05-藤間透が悪で何が悪い

05-01-あんたたちの世界にはマヨネーズも胡麻も無いかもしれないけど

 ガンガンとすべてをぶち壊すような轟音が、俺の安らぎを乱暴につんざいた。


 いいか、睡眠ってのは、人間の有する三大欲求のひとつだ。だから誰にも邪魔されず、不可侵で、どこか救われてなきゃダメだと思うんだよ。


「あんちゃん早く起きな! アッシマーちゃんは何時から起きてると思ってるんだい! ご飯冷めちゃうでしょ!!」

「んあー……」


 そういう俺の意見とはお構いなしに鳴り響く騒音に目を開けると、なぜか部屋に女将がいて、左手には銅鑼どら、右手には先端に白い布を被せた木の棒を持っていた。


「んあー……」


 ガァンガァンガァンガァン──!!


「んあぁぁぁあぁ……!」


 うるせえ。

 急かすような、焦りを覚えるような轟音。

 耳を塞いでも聞こえてくるし、なにより音の振動がすでにうるさい。


 すべてを断絶するように布団をかぶる。

 言っとくが絶対に起きねえからな。何人なんぴとたりとて俺の睡眠を邪魔することは──


「な、なんてしぶとい子だい……! これはアタシの膝を出すしか……」


 はね起きた。

 なに膝って。いくらなんでも怖すぎじゃね?


──


 おそるおそる臨んだ食卓には、香ばしいコーヒーの香りが漂っていた。


「え、嘘。ちゃんとモーニングっぽいんだけど」

「あんたはアタシがなにを出すと思ってたんだい……」


 初めて訪れる広間には女将、その娘であるココナ、そしてアッシマーとリディアが中央の長テーブルに腰掛けていて、俺に「やっときた」とでも言いたげな視線を向けてきた。


 床には年季の入った──しかし清掃の行き届いた赤い絨毯が敷いてあり、広間と言うだけあって、中央にはみなが座っている十二人掛けのテーブル、壁際には四人掛けと二人掛けのテーブルがそれぞれ二卓ずつ設置されている。部屋の一隅を小上がりが占めていて、座布団がわりのクッションまで並べてあった。


 ……しかしまあ、なんとなくわかっちゃいたけど、やっぱりこの宿って、俺たちしか客いないんだな……。



「先に食ってもらってよかったんだけど」


「そうはいかないよ。食事は家族みんなでとらないとね」


「わたしもそう思いますっ」


 恥ずかしくなるような女将の台詞にアッシマーが首肯した。


「……かぞく」


「そ、家族。同じ家に住んで同じご飯を食べるんだ。もう家族だろ?」


 家族という言葉を噛みしめるように俯いたリディアに、女将が優しく笑いかける。俺に膝を向けた女性の笑顔とは思えない。



「それじゃいただきます」

「「いただきまーす!」」

「「…………いただきます」」


 異世界で日本と全く同じ『いただきます』を聞くとは思わなかったし、自分が口にするとは思わなかった。


 皮肉だよな。

 いただきますなんて言うの、いつ以来だろうか。

 現実じゃなくて、こんな異世界アルカディアで言うなんてな。



 朝食はコーヒー、レタスたっぷりのグリーンサラダ、そして黒パンの何倍の大きさなのかわからないほど圧倒的でかさの、俺たちの世界でいうところのフランスパン──バゲットが二本。

 このメニューも、一人暮らしをはじめてから現実でも口にしていないものばかり。

 匂いは完全にコーヒーな液体……しかし異世界だから、という理由だけで、本当にコーヒーなのかといぶかってしまう。

 おそるおそる口をつけ、豊かな苦味と酸味に顔をしかめる。


 ……あ。たぶんこれ、マジでコーヒーだ。

 たぶんというのは、俺が現実でもろくにコーヒーをたしなんでいないからであって、じゃあ本物かどうかなんてわからないだろ、なんて言われたら、たしかにそうなんだけど……。


