07-02-おでん大家族
「おつかれっす」
「……おつかれ」
「おつ」
タイムカードを押したあと、俺と同じ時間に終業する人間がそそくさと帰ってゆく。この時間に帰るのはだいたい高校生なのか、みな、わりかし若い。
さすが工場のバイトというべきか、みんな愛想がよくないというか、そっけない。まあ俺にとっちゃ好都合だけど。
「ふぇぇー……藤間くん、お疲れ様でしたぁー」
ああでも、少なくともこいつは違ったか。周りに何人もいるというのに、
周りが俺たちになにひとつ興味を示さず流れてゆくことを確認してから、
「……おつかれさん。なんかあっという間だったな」
そう返すと、アッシマーは疲れた表情に驚きの色を灯した。
「そうですかぁ? 単純作業でつまらないから、時間が永遠に感じるってみなさんおっしゃいますけど」
「え、うそ、マジ? 結構楽しかったんだけどな」
だんごをひっくり返すのとか楽しかった。でもドーナツ、お前は許さん。
「それじゃあお先ですっ! 無料のパン、ひとり五個までなので、忘れずに持ち帰ってくださいねっ」
「おう、おつかれ……ってちょっと待て」
事務所の前でアッシマーの手を掴んで引き止める。わわっ、と焦るアッシマーに俺まで慌ててしまい、乱暴気味に掴んだ手を放した。
「んあ……わ、悪い」
「あ……いえっ……。どうかされました?」
大きな瞳に問われ、あ、いや、と情けなく狼狽える。
「その、だな」
アッシマーの肩越しに見える窓の外に広がる深淵が、いまはただ、怖かった。
「その、遅いし、送る」
─────
「わたしなんて誰も襲いませんよぅ! それに悪いですしっ」──そんなズレた遠慮をするアッシマーを言い聞かせ、街灯の下、ふたりの影が伸びる。
登校中に出くわしたことがないからなんとなくわかってたけど、俺ん家と逆方向かよ……。
「お前、いつからバイトしてんの」
「藤間くんだから言いますけど、中学二年生の頃から伯父さんに無理言ってアルバイトさせてもらってました」
「マジか。あの工場、タイムカードを見た感じ50人以上のバイトがいただろ。中坊が混ざっても他のバイトにバレなかったのか?」
「学校の制服さえ着て行かなければ大丈夫でした。それに、作業着に着替えたら誰が誰だかよく分かりませんし」
「あー……たしかに男女の区別すらつかなかったな。──お前どこにいたの」
「わたし、今日はモンブランにクリームを載せたり、スポンジにチョコレートソースを塗ってチョコケーキにしてました」
「おー……。俺、モンブランに栗載せたりチョコケーキにプレートを刺したりしたわ。あれ、アッシマーが加工したやつだったのか」
作業着の防御力が高すぎて、どの作業服がアッシマーなのかなんてまったく分からなかった。でも、変なところで繋がってたんだな……。
「そ、そのっ」
「んあ?」
仕事初めだからか、話が尽きず、俺からすればかなり喋ったほうだ。しかし限界はあるもので、俺からすればというよりも、さすが俺といった感じで、ところどころに空白が生まれる。そこに滑り込ませるようにして、アッシマーが口を開いた。
「……んぅ……い、いえっ、なんでも……」
「……?」
アッシマーの声はふたりの歩みを止めることもなく、夜の闇に消えてゆく。
「なんでも、ない、です」
そうか。なんでもないのか。
「そうか」
「……」
「…………」
「………………」
「……………………」
「なんでなんにも訊かないんですかぁ!?」
「えぇ……」
アッシマーは急に大きな声で俺に抗議してくる。なにこの理不尽。
「普通もう二段階くらい突っ込んできませんか!? なにかあったんだよな? とか、そこで止めたら気になるだろ? とか!」
「いやまぁ……でも、話したくないことを無理矢理訊いてもな……」
ここまで言って、いつものアッシマーとのやり取りを思い出し、立場が逆になってることに気づいて苦笑した。
──ははっ。この世は皮肉にあふれてんな。
「俺からは訊かない。アッシマーが話したくなったら言ってくれよ」
「っ……。藤間くんは、本当にずるいですねぇ……」
「陰キャだからな」
「開き直りかたがひどい!」
そうして、いくつの信号を越え、いくつの自動販売機を横切っただろう。
「こっ……、ここ、こ…………」
「……? …………わかった、コーチン」
「ニワトリじゃないですよ! なんですかその限定! そもそもモノマネじゃないですから!」
「違うのかよ」
隣を歩くアッシマーは「うぅ……」と涙目になって、俺に抗議の視線を向ける。
