06-藤間透が後悔して何が悪い

06-01-誰かと一緒にいても苦じゃないのは

 少し照れ屋さんで控えめだけど、心根の優しい子。

 それが幼少の俺。


 父はそんな俺を物足りないと感じていたようで、野球やサッカー、空手をしきりに勧めた。


「あなた、透は優しい子なんだから、スポーツや格闘技よりも、ピアノのほうがいいんじゃないかしら?」


 母は俺を溺愛してくれた。目に入れても痛くないと、何度も俺に口づけし、頬をこすり寄せてくれた。


 全部やった。なんだってやった。

 あまり伸びなかったけど、父の期待と母の愛に応えたかった。



 ────アノ日マデハ。



 俺は、アルカディアに憧れていた。

 アルカディアに想いを馳せ、たどり着く権利を持つ高校生になることを心待ちにしていた。


 異世界という現実逃避──もちろんそれも理由としては大いにあったが、一番の理由は、夢の代わりにアルカディアで目覚めるからだった。


 すなわち。



 あの悪夢を、見ずに済むから──


──


「んあー……。転校してぇ…………」


 そんな自分の寝言で目が覚めた。

 我ながら酷い寝言だと認識できるだけ、今日の寝覚めはいいほうだと思う。自分を褒めてやりたい。少し頑張ったご褒美として、食後にプッツンプリンをつけてやりたい。


「うわぁ……朝から酷い寝言ですねぇ……」

「んあー…………うっせ……」


 上を向いたまま、アッシマーの声に返す。こいつ、俺の脳内とまったく同じこと言いやがって。


 半身を起こすと、彼女はやはりステータスモノリスの前にいた。


「その……なにか、ありましたか?」


 寝ぼけ眼でも考えられるほど、アッシマーの漠然とした質問は分かりやすかった。

 昼休みの祁答院との一件があって、午後はなんかみんなこっちをちらちら見てくるし、灯里だってなんか変だし。


 つまり、アッシマーの質問は、昼休みになにかあったんですか?

 ──むしろなにがあったんですか? ってところだろう。



『アッシマーと灯里を守るためなら、俺は悪にだってなる』

『灯里を守るのは、俺だッ‼』


 …………。


 ねえなんで俺あんなこと言ったの? 悪にでもなる? 何島みゆきなの? なに勢いでイキっちゃってんの? さすがのエクスカリバーもドン引きだってあんなの。


 ああああぁぁ……転校してぇぇぇぇ……。


 頭を抱える俺を心配そうに覗き込んでくる大きな瞳。


 ……こんなの、言えるわけねえだろ。


「な、なんでもねえよ」

「そうですか、わかりましたっ」


 わかっちゃうのかよ! いくらなんでも早くね!? 普通もう二段階くらい粘ってくるだろ! 祁答院くんとなにかあったんですよね? とか、灯里さんも調子わるそうでしたけど、関係ありますか? とかさ! 質問の引き出しなんていくらでもあるだろ!


