03-そのひとことが言えなくて何が悪い

03-01-あの日の勇気と、宙ぶらりんな告白

 諸兄はベストな睡眠時間というのをご存じだろうか。

 俺は知ってる。七時間だ。ググった。


 なんでも短すぎても長すぎてもダメなようで、高血圧やがん、うつ病になるリスクがいちばんすくない時間が七時間だそうだ。


 この七時間というのは心地よい寝起きにも効果があるようた。だから俺は実践している。


 だというのに。


「……んあー……」


 毎朝寝起きが悪いのは、なんとかならないものだろうか。


 しょぼしょぼした目をこすりながらスティックパン (小倉あん)をはむはむし、制服に着替える。

 ぱっさぱさになった砂漠のような口内をゆすぎ、歯ブラシを突っこむ。


「……んあー……」


 これスティックパン (小倉あん)だった。



──



「お、おはよっ」

「……おはようさん」


 たぶん偶然、一週間以上続いてるけどきっと偶然、通学路で灯里伶奈と出くわした。

 朝の挨拶を返すと、灯里はぱあっと破顔して俺の隣に並んでくる。なにこいつ、子犬かよ。


「その、悪かったな、いろいろと」

「ううん、私こそごめんね。今度こそ藤間くんの力になりたかったんだけど……結局また助けてもらっちゃって……」


 俺の『悪かったな』は灯里の親切やらを信じられなかった『最低』な俺のことを指して言ったつもりだったんだが、どうやら灯里は昨日の砂浜のことだと捉えたらしい。


「べつに助けてねえよ。避けようとしたら矢があたっちまっただけだ。それに、そもそも俺が逃げてなきゃお前らもあんな目にあわなかったろ」


 俺が逃げていなければ。

 俺が強ければ。

 俺が死ぬことも、灯里が危ない目にあうことも、こいつがいまこうしてしゅんと頭を下げることもなかったのだ。


「……」

「……」


 しかし、なんだ。

 俺が最低ってことは、灯里は最低じゃなかったってことで。


 ならばあの日、夕暮れの教室。


 灯里の告白を、俺はどう受け止めたらいいのか。


 罰ゲームじゃないとすれば、なんなんだ。

 あれはまさか本気だったのか……?


 嘘だろ?

 だってぶっちゃけ灯里って可愛いほうの女子だよな? つーかモロ可愛いよな?

 こんな女子が俺みたいな目つきの悪い陰キャに告白……?


 ないない。


 中学を卒業し、高校入学に先立って県外からこっちにひとりで越してきた。

 入学式を一週間後に控えたあの夜──


──


 通学のために関東でひとり暮らしをはじめて間もない俺は、生活用品を買い足すために昼から行動していた。

 駅近くのショッピングセンターで買い物を終えた帰り道。辺りはとっくに暗かった。

 あと一週間で高校生なんだと、慣れない日々が俺に訴えてくる。灰色の高校生活だろうと諦観しつつも、自宅で待つゲームたちのことを想像し、灰色を無色へと退廃的に塗り替えてゆく。

