした。


「もしも二日後、藤間少年があなたの目の前に現れたときは信じていただけますね」

「……そう、ね」


 私は一切の取り繕いを諦め、無様をさらけだす。



「でも、藤間くんと灯里伶奈はどうやって市場に? 明後日の夜なのよね?」


 来るのは目の前の三船さんではない。藤間くんと灯里伶奈なのだ。

 もしもそんなことができるのであれば、もうなんでもできるに違いない。


「市場に行くように仕向けます。わたくしへの、及び仕事への詮索は不要です」


 仕向けるって、どうやって……? もはやあけすけとなった私の好奇心は尽きないが、食い下がってもこの人が口を開くとは思えなかった。


「あなた……なにものなの? 目的は?」


 しかしやはり角度を変えて訊いてしまう。三船さんは「結構なお手前でございました」と立ち上がり、



「ただの家令です」



 そう一言だけ部屋に置き残し、深々とお辞儀をして、玄関のドアを静かに開け、私の胸に大きな謎を植え付けたままもう一度頭を下げ、曇り空の下へと消えていった。

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