「わたしからは訊きませんっ。でも、話したくなったら話してくださいね?」


 …………。


 水をかけられた火のように脳が静まり、頭を抱える手はだらんと垂れ下がる。


 それは、いつかのやりとり。

 あのときもアッシマーはこうやって、気になって仕方ないだろうに、俺がしんどくなるくらいなら話すように、とだけ言って身を引いてくれた。


 アッシマーはなんというか、踏み込んでほしくないところと踏み込んでもかまわないところをどこかで理解しているのか、俺の弱いところで自我を優先しない。


 ……だから、かな。


 人嫌いの俺が、誰かと一緒にいても苦じゃないのは。


 アッシマーは、俺の大切なものを奪わない。

 俺を優しく包んで、柔らかく煮ることはしても、俺を傷つけようとしない。


 俺の大切なものを、奪わない。



 気づけばアッシマーを見つめていて、アッシマーは俺に首を傾げて返す。俺は誤魔化すようにそっぽを向いて問いかけた。


「いま何時だ?」

「7時30分くらいですかねぇ。藤間くんとリディアさん以外はもう起きてますよぅ?」

「俺にしては上出来じゃねえか。それにしても、なんつーかお前らって元気だよなぁ……」


 7時半であいつら全員起床かよ。すごすぎるわ。


「藤間くんが寝ぼすけさんなだけですからね? ささ、顔を洗ってきてください。二度寝するとまた女将さんに怒られちゃいますよぅ?」


──


「んあー……」


 歯をわしゃわしゃと磨きながら、祁答院へ言い放った言葉を反芻する。


『お前じゃない、俺だッ‼』


 ……。


 のたうちまわりたくなるような恥ずかしさの裏で、どうして俺はあんなことを言ったのか、そしてどうしてあんなことを思ったのかを考える。


 あの熱さはなんだったのか。

 怒りにも似た激情の渦はなんだったのか。


 こんな俺を好いてくれた灯里を、まるで本来自分が守るべき存在なのにとでも言いたげな祁答院に腹が立ったのか。


 それとも、アッシマーにしろ灯里にしろ、大切には想っても、恋愛感情に発展する兆しすら見えない自分のふがいなさに腹が立ったのか。



「あっ、藤間くん、おはようっ!」

「おはよー。あはは、寝癖すごーい」

「あ、そーそー、藤間ね。……あんたまだ寝ぼけてんの?」


「……よう」



 ちょうど歯を磨いてさっぱりしたとき、女子三人組はタオルを持ってシャワー施設から宿の敷地へ入ってきた。


 つーかなんだよ高木の「いまあいつの名前出てきたわ」感。完全に直前の灯里の挨拶を聞いてるからね? 思い出せてないからね?


「……三人で行ったのか?」

「リディアはまだ寝てたし、しー子も誘ったけど、朝5時にシャワーしちゃったって。あの子ウケるくらい朝早いね」


 ああなるほど、アッシマーも誘ってくれたのか。こいつらは仲良し三人組だから、アッシマーが疎外感を感じないかとすこし不安だった。

 ……もっとも、俺が心配するようなことではないんだけど。



「今日はどーするん? あたしらも一緒に回っていいん?」

「んあー……それについてなんだがな。一緒に回る場合、ちょっと謝らなきゃいけねえことがある。アッシマーもいるときに話すわ」


 昨日に引き続き、高木たちにはパーティを組む意志があるようだ。


 俺の呪いと高木や鈴原の弓は相性がいい。

 というのも、牽制や敵の動きを止めるだけにとどまるはずの射撃が、損害増幅アンプリファイ・ダメージにより、一撃で葬ることはなくとも、戦闘継続が困難になるほどの致命打を与えられるようになる。

 だからぶっちゃけ一緒に回ってくれるのはありがたい。


 しかし、高木がグループ内で揉めた原因のひとつを、いまの俺は持っている。


──


「いやなにそれ、キツくね?」


 相変わらず量の多い朝食が済んだ後、自室にて。


 俺が全員に話すべきこと。

 それは親からの仕送りがストップしたため『アルカディアでの稼ぎの一部を現実世界の金に替えなきゃいけない』ってことだった。


 それは高木とイケメンBCの確執……その原因となんら変わらない。

 だから、高木の反応も頷ける。


「だよなぁ……。なんなら俺、しばらくひとりで採取するから別行動にするか。その代わり、夜にはちゃんと帰ってきてくれよ。女子だけじゃなにがあるか──」

「いやちげーし。どんな勘違いしたらそうなるわけ?」


 高木にため息で返される。


「んあ?」

「キツいっつったのはあんたの境遇だって。なに? 親に大丈夫だって判断されて仕送り打ち切られたんっしょ? あんた大丈夫なん? 親と仲悪いん?」

「…………え」


 ……まさか高木に身の上を心配されるなんて思っていなくて、情けない声をあげてしまう。


 え、なに? ってことは、ヤバいって言ったのは、一緒に行動するって決まった瞬間、スタンス変更とかヤバくね? って意味じゃなかったってことか?


