04-02-なんでコボたろうはあんな離れた場所にいるんだよ

「ふんふんふーん♪」


 それはまるで、ゆりかご、だった。


「ふんふふんふーん♪」


 目の前でゆりかごが揺れているような、柔らかであたたかく、伸びやかなビブラート。


「ふんふーん♪」


 ゆらりふわりとたゆたって、いつの間にか目の前にゆりかごがあるんじゃなくて、俺がゆりかごの中にいるんじゃないかという気にすらなる。


「ふんふんふーん♪」


 俺は赤ん坊だったころの記憶なんて当然持っちゃいないが、甘やかなメロディーが、あやされているようで、心地良くて──


「ふーん♪ ふんふーん♪」


 しかしと言うべきか、やはりと言うべきか、それに甘えっぱなしではいけないと、揺られているのは俺ではないと、ひねくれた俺は目の前のゆりかごをそっと掴むように目を開けた。



「んあー……」


 アパートとは違う、枯茶かれちゃ色の天井。

 俺が首を捻る前に、優しい音色はぴたと止んで、


「おはようございますっ」


 甘やかなビブラートの主は、やはりベッドとベッドの間に設置してあるステータスモノリスの前にいて、にっこりと俺に笑いかけてきた。


 なんだか、もう少し眠っていたくなるような、今日ずっとサボっていても許してくれそうな微笑みに、いやいやさすがにそれはいかんだろ、と、瞬きをふたつして半身を起こす。


「おはようさん。……顔、洗ってくるわ」


「はいですっ」


 ベッドからのそのそと這い出て、布団の温もりを名残惜しむ。


 しかしなんとなく、今日は、昨日よりもあたたかい気がした。



 アッシマーは相変わらず朝から調合、錬金、加工とせわしなく動き回ったうえに、朝食である黒パンの調達と朝のシャワーまで済ませたようだった。


 相変わらず元気。

 相変わらずの朝。


 その相変わらずが、こんなにも尊い。


 しかし顔を洗っても歯を磨いても、相変わらず眠いのはなんとかならないものだろうか。


「なあ、早起きするコツってなんかあんのか?」


 ベッドに腰かけ、アッシマーが買ってきてくれた黒パンの包みを開きながら、現実での疑問をアッシマーにぶつけてみた。


「コツですかぁ……。わたし現実でも早起きですし、早く寝ることですかね?」


「早くって何時に寝てんだよ。少なくともアルカディアで寝るタイミングは一緒だろ」


「わたし24時くらいには寝てますよ?」


「俺と一緒じゃねえか。理不尽すぎるだろ……」


 睡眠の質が悪いのだろうか。もしかして枕? 枕なのか?

 三万円くらいする『じぶんまくら』みたいなやつに交換したら改善されんのかな。でも枕に三万円はさすがに金持ちの道楽だよなあ……。夢のある道楽だ。枕だけに。やかましいわ。

 つまらないことを考えてしまったこともキレが悪いのも眠いせいだと責任転嫁し、そんな自分の小ささに苦笑しながらコボたろうを召喚する。



「おはようさん」

「コボたろう、おはようございますっ」

「がうがうっ!」


 白い光を伴って現れたのは、つぶらな瞳、すこし垂れぎみの耳。今日もコボたろうは可愛く元気である。


「アッシマー、もうちょいしたら灯里に会ってくるわ」


「えっ……灯里さんって、クラスメイトの灯里さんですよね?」


 驚いた顔に頷いて返す。むしろ俺の数少ない知り合いのなかで、ほかに検索候補などあるはずもない。


「あ、あの、もしかして、帰りは遅くなるパターンですか? それとも、もしかしてお泊まり?」


「お前なにぶっ飛んだ想像してんの? ちょっと会うだけだっつの。こないだ手に入れたスキルブックを渡すだけだ。なんならアッシマーが渡してくれたっていい」


 アッシマーはひとつ息を吐いてから、ふるふると横に首を振る。


「い、いえっ、いいですよぅ……。それはさすがに灯里さんに申しわけないといいますかっ」


「申しわけないの意味がわからんっつの……」


 はぁとひとつため息をついて、俺はようやく硬い黒パンにかじりついた。


──


 商業都市エシュメルデには、いくつもの広場がある。


 北には高台から海を俯瞰ふかんできる海浜広場、西にはエシュメルデとエシュメルデを見下ろす山脈を魔力ゴンドラで往来できる丘陵広場、北東にはエシュメルデのお偉いさんの銅像がある記念広場──と、正式名称は知らないが、俺はなんとなくそう呼んでいる。


 ともかく、エシュメルデにはいくつもの広場があって、俺が噴水広場を指定したのは、決してムードづくりなんてチャラい理由じゃないし、女子と会うから一応気を遣って──なんて無駄な努力なんかでもない。


 広場は数多くあれど、噴水を持つ広場は中央のひとつしかないため、目印として都合がいいからだ。


 そしてなにより、宿から近い。

 なにこれ、ふたつめの理由が強すぎてひとつめが霞む。



 中央広場は場所がら交通の利便性が高く、さらに夜間は市場が開かれるため、大抵混んでいる。


 陰キャなら人混みを避けるだろうって?