 苦い。

 苦いが、なんか、美味い。


 背伸びして飲んだ缶コーヒーの比じゃない。


 レタスにフォークを指すと、端のほうにベージュ色の液体が付着している。


「このレタスについてるソースって……」 


 悪いよな、と自分を責めながら女将に目をやると、怒るどころか自慢げに豊かな胸を張り、


「すこしだけ薄めたマヨネーズに、胡麻ごまえたのさ。……ま、あんたたちの世界にはマヨネーズも胡麻も無いかもしれないけど。美味しいから食べてみな」


 とんでもないことを言って、キッチンへと向かっていった。


 異世界間交流がはじまってから、長い時が経つ。

 電気も水道も通っていないのに、現実の勇者たちは、食文化の布教だけは怠らなかったようだ。


 卵が先か鶏が先かみたいな話になってるなんて、先人たちは思ってもいないだろうけど。


 シャキッとしたみずみずしさが口のなかに広がる。

 ごまドレッシングとマヨネーズのあいの子のような、それでいて優しい味。


 うめえ……。



 次はフランスパンだ。

 60~70cmのバゲットが、恐ろしいことに、全員の席にふたつずつ乗っている。


 サクッ……。

 この音は、向かいに座るアッシマーから聞こえてきた。


 バゲットを両手で持ったアッシマーは、それを頬張ったまま、大きなダークブラウンの瞳を輝かせる。


「~~~~~~~~!」


 アッシマーの顔が言っている。

 これ、絶対に美味いやつだ、と。


 手に持つと、まだ温かい。

 鼻腔をくすぐる香ばしさ──


 サクッ……。


 ついにその音が、俺の口から鳴った。


 俺の知っているバゲットの、ガリっとした食感ではなく、どこまでもさっくりとした、心地よくすらある優しい音。

 かと思えば中は極上のやわらかさで、匂いから期待した香ばしさと、期待以上の甘みを運んでくる。


「うっま……!」


 ヤバすぎる。

 いままで食ったパンのなかで、いちばん美味いかもしれない。


「大丈夫なのかよ……。初日だからって、貴族用のパンを買ってきたんじゃ……」


 貴族のことをなにも知らない俺のつぶやきに、ココナが笑って応える。


「にゃはは、にゃにを言ってるにゃん。これは毎朝、ママが焼いてるパンにゃ」


「パンまで焼くのかよ。あの女将、何者なんだよ……」


 リディアはサラダをちくちくしながら目を大きく開き、アッシマーはパンを頬張ったまま「このパンが毎朝食べられるなんて……」とでも言いたげに、目をさらにきらめかせた。


「でもさすがに多くね。美味うまいけど多くね?」


「冒険者用に、朝はわざと多く出すのが宿の基本にゃ。昼はダンジョンで過ごすことも多いから、朝夕の一日二食を宿で出して、朝食で余ったぶんは昼のお弁当にするにゃん」


 ああなるほど、そりゃ朝飯でフランスパン二本は食えねえよな。つーかむしろ朝は一本の半分でいいわ。

 どれだけ美味くても、いつも100円のスティックパンを食ってる俺からすれば、それでもキツいくらいだわ。


「お待たせ」


「うわーい! 待ってたにゃー!」


 サラダを一度口にしたきり姿を消していた女将が、キッチンペーパーのようなものを下に敷いた編み籠をテーブルに置く。

 覗き込めば、なかには黄金色の長い揚げものがたくさん入っていて、うまそうな、しかし寝起きにはつらい油を弾いていた。


「これは?」

「フィッシュフライだよ。大体毎朝これを揚げるから」


 パンもサラダも多ければ、フィッシュフライもでかかった。というよりも長い。フランスパンほどの長さのある揚げものが、それぞれの皿に2本ずつ取り分けられてゆく。

 口には出さなかったが、朝から揚げものとかよく食えるよな……。そんな辟易した視線をずらすと、


「あっ……! サクサクしててすごく美味しいですっ……!」


「ココにゃんはこれが大好物だにゃん♪ このタルタルソースをつけるともっと美味しいにゃん♪ ママー! パンのおかわりはあるかにゃん?」


「あるよ。チーズはどうする?」

「もちろんほしいにゃ!」


 アッシマーとココナはどうして太らないのか疑問な勢いでパンとフライをむさぼってゆく。

 タルタルソースまであるのかよ、なんて疑問は一瞬で消えた。


 積極的にパンとサラダを食べていたリディアは俺と同じく朝が弱いのか、二本の巨大なフライに手をつけず、ぬぼっとした視線を向けている。


「ココにゃんのオススメの食べ方は……こうにゃ!」


 ココナはフランスパンに切り目を入れ、そこにタルタルソースをたっぷりかけた長いフィッシュフライを挟み、チーズ、サラダも挟んでゆく。


「あっ……! ココナさん天才ですっ……! わたしも……」


 そうして出来上がったのはカロリーの高そうなフィッシュフライサンド。それを14歳と15歳の少女はなんのためらいもなく口の中へと押し込んでゆく。


 リディアは羨ましくなったのか、ふたりを真似してフィッシュフライをパンに挟んで、両手でゆっくりと口に運んでいった。


──


 朝食が終わり、部屋に戻ってひとやすみ。


 フィッシュフライ一本とフランスパン一本はかなりキツかった。

 いや、めちゃくちゃ美味かったんだよ。でも元より食の細い俺からすれば量が多すぎた。


「げふー」


 俺と同じ量を食ったリディアは、美女がしてはいけない顔になって腹を押さえている。


「藤間くん、採取に行きましょう!」

「お前なんでそんなに元気なんだよ……」


 結局ココナとアッシマーはパン二本、フィッシュフライ二本を平らげ、おかわりとしてもう一本ずつ女将から受け取り、それを昼の弁当にしていた。


「お前、俺たちの倍食ったよな。どこにそんなに入るんだよ……」

「えっ! わたしそんなに食べてました? そ、そんなに食べてないですよぅ……」


 これでアッシマーが太っていれば納得なんだが、華奢な灯里や胸以外細いリディアより少しぽっちゃりしている程度で、とてもそんなに食うようには見えない。


 少し前まではアッシマーってぽっちゃりしてるなってイメージだったが、それは異常に発達した胸のせいでそう見えるだけであり、腰や脚はそう太ってもいない。むしろ程よい肉付きが……って、いやそんなマジマジと見てないよ? ボロギレやコモンパンツが膝下をカヴァーしてないから赤裸々に見えちゃうだけだよ?



