05-17-承──飾らない想い

「なんかさー、最近伶奈、元気なくね?」

「そ、そうかな? 普通だよ? あはは……」


 クラスの後方。

 亜沙美ちゃんに虚をつかれ、すこしたじろいだ。


 亜沙美ちゃんは勘がいい。私と違って、本当の意味で頭がいい。

 複雑な図式問題はわからなくても、ものごとの本質を見抜き、筋が通っていなければ容赦がない。


「え? なになに? 伶奈元気ないん? なにあったん?」

「困ったことがあったら言ってくれよな。どこでもすぐに駆けつけっから!」


「ほ、本当になんでもないから……!」


 同じグループの、望月慎也くんと海野直人くん。

 彼らは事ある毎にこう言ってくれるけど、私は『すぐに駆けつける』という言葉が信用できないということを、身をもって知っている。それを信用した私のせいで、藤間くんがどれほどの痛みを余計に被ったのか、考えたくもなかった。



「ふーん……なんでもない、ねー」


 いつも私が見つめていたからだろうか、亜沙美ちゃんだけは、藤間くんが眠る席を睨むように凝視していた。


──


 胸が苦しい。


「げっ……藤木じゃん」


 朝の通学路。

 どうすれば信じてくれるの? という私の問いを藤間くんからつっけんどんに返されて落ち込んでいるとき、亜沙美ちゃんと出くわした。


 藤木くんじゃなくて、藤間くんだよ──


 