「や、仲はべつに……良くはねえけど──」

「そ、それよりっ! 今後のこと、どうするか考えない?」


 灯里が珍しく大きな声を出して流れを断ち切った。やや不自然に思える行動。自然と灯里に耳目が集まる。


「あ、ご、ごめん。家のこととか、人それぞれだからっ。足柄山さんはどう思う?」

「わ、わたしですかっ? そ、それはそのう……」


 灯里の行動を不自然に思いながらも、灯里には手を合わせたい気持ちだった。

 正直、家のこととか、家族のこととか、いまはあまり考えたくなかったから。


「ぅ……で、できればですねっ。わたしもそのぅ…………えへへ……うち、貧乏なので……いくらか現実のお金に両替させていただけるとうれしいですぅ……」

「え、お前そうだったの。なんでもっと早く言わねえの」

「言えるわけないじゃないですかぁー……。藤間くんすごく必死だし、全力でアルカディアにお金使ってますし……」


 ん……そう言われりゃそうか……。

 これまで、現実の金に両替しようだなんて、ひとつも思っていなかった。


「もしかしてお前、俺に金の管理を任せてたのって……」

「はいぃ……。そのぅ、現実でギアを確認して、所持金20シルバーとか書いてあると、10シルバーくらいなら……って、一万円に替えてしまいそうだったので……」


 以前、金をそれぞれで管理するかと声をかけたとき、無駄遣いしそうだからいい、と返された。

 アッシマーには金遣いが荒いとか、無駄遣いをするとかそういった印象はまったくない。そんなアッシマーが欲に負けるかもしれないってことは、足柄山家は相当金に困っているんじゃないだろうか。



「しーちゃんはひとり暮らしなのー? ウチと亜沙美はひとり暮らしなんだけどー」


 何気ないような鈴原の質問。

 しかしアッシマーの答えによって、201号室は凍りつく。



「いえいえ、わたしは十一人きょうだいの長女なんですけど、借家に十一人で住んでますよぅ?」



 え。



 …………え。



「「「ええええええええっ!?」」」


 女子たちの悲鳴。


 ちょっと待て。

 ツッコミどころが多すぎる。


「えへへぇ……わたしのことなんてどうでもいいですよぅ。それより灯里さんのおっしゃるとおり、この先どうするかを──」

「いやいやいやいや。ちょっといい? あ、いや、でも訊くの悪いし……んー、でもごめん、訊かせて。十一人きょうだいってのもアレなんだけどさ。十一人で住んでるってどーゆーこと?」


 うっわ高木のやつ訊きやがった。

 すなわち、十一人きょうだいで、両親と合わせて十三人、あるいは母親か父親と十二人で住んでるっていうのならまだわかるけど、十一人だと計算があわないってことだ。

 あれだよね? 長女はアッシマーだけど、歳上の長男と次男が成人してて、別のところへ出稼ぎに行ってて、両親ときょうだい九人で住んでるってことだよね?



「はいっ。わたしたち、両親いませんのでっ」



 ぐあ…………。


 あまりにも。


 あまりにも普通のトーンでとんでもないことを語るアッシマー。


 どんな状況でそうなったのかなんてわからない。

 でも、さすがにヘヴィすぎるだろ……。


 灯里と鈴原は顔を両手で覆って、高木なんてボロ泣きしてんじゃねーか。


「ごめん……ごめん! そのあたし、ごめんっ……!」

「はわわわわ……た、高木さん?」

「あんた、めっちゃ大変だったんだね……!」


 アッシマーの胸以外華奢な身体を強く抱きしめる高木。なんで女子って唐突にゆりゆりしだすの?


 ……しかし、アッシマーがそんなに大変な生活をしていることなんて知らなかった。

 そしてアッシマーが現実に金を使えなかった遠因は俺にあるのだ。


 ……くそっ。

 いっつも笑ってるから、そんなこと露ほども思わなかった。

 そんな俺を察したのか、高木の肩越しにアッシマーが、


「藤間くん、ほんとうに気にしないでくださいね? むしろわたしは感謝していますのでっ」


「……んあ? 感謝?」


「はいですっ。もしも最初のころから現実のお金に両替していたら、こんなにも早く、強くなれませんでしたのでっ」



 ……。



「……いまでもゲロ弱だけどな」



 アッシマーに己の弱さをゆるされたような気がして、甘えようとする自分が情けなく、ごまかすようにまたひとつ皮肉った。

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