「透、伶奈はどうするの」

「来るつもりみたいだけど詳しいことはわからん」


「今日もサシャ雑木林にいくつもりだけどどうする」

「アッシマー次第だな」

「わ、わたしですかぁ……」


 昨日マンドレイクを調合に使うことで疲労困憊ひろうこんぱいしたアッシマー。

 ぶっちゃけ今のところはエペ草とライフハーブとオルフェのビンで完成する『薬湯』までの調合に止めておいたほうが稼ぎはいい。


 しかし将来のために、いまここでマンドレイクの調合を重ねることで、調合経験値を稼ぐというのももちろんありなのだが……。


 アッシマーは、俺や灯里、リディアの努力を無駄にすることを非常にきらう。



『はぁああぁぁああぁああ!! ごめんなさいぃぃぃぃぃ!!』


 調合に一度失敗するだけで絶叫。二度失敗すればベッドに倒れ込む。だから本当は、もうすこしほかのことで調合の経験値をあげてから改めてマンドレイクの調合に挑戦したいのだろう。


「マンドレイクと薬湯の調合でマイナーヒーリングポーションが完成するんだよな。成功率は何%なんだ?」


「ふぇぇ……39%ですぅ……」


「それならスキル補正で60~70%くらいまでいくんじゃないのか?」


「う”っ……。す、スキル補正コミコミで39%なんですよぅ……。ふぇ……ふぇぇぇぇぇん…………」


「それ昨日の時点で言えよ」


「だ、だって……! みんなわたしに期待してくれるからっ……! 頑張らなくちゃって……!」


 お前39%で頑張るやつがあるかよ……。

 ってことは、44回の調合で20個のポーションが完成したのって、結構御の字じゃねえか。


「リディア、エペ草とかライフハーブを調合してるだけでポーションの調合成功率も上昇すんのか?」


「すこしは。でも薬草や薬湯とポーションではそもそも難易度がちがいすぎるから、そこまで期待はできない」


「マンドレイクを消費せずに成功率を増やす良い方法ってないか?」


「戦闘してレベルをあげること。レベルがあがるたびに成功率はあがる。ほかには、薬湯よりむずかしくてポーションより簡単な調合や錬金、加工をくりかえすこと」


「道のりは遠そうだな……」


「むしろレベル2でポーションの調合をしようとする人はいない。レベル2でマンドレイクの採取ができる人なんていない。ふたりとも異常。すこしあせりすぎ」


 すこし焦りすぎって、俺たち昨日あなたに連れられてマンドレイクを採取したんですがそれは。


 どちらにせよリディアとは別行動だ。

 なぜならリディアが一緒にいると、レベル差がありすぎるということで、俺たちに経験値がひとつも入らない。


 俺たちはその姿さえ見ることがなかったが、昨日サシャ雑木林でリディアと召喚モンスターが倒したモンスターの数は81体だったらしい。

 しかし俺たちに入った経験値はゼロ。いったいリディアは何レベルなのだろうかと問うと、恥ずかしそうに顔を赤らめて「ひみつ」と言われてしまった。これは10や20じゃねえな。


 リディアはアッシマーにいくつかのレシピを教えて宿を出ていった。


「藤間くん、本当にごめんなさい……。わたし、足をひっぱって……」


「馬鹿言うな。そんなふうに思ってねえよ」

「ぁぅ……」


 むしろ普段、足を引っ張ってるのは俺のほうなんだから、ここらで汚名返上しねえとな。


 さて、もしも灯里が合流するんならレベル上げをしたいところだ。俺、コボたろう、アッシマーだけじゃ危なすぎる。

 もしも合流しないのならいつもどおり採取で、襲ってくるモンスターが単独なら戦闘、団体様ならガン逃げという、すこし前と同じコースだな。



 トントン。

 そんなとき、控えめなノックの音。



「お、おはようっ!」


 見慣れた扉から長い黒髪の美少女が顔を覗かせた。


「アッシマー、レベル上げに決定だ」

「は、はいっ!」


 灯里の姿を見て、アッシマーは安心した表情になった。


 39%だっていいじゃねえか。

 1%ずつ伸ばしていけばいい。


 焦らずに、お前のペースで。



「灯里、また先に買い物いいか」

「うん、もちろん! えへへ……今日は私も買うんだぁ」

「灯里さん灯里さん、今日はわたし──」



 俺も灯里も、お前を急かしたりしないから。



 だからどうか、悲しい顔をしないで──



 だからどうか、お前のままで──

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