「ぁ、ぅ」


 藤間くんには聞こえていないだろうけど、お友達が好きな人の名前を間違えているのは悲しかった。

 そしてなにより、友人をたしなめる勇気すら出ない自分がもどかしかった。


──


「あんなやつのどこがいいの?」


 放課後。

 お手洗いが終わったあと、亜沙美ちゃんが壁に寄りかかって待っていた。


「スタバ行こ」


 勘がいいという次元じゃない。

 私はそれほどわかりやすいのだろうか。それとも亜沙美ちゃんは私には見えない力でも持っているのだろうか。

 どちらにせよ、スタバで席に座り、15分沈黙する私をじっと待ってくれるお友達に、隠しごとなんてできる気がしなかった。



「伶奈あんたそんなことあったん!? 大丈夫だったん!?」

「う、うん。藤間くんが助けてくれたから」


「へー……あの藤……藤なんとかがねー」

「藤間くんだよ、亜沙美ちゃん」


 どうしてこのひとことを朝に言えなかったのか。いまとなってはどうしようもないけれど。


「まー……なんつーかさ。同じオンナとしちゃ、惚れるのもわからんでもないけどさ。……でもさー、実際なんかあいつって、パッとしないじゃん。それでも好きなわけ?」

「うん」


「顔とかいまいちじゃね?」

「そ、そう? わ、私はその、かっこいいと思うけどな……」


「うそ、目つきとか悪くね?」

「そうかな? ワイルドだと思うけど……」


「喋りかたキョドってね?」

「私もすぐ緊張しちゃうから、いっぱい喋る男の人よりずっといいな……」


「そ、それにさ、なんか暗いしさ」

「クールでかっこいいと思う、な……ぁぅぅ……」


「はい降参あたしの負け。わかった、わかりましたー。あんたどんだけ好きなんだって……」


 なにが勝ち負けなのかはわからないが、どうやら私の想いは、少なくとも亜沙美ちゃんには伝わったようだった。


「でもさ、あんたから見れば王子サマかもしんないけどさ。あたしからすれば可愛くて大事な伶奈を預けるに相応しいかわかんない。だから見極める必要があるっしょ」

「そ、そんな、いいよ亜沙美ちゃん……!」


──


 …………。


「ごめん伶奈、そんなつもりなくて、ぐすっ、えぐっ、ごめんんんんー……」



 …………。


「でも、伶奈があそこまで言われることあたしした!? うぅぅぅぅぅー!!」



 …………。



「お前、虐められてんのか?」

「告白の次は話しかけるだけで罰ゲームかよ」

「演技上手だな。女優志望か?」

「二度と話しかけんな」


 真っ白になった。

 終わりだと思った。


 夜のエシュメルデ。マナフライの下で藤間くんから真っ直ぐ向けられた敵意は、チンピラの悪意とは比べものにならないくらい、私を絶望へと追いやった。


「亜沙美ちゃんは、悪くないよ」

「悪いって! 殴って! あたしを殴ってよ! うわあああああああぁぁぁぁん…………」

「悪くないよ」


 大切なお友達を抱きしめる。

 私のことを想ってこんなに涙を流してくれるお友達を、きらいになんてなれるわけがなかった。


「亜沙美ちゃんは、悪くない。心配してくれたんだよね? ありがとう」

「ううううぅぅー……! ふぇっ、ぶええぇぇぇ……」


 肩に乗るサラサラの頭を撫でながら、藤間くんの態度を思い返し、きっとなにか──私の知らないなにかがあると思った。

 もしかしたら私がなにかをしてしまったのかもしれない。しかし残念なことに、なにかをしでかすほど私と藤間くんの距離は近くない。

 あるいは、身体を張って私を助けてくれたのに、私からお礼を言い出せないことに怒りを覚えているのか。


 絶望の中心はまるで台風のように静かなのか、それとも私の代わりに亜沙美ちゃんが慟哭してくれているからなのか、こんな状況で私は自分の置かれた立場より、藤間くんの哀しみにも似た怒りの淵源が気になった。


 そしてなにより、きらわれたくらいで、きらいになれるはずもなかった。


──


 胸が苦しい。



『夜にひとりで外出ってどういうつもりだよふざけんなよマジで』



「ふにゃー…………」

「ほらほら、伶奈、可愛い顔が台無しだって」

「でもよかったねー。藤間くん目つき悪くて怖いけど、それだけじゃなくてー」


 ありがとう、亜沙美ちゃん。

 昨日「二度と話しかけるな」って言われて、今日の朝、鞄で藤間くんの肩を叩くとき、亜沙美ちゃんの肩が震えてたこと、私知ってるから。


 藤間くんは私のこと、覚えてくれていた。

 それどころか、私よりも私を心配してくれていて……。



「ふにゃー…………」

「……だめだこりゃ。ま、ただのいやなやつってわけじゃなかったみたいだね。口は致命的に悪いしめっちゃむかつくけど」

「なんであんな態度とってるんだろー? 藤間くんは伶奈を助けたことを覚えてて、向こうからもなにも言ってこないんだよねー?」


 やっぱり怒ってるのかな。

 あのとき、助けてくれてありがとう、のひとことが言えないことを。


──


 私は知っている。

 『やさしさ』とは『言葉』じゃないことを。



「困ったことがあれば、すぐに言いなさい」

「二度と娑婆に戻れなくしてやる……!」



 電話に出なかった父も、



「なんかあったら言ってくれよな! すぐ駆けつけっから!」

「手こずらせやがってこの野郎! オラッ、オラッ! オラアッ!」

「あっ馬鹿直人、首とか心臓は最後にしろよ。楽しめねーだろ」



 望月くんも海野くんも。


 

 その人の深淵しんえんに触れたとき、外面そとづらという名の外壁から漏れる内面を知る。


 人は己を良く見せようとするいきものだ。父も彼らも、もちろん私だって。

 だから、結婚の前に同棲を経験したほうがいいという意見もあるほどだ。それほど外面に隠された内面とは醜いものなのだ。


 なのに。


 なのになのに。



「私、男の人に歩道側、譲ってもらうのはじめて……。嬉しい、な」



 藤間くんの深淵に触れるたびに。



「矢が……! 危ねぇっ……!」

「きゃあぁぁあああぁぁっ!」

「藤間くんっ、藤間くんっ!」



 藤間くんのやさしさが伝わってきて。

 藤間くんは言葉で『やさしさ』の振りをしないぶん、ぶっきらぼうな言葉そとづらの内側に、やさしさを隠していることを知って、



「灯里は俺のだ。お前らにゃ死んでも渡さねえっ……!」



 その言葉を背中からではなく、ついにあなたの隣で聞いて。



 私を守ってくれるためのかりそめだとわかっていても、待ってくれと言われても、もう無理だった。


 その手を握りたい。

 その胸に顔をうずめたい。

 その唇に口づけしたい。

 その腕で私をかき抱いて、本当にあなたのものにしてほしい。



 したいことも、してほしいことも溢れて、どうにかなってしまいそうだった。



 でもそんなこと、言えるわけがない。



 いつものように、溢れる想いを涙に変えるわけにはいかない。



 だから。



 だから、ごめんなさい。




 もう、我慢できない。




「好きだよ、藤間くん。大好き」




 涙のかわりに、欲望のかわりに、あの日から一秒ごとに大きくなり続ける、あなたへの真っ直ぐな、飾らない想いを。

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