06-03-もしも、この想いに名前があったなら
「ダメだ、話にならねえっ! 退くぞ、走れっ……!」
宿を出た時間から察するに、午前9時15分ごろ。
俺たち五人とコボたろうは屋外ダンジョン『サシャ雑木林』で窮地に陥っていた。
「でもっ、木箱! 木箱がもったいないですぅぅぅぅー!」
「あほたれ死んだら木箱どころじゃねえだろうが!」
「っ……! 駄目っ、囲まれてる! 後ろからもコボルトが……!」
「コボルトなら突っ切る!
サシャ雑木林でレベル上げ中、物理耐性持ちのマイナージェリーがわらわらと寄ってきて、最初の二体まではどうにかなったが、気づけば五つの球体に囲まれていた。
「がうっ!」
くそっ、コボたろう……!
これしかねえのかっ……!
マイナージェリーに囲まれ、トリプルのミントアイスみたいになったコボたろうの召喚を解除し、
「MPもってくれっ……! 召喚、コボたろうっ!」
コボルト五体が待ち受ける退き口に再召喚した。
コボルトたちは驚き、しかしそれも一瞬で、たったひとりのコボたろうに殺到する。
「いまのうちに逃げろっ!」
「で、でもっ、コボたろうが……!」
「あんたはどうすんの!?」
「うだうだ言ってんじゃねえっ!! 早く行きやがれこの野郎ッ!!」
咆哮を纏わせながら、俺も杖を掲げてコボルトへと向かってゆく。
灯里とアッシマーは俺が守る。
そう、誓ってしまったから。
ごめんな、コボたろう。
でも、お前をひとりで死なせたりは──
──そのとき。
空から天使が舞い降りた。
長く美しい銀の髪。
緑のなかにふわりと香る、甘く爽やかな匂い。
ぬぼっとしたアイスブルー。
彼女が着地する頃には、華美な装飾が施された銀の杖から魔法陣が出現していて、
「
いつの間に詠唱をしたのだろうか、ごく短い彼女の言霊は、緑を真っ白に変えた。
寒いとか凍えるとか、そういうのじゃない。
俺たちは──少なくとも俺は、寒さを感じていない。
周囲が、凍りついた。
草も木も真っ白になって、コボルトもジェリーも一瞬で氷像のように凍りつき、崩れ落ちながら緑の光に変わった。
《戦闘終了》
《2経験値を獲得》
「リ、リディア……! た、助かった……!」
へなへなとその場にくずおれる俺。コボたろうも傷を負う前だったらしく、元気そうに駆け寄ってきて、俺の隣でリディアに一礼した。
「藤間くん、コボたろう!」
まだ近くにいたのだろう、女子四人が駆けてくる。
アッシマーと高木の顔には、俺への怒気が含まれていた。
「もうっ……藤間くんはほんとにもうっ……!」
「あんた……コボたろうといっしょに死ぬ気だったわけ?」
「べつに……考えすぎだろ」
恐怖で足が震えていたが、なんでもないふうを装って立ち上がる。
しかしアンプリファイ・ダメージからコボたろう召喚を連続でやってしまったからだろう、急なMP消費による立ちくらみが襲ってくる。
俺たちがこのサシャ雑木林に足を踏み入れたとき、まだリディアはいなかった。
「いまきたところ。なんだか騒がしかったから空から見てみたら、やっぱり透たちだった」
当然だが、リディアが空を飛んだわけではない。彼女が掴まっていたサンダーバードはリディアに頬をこすり寄せている。
ともかく、助かった。
──
「昨日やおとといとはわけがちがう。昨日はわたしがいちど泉のまわりのモンスターをやっつけた。だからモンスターのかずがすくなかった。でも今日はちがう」
うへぇ……。昨日戦ったのはモンスターの残党で、今日戦ったのは主力の一部だったってことか。どうりで昨日と違って初戦からやばかったわけだ。
「透たちはむちゃしすぎ。なんどもいってる。むりしてもいいことはない」
泉の拠点にて、俺たちはリディアに説教を受けていた。
「いやそう言われてもな。ぶっちゃけどこからが無茶なのかわかってねえんだよ」
「レベルをあげることは大切。でも、ここよりかんたんなダンジョンなんていくらでもある」
「え、そうなのか?」
顔を見回せば、灯里、高木、鈴原の三人が控えめに首肯する。じゃあなんでそっちのダンジョンにしなかったんだよ──そう愚痴ろうとして、踏みとどまった。
こいつらが知ってるダンジョンで、ここよりも敵の弱いダンジョン──そんなの、こいつらも行きたいに決まってるし、行けるものならそう提案したに決まってる。
でもこいつらが行きたいってことは、祁答院はともかくとして、イケメンBC──望月と海野だって行きたいダンジョンに決まってる。つまり、鉢合わせる可能性があるってことだ。
だからきっと、言わなかった──いや、言えなかったのだろう。
そう察した俺は云々を端折る。
「迷惑、かけちまったな」
「迷惑だなんて思ってない。心配しただけ。……すこしまってて」
雑木林の奥へ消えてゆくリディア。きっと昨日と同じように、一度モンスターを蹴散らしてくれるのだろう。
初っ端から他力本願なのも格好つかないが、リディアの厚意に甘えて休憩することにした。
最大MPが15に上昇し、【☆召喚時MP減少LV1】習得によりコボたろうをMP6で召喚できるようになったわけだが、MP4消費のアンプリファイ・ダメージ2回とコボたろう召喚を立て続けに行なったことで、立ちくらみが相当キツかった。