 そうして繁華街から喧騒のないビル街へ景色が移ったとき──


「やめてくださいっ、人呼びますよ!?」


 そんな声が闇をつんざいて、俺の耳に届いた。


 やめときゃいいのに俺はスマホの録画機能をオンにして、声のほう──建物と建物のあいだに身体を滑り込ませた。


 狭い場所を進むと少し広い中庭のような場所で、怯えた様子の長い黒髪の少女と、金髪のチャラ男──チンピラふたりが向かい合っていた。


「そっちからぶつかっておいてそりゃないんじゃないのー?」

「そうそう、慰謝料もらわなきゃねー。なんならカラダでもいいけど?」


 テンプレ的なチンピラと、テンプレ的な悲劇のヒロイン。

 俺がテンプレ的な主人公ならば、すぐに飛び出すところだろう。


「私からなんて……そっちからぶつかってきたんじゃないですか!」


 しかし諸兄もご存じのように、俺はただの陰キャだ。

 飛び出して彼女を助け、その代わりに俺がボコられるなんてアホな真似はしない。

 俺の仕事はチンピラが少女に暴力を振るう場面をスマホにおさめ、少女が後々法的な制裁を下す際の助けになる──それくらいだ。


「俺らから? それ、誰か証明できるん? 俺らふたりはそっちからぶつかったって言ってんだけどなー。ふざけたこと言ってっと犯すぞコラ」


「ひっ……!」


 恥ずかしい話、俺はこれまで散々いじめられてきた。

 言葉でも腕力でも暴力を受けてきた。

 だから、痛いのはもういやだ。


「なーマサシ。めんどいしもうヤッちゃおうぜー」

「アホ。最近はDNAとかで証拠が残るんだよ。こないだヤスがそれでパクられたじゃねーか」

「大丈夫だって。警察に行けないくらい恥ずかしいことしてやりゃこいつもチクんねーって」


 やべぇこいつら、マジもんでやべぇやつじゃねえか。

 明らかに少女を無視した、明らかに常軌を逸した相談。

 明らかにヤバい。


 イジメとかそんなんじゃない。


 犯罪だ。

 ヤバいやつだ。


「ひっ……ひいっ……!」


「オレ最近、首絞めながらヤるのハマってんだよねー」

「痕は残すなよ」


 逃げよう。

 逃げよう逃げよう逃げよう。


 そう思っているのに、脚が動かない。

 逃げるときの足音で気づかれるのが怖い。


 でも、逃げなきゃ。



 ……そう、思っていたのに。


 俺はスマホをもう一度操作してから、


 パシャシャシャシャシャシャシャシャシャ!


 スマホのカメラを速写しながら飛び出した。


 ……三人のほうへ。



「あー! 同人作家の丸焼きシュークリーム先生ですよね!? 俺先生のファンなんすよ! サインください!」


 警察に電話しても間に合わない。

 かといって、俺が止めてこいつらが止まるはずもない。


 こいつらのほうが明らかに強いし、こいつらのほうが明らかに怖い。

 なら、こいつらに勝てるのは『異常』だけだった。


「俺、先生の描くおっぱいが大好きなんです! あれがあればご飯三杯はイケます! サインください! ついでにサインの横におっぱいもください!」

「な、なんだこいつ!?」


 想像を超える『異常』は一瞬相手を怯ませる。その隙に俺はふたりをぐいぐいと押して、


「ぁ……」


 黒髪の少女に「はよ行け」と後ろ手を振った。


「っ……!」

「あ、待てやゴラァ!」

「お前、いったいなんなんだよ気持ち悪ぃ! 追え!」

「待ってくださいよ先生! 俺先生のファンなんですよ! サインください! おっぱいとサインください!!」


 追いかけようとしたチンピラの腕を掴んで止める。


「気持ち悪ぃんだよ!!」


 後頭部に衝撃。


 あ、いってぇ。イジメのときに受けた暴力よりよっぽどいてぇ。


 ドガッ、ゴスッ、バキッ。


 少女を追いかけることを諦めたのか、二人で殴る蹴るのリンチ。


 殴られた。

 蹴られた。

 顔を踏まれた。

 速写したスマホを壊された。


「俺、先生の、ファン……」

「まだ言ってんのかよ!」


 ゴスッ。


「うへへへへ、サイン……」

「こいつやべぇって、絶対頭イッてるって……!」


 うわぁ……こいつら引いてる。

 引くくらい気持ち悪い俺。

 だいたい誰だよ丸焼きシュークリーム先生って。自分の語彙力が怖いわ。


「──こっちです! お願いします!」


 どれくらい殴られただろうか。遠くから、少女の叫び声が聞こえた。


「や、やべ、サツじゃね? マサシ……」

「やべ……。あ、こいつどうせ頭イッてるんだし……」


 途端に俺への暴力は止まり、こいつらにボコボコにされた俺はなぜかこいつらに抱きかかえられる。


「おいっ! 大丈夫か! しっかりしろ!」

「くそっ……! 誰がこんな目に……!」

 

 ……信じられるか? このセリフ、俺をボコボコにしたこいつらが言ってるんだぜ?



