05-14-恐怖と勇気と消えてゆく言葉
祁答院悠真と藤間透──ふたりが出ていった後の教室には、彼らと入れ違いにざわめきが生まれた。
「藤間と祁答院くん? なんで?」
「やっぱあのグループぎこちなかったし、その関係じゃないの?」
人は悪の在処を求める生きものだ。
そして己の都合の良い解釈で話を捏造し、噂はそれらしい話へと収束してゆく。
「望月くんも海野くんも藤間のこといろいろ言ってんじゃん?」
「じゃあ仲悪い原因は藤間? やっぱりあいつヤバくね?」
祁答院が善、藤間が悪という図式がすでに出来上がっているこの教室において、皆にとって一番都合のいい噂はこれであった。
「目つき悪いしねー……」
「なに考えてっかわかんねーし。そういやこないだの体育でも藤間が原因で揉めてたしな」
「じゃあ祁答院くん、説教しに行ったってことだよな? 藤間がまたなにか悪いことしたってことかー」
灯里伶奈はそれに憤りを感じていた。俯き、華奢な身体を震わせる。
そんな彼女の真向かいで昼食を摂っていた足柄山沁子は伶奈の悔しさを汲み取って、そして同じように自分も感じた憤りを燃やし、二度深呼吸すると、拳を握って立ち上がった。
「ふ、ふ、藤間くんはそんなことしませ──」
「藤間くんは悪くないッッ!!」
勇気が出せず震える身体を、弱々しくも一生懸命な勇気が、そしてもうひとつ──涙混じりの勇気が
自分勝手な囁きを、目には見えぬ言葉の刃を、自覚無き悪意渦巻く教室を斬り裂いて、静寂と注目を生み出してゆく。
誰もが知っている。
自分や、自分の親しいものに向かぬ悪意は甘美であると。
誰もが理解している。
甘美を邪魔されたとき、悪意は消えるのではなく、邪魔したものへと矛先が変わるだけなのだと。
それが怖いから、みな悪意に乗る。
恐ろしいことに人間は、自分を守る盾を創り出しておいて、格下と認定した誰かに生贄という役目を押し付けておいてなお、あいつが盾になっているあいだ、自分は安全だ、という『愉悦』に浸ることすらできるいきものなのだ。
そんな現代社会の縮図のようなこの教室に、己を顧みず、悪意の標的にされ続けた少年を助けようとする人間が、たったふたりだけ現れた。
「ぁ……ぅ…………」
「か、香菜、あんた……」
「藤間くんは、ウチという人間を守ってくれた。……だから、そんなふうに言わないで!」
耳目が沁子に集まったのは一瞬で、すぐさま注目の標的は憧れのトップカースト、涙を流す鈴原香菜に移ろった。
あんたそんなキャラじゃないでしょ!? なにがあったん! と
少年の味方がひとり増えたことに、柔らかな笑みを浮かべながら腰を下ろす足柄山沁子。
そして。
「ぁ…………ぅ…………」
またしても。
またしても勇気を奮えず恐怖に震え、沁子への負い目を拭えぬまま、黒髪は力無く揺れる。
そしてなによりも、自分の想いは誰よりも強いと思っているにも関わらず、たったいま藤間のために己を犠牲にした沁子、そして香菜にこの想いが負けているのではないのかと、香菜に続いて視界を滲ませた。
「あ、灯里さん!?」
「え、ちょ、伶奈!?」
「来ないでっ……!!」
男子が驚くほど小さな弁当箱を机上に残し、弁当箱どころか倒した椅子も、ぶつかった教卓も、友人の悲鳴も、勢いよく開けた扉も教室のざわめきをも置き去りにして、長い黒髪さえ教室へ置いていくように、伶奈は教室を飛び出していった。
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