「伶奈と藤間は休憩してなよ」
「ウチらなにもしてないから、採取してるねー」
「あ、わたしも行くですっ!」
高木がさっさっと、鈴原がたたたっと、アッシマーがどべべべべー! と離れてゆく。コボたろうは三人と俺たちを見比べてこちらに一礼し、召喚可能な距離ぎりぎりまで離れて採取をはじめた。
「……」
「……」
必然的に俺と灯里が残される。
多少の気まずさを感じ、先程から感じていたことを問うてみた。
「……なあ。なんかあったのか」
「え、えっ?」
急に振られた灯里はわかりやすく狼狽える。それだけで少なくともなにかがあったことは理解できた。
「いや、なんかあっただろ。さっきからなにもないところを見てぼーっとしたりキョドったり」
「そ、そんなことないよ?」
なにかがあったことは間違いない。しかし灯里にはそれを口にする気は無いようで、そうなると内容が俺に関わることか、俺には話せないことのどちらかだ。
「話せないならべつにいい。でも、話したくなったら言ってくれ」
それだけ灯里に告げ、アッシマー譲りのセリフだから気まずかったのか、それとも柄にもないことを言って恥ずかしくなったのか、灯里を視界から消すように、腰掛けている広く平らな切り株の上でごろんと横になった。
「あっ、藤間くんだめだよっ、髪が汚れちゃう」
「あ、お、おい」
それなのに灯里は仰向けになった俺の視界にぱたぱたと入ってくる。
「いやべつに男だから気にしねえって。マジで大丈夫だから」
頑なに視界から外そうとして、灯里に背を向けて横たわる。そうして数秒の後、あろうことか灯里は俺と同じ切り株に腰を下ろしたことが優しい振動を伴って伝わってきた。
な、な、なにしてんのこいつ……!
同じ切り株に。
俺の身体どころか頭まで乗った切り株に。
し、尻をつけている……⁉
ぅ……。
こうなると俺ができることはただひとつ。
陰キャぼっちの十八番、寝たふりである。
「……」
「……」
あのときと同じ。
波音が聞こえなくなったあのときと同じように、木々の揺らめきも緑のざわめきも聞こえなくなって、突如生まれたしじまに己の律動だけがやかましく鳴り響く。
やばい、寝たふりは失敗だった……!
灯里、早くどこかへ行ってくれ……!
どくんどくんどころじゃない。
ばくんばくんと痛いほど高鳴る心臓の音が、灯里に聞こえてしまいそうだから。
だから早く離れてほしい。
そう思っているのに、灯里はなおも俺に追い打ちをかける。
「ひ、膝枕……。して、あげたい、な」
う……うおあ…………。
灯里は俺が寝たふりをしていることを知っているのだろうか。というかむしろ、横になってそんなに時間が経ってないんだからさすがにバレているかもしれない。
身体じゅうの熱が頭部に集まってゆく。
灯里はいま、どんな顔をしているのだろうか。
いつものように少し俯いて、赤い顔から汗を飛ばしているのだろうか。
もしも俺の反応をみて愉しんでいるのなら、灯里はとんだ魔性だ。
しかしそれを疑えるほど、灯里に対する
『好きだよ、藤間くん。大好き』
左から右に、右から左に。
誰も好いてくれなくて、誰も好きになれなかった俺を揺さぶる言葉が何度も脳内を往来し、過ぎ去っても消えてくれなくて、何度も跳ね返って増え続ける。
脳内も胸も灯里でいっぱいになったとき、しかしやはり心の
そいつはべつにめちゃくちゃ可愛いとかそんなことはない。
相当ドジで、結構やらかすし、腹立つことを言ってきたりする。
あざといのやめろって何回言っても「ふぇぇ……」とか言い出す。
俺のなかにいるお前は、いつも背中で俺を庇ってくれて、そのあと少し照れくさそうに「えへへぇ……」って、俺のこころに沁みながら、柔らかく笑ってる。
──ああ、畜生。
もしも。
もしも、この想いに名前があって。
もしも、それが恋という名前だったなら。
アッシマーへの想いが恋だとしたなら、俺は灯里にも恋をしていることになる。
そして、灯里への想いが恋だとしたなら、俺はアッシマーにも恋をしている。
『あんたさ、伶奈としー子、どっちかしか助けられなかったら──』
選べるわけないだろ、そんなの。
なあ、祁答院。
昨日俺に頭を下げたお前は、こういう気持ちだったのか?
望月も海野も高木も鈴原も灯里も選べなくて、断腸の思いで俺に三人を托したのか?
…………違う。
俺は誰かに、自分の大切なものを託さない。
託したらどうなったのか、俺は身をもって知ったじゃないか。
灯里が慌てて立ち上がった気配がした。うっすら目を開くと、いつもの調子でぬぼーっと歩いてくるリディアの姿が見えた。
白いローブに包まれた灯里の膝から上が寂しそうに震えた気がして、灯里の勇気に応えられないふがいなさ、そしてそう感じた自分の傲慢を律するように、あるいは胸のなかにふたりの女性がいる優柔不断な己を罰するように、誰にも見えないようそっと切り株に頭を打ちつけた。
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