「警察だ!」


 やってきた五人の警官にいけしゃあしゃあと、



「こっちです! 彼が倒れてて……」

「いま俺たち、女の子に警察を呼んでもらったんですけど……!」


 助ける側を演じてみせた。


「ち、違います! 私このふたりに襲われて、この人が助けてくれて……」

「お、おいおい、怖い冗談言うなよ」

「そうそう、俺ら今日ナンパで知り合ったばっかりだけど、そんなのってないだろ? 俺ら3人でこの人が倒れてるのを見つけたんじゃないか」


 俺のスマホをぶっ壊して物的証拠がないのをいいことに、水掛け論に持ちこむつもりだ。


 さすがに押しきれるわけがない。取り調べになればきっと、俺についた殴り傷や、顔についた靴の跡で、こいつらを傷害罪に問うことはできるだろう。


 ──でも、足りねえ。


 彼女を暴行しようとしておいて、俺にこれだけの暴力を振るっておいて、自分は悪くないと醜く抗っている姿が許せなかった。


「ともかく署で事情を──」

「……待ってください」


 醜いふたりの腕から起き上がる。


 ──思い返す、過去。



『べつに俺悪くねーし! 藤間が悪いだろ? なあみんなそう思うだろ!?』



 ──この世は、クズばっかりだ。


「……彼らふたりに、ボコボコにされました。証拠もあります」


 口を開くたび、顔が痛い。しかし俺は喋ることをやめない。


「てめぇ、普通に喋れるじゃねぇか!」


 喋れるよ? だってさっきのは演技だもん。


「あれで動画を撮りました。彼女が襲われる直前の動画、そして俺の殴られる前の顔。調べればわかりますが、すべて五分くらい前のものです」


 俺の指差す『あれ』とは、ご丁寧にもSDカードまでぶっ壊された俺のスマホだ。


「でもあんな状態じゃ……」


 警察の声に、にやつくふたつの顔が見えた。



 ゴミクズが。



 ──凍りつかせてやるよ。



「俺は飛び出す前、動画をクラウドに保存しました。パスワードさえあれば、どの端末からでも見られます」


「テメェ!」

「ふっざけんな!」


「馬鹿じゃねーの。スマホ代も服代も慰謝料もきっちり請求してやるからなボケ。クサい飯でも食ってろゴミクズ」



──



 ──とまあ、こんなことがあったわけだ。


 どうだろうか。見方によっちゃ俺が身をていして灯里伶奈を救ったと言えなくもない。


 俺が格好良くチンピラふたりをやっつけて「もう大丈夫だ」なんて言ったのなら、灯里が俺にトゥンクしたとしてもまぁ一厘くらい頷ける。一割どころか一分もないのかよ。


 ……しかし、あの助けかた。俺氏フルボッコだったし同人作家の丸焼きシュークリーム先生はないよなぁ……。うん、チンピラが引くくらい俺気持ち悪い。


 だからあの告白が本物だと思えないんだよなぁ……。ぶっちゃけ俺が女だったら、間違いなく引いてるもんね。



「ぁ……また歩道側譲ってくれた……ぁぅ……優しい……」


 でもこんなつまらないことで頬を真っ赤にする灯里は、これがマンガとかアニメとかラノベだったら、絶対トゥンクしてるよなぁって反応なんだよ。


 万が一億が一、吊り橋効果っていうのか? そういうので灯里が俺に好意を抱いたとしても、それで俺に告白したのだとしても、まぁもうあれだよな。ないよな。


 だって、あれが本当に告白だったのだとしても、


『罰ゲームなら他所よそでやれ』

『二度と話しかけんな』


 あんなことを言った俺を、灯里がいまだに好きでいられるわけがないしな。


 それでも、俺は謝るべきなのか。

 あの日の告白を蒸し返して、じゃああれはなんだったんだよと問えばいいのか。


 わからない。


 ああ、人間関係って面倒くさい。


 ……あ、そういや今日はモンハン(モンスターハンティング)新作の発売日だ。学校が終わったら買って帰らないとな。


 俺はやはりこんなことを考えているのがお似合いだ、と言い聞かせながらふたりで歩く、学校への上り坂。


 高木亜沙美は、今朝も声をかけてはこなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る