工場から繁華街を抜け、人通りの少ない住宅街に入って……ここまで10分は歩いただろうか。
こんな夜遅く、人気のない道を女子高生がひとりで帰るとか、マジでなに考えてんだよ。
「こ、こ……こういうの、よくないと思いますっ!」
もうすこし歩き、ようやくアッシマーの絞り出すような声は、俺が首を傾げるにじゅうぶんだった。
「こういうの?」
「だからっ……そのっ…………。いえ、わたしもその、藤間くんにいていただけると安心で、その……これまで夜道がまったく怖くなかったかと訊かれると、そうではないんですけど……」
「……なにいってんのお前」
「んぅぅ…………」
とぼとぼと揺れ動くふたつの影法師。そのひとつの動きが止まったため、俺は振り返ってアッシマーを待つ。
「その、灯里さんにもうしわけがないと言いますか……」
「灯里? 灯里ってあの灯里だよな? …………なんで?」
「なんで!? ここで『なんで』と来ますか! 普通少しくらい意識していないとおかしいのに、藤間くんはここで『なんで』と言っちゃうんですか!」
宵闇を切り裂くようなアッシマーの悲鳴が人気のない夜道にこだました。
「だって……藤間くんが、夜、女の子を送ってあげてるって知ったら、灯里さん、傷つきませんか?」
「灯里が傷つくのか? 俺が誰かを送ったら? …………なんで?」
「はぁ……藤間くんはなんといいますか……はぁぁ…………ですねぇ……」
アッシマーは何度もため息をついて、歩みを再開する。俺の影を追い抜いて、俺が歩幅を合わせてふたつの影が横並びになった。
「着いちゃいました。藤間くん、本当にありがとうございましたぁ」
貧乏なイメージが一気についてしまったからか、とんでもないボロ家を想像していたが、なかなかどうして立派な家だった。
たしかに木造の古めかしい──少し歴史を感じるような佇まいだが、庭付きの一軒家。かなり大きい。
「もしよければお茶くらい飲んでいってください。すぐ準備しますから」
「いや、遅いからいい。それに、こんな時間に女子の家に上がるとかヤバすぎるだろ」
「急に登場する貞操観念! ついさっきまでありえないくらい鈍感だったくせに!」
アッシマーが叫びが終えると、眼前の家から屋内の喧噪がここまで聞こえてくる。
『みんな集合ー! 緊急ー!』
『にーちゃん、どしたのー?』
『えーなにー? つくねもー?』
こども十一人だって言うだけあって、なかなかどうしてみんな元気じゃないか。
こどもたちだけで暮らしていて、金にも困ってるみたいだったから、失礼だけど、その……もっと、
それにしても、つくねって、きょうだいの名前か……? 横にいる
「もう行くわ。アッシマー、これ」
「? なんですか?」
鞄から四つの袋を取り出してアッシマーに手渡した。
「これ、まかないの無料パン……。藤間くん、食べないんですか?」
「いや俺あんまり食わねえし、一個ありゃいい。休憩時間にも一個食ったから」
「………………」
受け取ったパンを見て、大きな瞳を細めるアッシマー。
…………つーか、十一人で住んでるんなら、ひとり五個までのパンじゃ、いくらなんでも足りなくて喧嘩になるだろ。いま渡した四つと合わせて九個でも全然足りないけど。
「俺少食だし、ひとり五個まで持って帰れて、それも給料のうちに入ってるんなら、持って帰らないと損した気分になるだろ。でも俺は食えねえし、遠慮なくもらってくれよ」
俺は要らないから、と強調すればするほど、パンから俺に視線を移したアッシマーの眼が優しくなってゆく。
「藤間くんは……不器用さんですねぇ」
「あ、いや、お前人の話聞いてる? もったいないから食ってくれ、ってだけなんだよ。だから器用も不器用もねえんだよ」
「あはっ…………ふふっ……」
だめだ。弁明すればするほど情けなく暴かれてゆく気がする。くそっ、アッシマーのくせに……。
照れ隠しをするようにアッシマーから視線を逸らした先に、足柄山家の玄関の扉があった。
照れを隠したぶん、いや、照れなんて関係なく、身体に溜まった熱が一気に引いて、背筋が凍ってゆくのがわかった。
しかし俺は、ここで悲鳴をあげなかった自分を褒めてやりたい。
薄く開いた扉からは、足元から扉の高さぎりぎりまでびっちり、十個の頭が縦に並んでいて、二十の瞳がアッシマーと俺をまじまじと見つめているのだった。
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