 あたりまえだ。だからこの時間なんだよ。



 ほんのりと活気づきだした街を歩くこと五分、中央広場が見えると同時に目に入ってきたのは、隣にある石造りの大きな二階建ての建物──冒険者ギルド。俺がアッシマーと出会うまで、エペ草とライフハーブを買い取ってもらっていた場所だ。


 ギルドが開くのは朝八時。つまり、この時間は多くの人間がギルドに入っていくため、隣の公園は比較的人が少なくなるのだ。



 そんなエシュメルデ中央広場に予定の八時半よりもすこし早く到着すると、俺の計算通り人は少なかった。


 中央広場の真ん中には大きな噴水があり、みっつの水柱が音をたてて高々と立ち昇っている。水しぶきが円形の縁の側まで飛んできて、水面に映りこんだ目つきの悪い顔にいくつもの小さな波紋を刻んでいる。


 見上げるほどの水柱を透かして望んだ先には七色のグラデーションが緩やかにカーブを描いていて、エシュメルデの青空を彩っていた。


 一方、視線を正面に向けると、水柱の向こうでこちらに背を向けるようにして立っている白いローブ姿が目に入った。


 噴水の縁に沿って回り込む。


 その横顔は見知ったものであるにも関わらず、息を呑むほどだった。


 胸に手を合わせ、どことなく緊張した顔。しかしそれがまた物憂げで色っぽい。


 インナーこそ地味な茶色のシャツとタイトパンツだが、フード付きの白いローブは無垢な可愛らしさと清楚な美しさがあって、灯里の長い濡鴉ぬれがらすを際立たせている。


 美しい水と空に浮かぶ虹の寵愛ちょうあいを一身に浴びたような可憐さをまとった灯里は俺に気がつくと、安心したように息を吐き、石畳の上で俺に手を振った。


「わりぃ、早く来たつもりだったんだけど」


「平気、だよ。待ってるあいだも、楽しかった、から」


 やはり灯里は緊張しているのか、どうにもたどたどしい。どう対応していいかわからないというよりも、決めていた台詞をどうにか言いきったように見えた。


「これ、言ってたスキルブック」


「うん、ありがとう」


 マイナーコボルトから入手した【火矢ファイアボルトスキル強化LV2】を灯里に手渡す。灯里はそれを大事そうに胸に抱いて、五秒ほどそうしていただろうか。名残惜しむように目を閉じると、その本を己のなかに取り込んでかき消した。


「覚えたよ。本当にありがとう」


「よかったな」


「うんっ!」


「んじゃ」


「あっ、あっ、ちょ、ちょっと待って……!」


 くるりときびすを返す俺の背を、慌てた声が呼び止める。


「え、な、なに」


「あのね、その、その……きょ、今日、私も、藤間くんと足柄山さんと一緒に行動させてくれない、かな?」


「…………は?」


 灯里を振り向いた俺の顔は、声同様に相当間抜けなものだったろう。それくらい灯里の質問は意味不明だった。


 身体ごと振り返って問う。


「あいつらは? 高木とか鈴原とか祁答院とか……あー、そのへんといつもつるんでるだろ」


 イケメンBCの名前、未だに覚えてないわ。こっちから絡みにいくことなんてまずないから困らないけど。


「私だけだよ。もうみんなには言ってあるの。……やっぱり駄目、かな」


「駄目とかじゃなくて意味がわからん。こんなこと言うのもアレだけど、べつにいいことなんてないぞ? 一日のほとんどが採取と休憩だしな」


「うん、それでいいの。お願いします」


 しかし灯里は丁寧に頭を下げてくる。少し遅れてフードの下にある黒髪がふわりと垂れた。


 俺としてはぶっちゃけどっちでもいい。


 万が一億が一、あの日──灯里の告白が本物だったのだとしても、あれだけ最低なことを言った俺に恋愛感情なんて残っていないだろうから、変な空気になることもないだろうし、むしろ戦闘能力のない俺たちからしてみれば灯里の強力な攻撃魔法はありがたい。コボたろうも楽ができるはずだ。


「俺はべつにいいけど」


「ほ、本当? よかった……」


 灯里は言葉通り、本当に安心したようで、胸に手を合わせたまま、表情を緩めて微笑んだ。


 俺は、俺には眩しすぎるその笑顔から目をそらすようにして、


「でもアッシマーとコボたろうにも訊いてみないとわかんないぞ。……つーかさっきから、なんでコボたろうはあんなに離れた場所にいるんだよ……」


 いつもは近い場所にいるコボたろうが、いまはすこし離れたところからこちらをうかがっている。


 手を振って呼び寄せると、コボたろうはまるで「だめだこりゃ」とでも言いたげな視線を俺と灯里に送って、首を横に振ってからため息をついた。なぜか灯里の顔が赤くなった。

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